氷河が帰ってきてくれないのではないかという瞬の懸念は無用のものだった。 瞬が日本に帰国した翌日、氷河は予定通りに、出立時と同じ洋服を身にまとって、二人が暮らしているマンションに戻ってきてくれたのだ。 その部屋を出ていった時と同じ笑みを、その顔に浮かべて。 「瞬、帰ったぞ!」 リビングのソファに悄然と腰をおろしていた瞬に、氷河は、長い出張のあとには必ずそうするように、文字通り 飛びついてきた。 いつもなら、この乱暴で重い荷物を押しのけようとするところなのだが、そのための力も気力も、今の瞬には到底 持ち得ないものだった。 氷河に押し倒されたままの体勢で、瞼も伏せたまま、震える声で彼に尋ねる。 「お……お帰りなさい。お仕事は無事に済んだの?」 「ああ、特に大きなトラブルもなく」 嘘だ――と、瞬は思った。 グングニルの槍は聖域に奪われ、教主ドルバルと神闘士はアテナの聖闘士たちに倒され、ワルハラ宮は崩壊、彼等の野望は打ち砕かれた。 『大きなトラブルもなく』氷河の仕事が済んだはずがない。 瞬が 我儘で乱暴な恋人に いつまでも大人しく押し倒されたままでいることを、不審に思ったらしい。 氷河は眉をひそめて、瞬の顔を覗き込んできた。 「瞬、どうしたんだ?」 「あ……」 恐る恐る瞬が見上げた氷河の瞳は、瞬がいつも見慣れていた通りに、翳りひとつなく明るく青く輝いている。 氷河が今 何を望んでいるのかも、彼の言動の癖に慣れている瞬にはすぐにわかった。 「俺の方は準備万端整っているぞ」 「ま……まだ、真っ昼間でしょ」 「もう夕刻だ」 「夜とは言えないよ」 「おまえに会いたい一心で飛んで帰ってきた男に、どうしてそんなに冷たくできるんだ。さあ、浮気ひとつせず、清く正しい出張をしてきた俺にご褒美をくれ」 言うなり、氷河は、瞬の背中と膝に腕をまわして、瞬を抱き上げた。 「氷河……」 氷河が出張先で浮気ひとつしていないことを、瞬は一片の疑いもなく信じることができた。 浮気の方がどれだけましかと、瞬は思ったのである。 どう見ても、今 瞬の目の前にいる氷河は、北欧の氷の神殿で見た狂信徒と同一人物だった。 「瞬……?」 いつもなら『下ろせ』『離せ』と小気味いいほどの勢いで騒ぎたてる瞬が、借りてきた猫のように大人しく静かに恋人の腕に抱かれている。 さすがに氷河は、瞬の様子がおかしいと思ったらしい。 「瞬、いいのか? このままベッドに雪崩れ込んでも」 言葉で答える代わりに、瞬は氷河の首に両腕を絡めていった。 この人が アテナの――自分の――敵だとは思いたくなかった。 |