氷河がアテナの敵だというのなら、彼は人類の敵でもある。 だとしたら、アテナの聖闘士である瞬は、その存在を抹殺しなければならない。 氷河は、アテナの聖闘士の身体を味わい尽くし、満足して深い眠りに就いている。 今なら聖闘士の力を使わなくても簡単に――恋してはならない相手に恋してしまった哀れな恋人にすぎない自分でも簡単に――氷河の命を消し去ることはできるだろう。 ――と瞬が考えた途端に、まるでタイミングを見計らっていたように、氷河が ぱっとその目を見開いた。 氷河の青い瞳が、氷河の寝顔を見詰めていた瞬の視線を捉える。 そうしてから、彼は、 「どうした? まだ足りなかったのか?」 と、呑気にも程があることを尋ねてきた。 こんな時に正直な答えを返す瞬ではないことを、氷河は知っている。 答えなくてもいいと言うように、彼は、瞬の唇に指を押し当てた。 「あ……」 瞬の身体の線をゆっくりとなぞるように、氷河の手が下方に移動していく。 敵だと思うほどに、振りほどかなければならないと思うほどに、瞬の五感は敏感に氷河の愛撫を感じ反応し始めた。 (氷河……どうして……) 瞬の身体を覆っていた掛け布を、氷河の手が取り除く。 瞬の裸体をまじまじと見おろし、氷河は、 「おまえは本当に綺麗だ。こんなに細いのに、こんなにしなやかで、おまけに、信じられないほどタフ。おまえは、存在自体が奇跡だな」 と、冗談にも本気にも聞こえる感嘆の声を洩らした。 「あっ……ん……んっ」 喘いでいる瞬を自分の身体の重みで押さえつけ、氷河がヘッドボードの照明の調光ボタンを最強にする。 「欲しいなら、自分から開いてみろ」 「いや……だ、そんなこと……」 アテナの敵に、アテナの聖闘士が身体も心も開けるわけがない。 瞬は懸命に身体と心を閉じようとした。 が、氷河はその仕草を瞬の癖だと見切っている。 「そう意地を張るな。意地を張り続けると、苦しむことになるのは おまえの方だぞ」 「ああ……っ!」 そんなことは、改めて言われなくても、瞬は身に染みて知っていた。 本当は、あの瞬間を、瞬は好きだった。 氷河が自分の中に入ってくる あの瞬間、全身を強張らせていないと、嬉しくて叫んでしまいそうになる。 氷河が自分の中で子供のように暴れている間、これは僕のものだと、瞬はその持ち主に向かって主張したくなるのだ。 だから瞬は、その時にはいつも身体を強張らせ、唇を噛みしめる。 それだけのことだった。 氷河にわかるように、だが少しだけ、両膝から力を抜く。 途端に、氷河は 瞬の身体を半分抱きかかえるようにして、瞬の中に押し入ってきた。 「愛してるぞ、瞬」 「あああああっ!」 瞬は嬉しくて叫んだ。 「あっ……ああ、氷河……氷河……僕の……」 そして、これは持ち主ごと全部 自分のものだと、瞬は幾度も氷河に訴えた。 ――氷河の命を、他の聖闘士に委ねることはできない。 アテナの聖闘士が彼の命を奪うなら、それはアンドロメダ座の聖闘士の手によって奪われなければならない。 知らぬこととはいえ、アテナの聖闘士がアテナの敵と1年以上も共に暮らしていたのだ。 インサイダー取引を疑われるどころの話ではない。 これは正しく 聖闘士であることを知られぬよう注意はしてきたつもりだが、どこかに 聖闘士などというものの存在を普通の人間が信じるはずがないという油断がなかったとは言い切れない。 とはいえ、自分の恋人が何者であるのかということに 氷河が気付いているとは、瞬は思ってはいなかった。 正体を探るために氷河が瞬に近付いてきた ということは、なおさらありえない。 氷河はそんな演技をしたり、嘘をついたりする男ではない。 そうすることができないのではなく――彼は、そんなことは“しない”のだ。 その点に関しては、瞬は氷河に絶対の信頼を置いていた。 だが、瞬が何者であるのかという事実が氷河に知れることになったなら、これまで何気なく聞き流していた様々の二人の会話の内容を思い起こし、異なる視点からの洞察と解釈を加え、氷河は“何か”に気付くことになるかもしれない。 それがアテナと聖域に不利益をもたらす情報でないとは、誰にも言い切れない。 アテナと聖域に不利益をもたらす情報ということは、つまり、人類と世界に害を為す情報ということである。 決してアテナの敵に知られてはならない情報ということだった。 (ああ、でも……!) 瞬は、氷河と身体を交えるようになってから初めて――今夜 初めて――、自分がなぜ氷河とのこの行為が好きなのか、その訳がわかったような気がしたのである。 それは、いくら泣いてもいいから――好きなだけ泣き叫ぶことができるから、だった。 むしろ、瞬が泣けば泣くだけ、氷河は喜んでくれる。 瞬は幼い頃から“泣く”ことを『良くないことだ』と、『それは弱い人間のすることだ』と、誰からも否定され続けてきた。 好きな時に好きなだけ泣ける場所があったら どんなにいいだろうと、瞬は、幼い頃から――孤独な一個の人間として、この世界に投げ出された時から――夢見ていた。 そして、『そんな場所はどこにもないのだ』と諦めかけていた時に、瞬は氷河に出会ったのだ。 氷河は、瞬に“泣く”という弱さを許してくれた。 “甘える”も“頼る”も“守られる”も――彼は瞬に許し、そうあることを望んでくれさえした。 『そういう可愛いことをするのは、俺の前でだけにしろ』という条件つきではあったが、瞬は“安心して泣ける場所”を初めて他人から与えられた。 氷河が――氷河だけが――瞬に、それを与えてくれたのだ。 「氷河、好き……氷河、好き……氷河が大好き……!」 アテナをとるか、恋をとるか――。 迷う瞬の細い腕は、死んでも離すものかと言わんばかりに必死に、氷河の背に絡みついていた。 どちらも捨てられない。 氷河と離れることはできない。 瞬の心より、氷河を離そうとしない瞬の腕が、瞬にその事実を知らせてきた。 |