Self-concept






『看板に偽りあり』とよく言われるが、一応 氷河は“クールな男”ということになっていた。
実際に、氷河は、星矢のように 毎日が祭り状態の男でもなければ、紫龍のように 友情や義のために熱くなることも(滅多に)ない。
氷河が尋常でなく“非クール”になるのは戦場においてのみ。
彼は日常生活の場においては、その感情にも言動にも 極めて起伏の少ない男だった。
以前は、「アテナの敵が一掃されたら、シベリアに引きこもり、墓守でもして暮らす」などと、派手な外見には似つかわしくないことを真顔で言っていたほどである。
少なくとも氷河は、自分から積極的に争乱や楽しみを求めていくタイプではなく、見ようによってはクールと言えないこともない男だった。

その氷河が、自分にだけ微妙に・・・優しく接してくれていることに瞬が気付いたのは、今年のバレンタインデーの1週間前。
その日、瞬は、
「そんな、異教の聖人と商業主義が結託して行なっているようなイベントに乗せられるつもりはないわ!」
が、ポリシーの沙織に代わって、仲間たちに贈るチョコレートの購入に出掛けるつもりでいた。

朝の食卓で、瞬のその日の予定を聞いた星矢が、
「別にチョコが欲しいわけじゃないんだけどさー」
と前置きしてから、
「ま、そこいらへんの女の子からもらうよりだったら、瞬からもらってた方が嬉しいのは事実だよな。へたな女の子より瞬の方が断然 可愛いし」
と言って、仲間に同意を求める。

が、あいにく星矢は、彼が求めたものを手に入れることはできなかった。
彼が入手できたのは、紫龍の、
「負け惜しみに聞こえるぞ」
という、辛辣な一言のみだったのである。
負けず嫌いの星矢は、もちろん、自分の発言が負け惜しみだなどとは、意地でも認めようとはしなかった。
「俺は、瞬の親切と優しさに感謝して賛美してんのに、何だよ、その言い草! そういう紫龍だって、そこいらのチビデブハゲな女の子からチョコもらうよりだったら、瞬からもらう方が断然 嬉しいだろ! どうせ義理チョコもらうんなら、絶世の美少女からもらう方がいいに決まってる!」

「いや、俺が言ったのは義理チョコの話ではなく――」
どうやら星矢の頭の中には、『この世には、真剣な恋心を託して贈られる本命チョコなるものが存在する』という考えが全くないようだった。
ましてや、そんなものが自分に贈られる可能性になど、星矢は考えを及ばせたこともないらしい。

それはそれで悲しく哀れな話である。
おかげで、紫龍は、重要な大前提が欠如た星矢の意見に それ以上反論することができなくなってしまったのだった。
実際問題として、紫龍も、どうせチョコレートを手渡されるのならば“チビデブハゲな女の子”よりは“絶世の美少女”から渡される方が喜べるような気がしたのである。
そんな自分を 人としてどうなのかと思いながら、彼はその視線を、聖域が世界に誇る“絶世の美少女”の上に巡らせたのだった。

その視線の先で、瞬は“絶世の美少女”という差別用語に少なからず傷付いていた。
しかし、ここはどう考えても、自分の傷心に言及し仲間たちの心無い仕打ちを責めることより、“チビデブハゲ”という差別用語の打ち消しを優先すべき場面。
ゆえに、瞬は自身の傷心をひた隠し、かなりの無理をして、少々引きつった感のある微笑を その口許に浮かべたのである。

「で……でも、女の子って、ものすごく健気で勇敢だよ。この時季のチョコレート売り場は、聖闘士のバトルなんか目じゃないくらい凄絶な戦場になってるのに、女の子たちは、そのただ中に臆することなく飛び込んでいって奮闘するんだ。僕なんか、いつも、女の子たちに押されたり、薙ぎ払われたりして、なんとか買い物を済ませたあとは くたくたのぼろぼろになっちゃってるんだから」

瞬の弁護が、“女の子”に対する差別用語を打ち消すことに役立ったのかどうかは、大いに疑わしい。
おそらく それはほとんど役に立っていなかった。
が、瞬の役に立たない“女の子”弁護は、別の効用を(“女の子”ではなく瞬に)もたらしてくれたのである。
なんと、瞬のその凄絶な戦場の話を聞いた氷河が、今日の瞬の戦いへの援軍を申し出てくれたのだ。
氷河の意外な申し出に驚いた瞬は、おかげで、差別用語撤回の件と自身の傷心の件をすっかり忘れてしまったのである。

「で……でも、女の子ばっかりのとこに男の人が混じっていたら、変な目で見られるかもしれないよ」
そう、氷河に尋ねてしまったあとで、瞬は自分が口にした言葉に自分で傷付いた。
もちろん氷河は、『おまえは 変な目で見られないのか』などという無神経な突っ込みを入れたりなどせず――彼は、本当に壮絶を極めた女の戦場に付き合ってくれたのである。

氷河という同伴者を得て、瞬の今年のチョコレート購入は非常に楽な作業になった。
氷河が盾になって瞬の身を庇ってくれたおかげで、女の子の集団に押し潰されることもなければ、中年の女性陣に引き倒されることもなく、瞬は、いつもの4分の1の時間で 無事に 仲間用の義理チョコ購入という難事業を遂行することができたのである。

「氷河のおかげで、今年はすっごく楽に買い物ができたよ。ありがとう!」
「いや……」
自分がそれほど大層なことをしたとは、氷河は思っていなかったのだろう。
彼は、感激した瞬の感謝の言葉に、無感動にも思えるほど控えめな表情と声で頷いただけだった。
氷河のその謙虚な様子に更に感動を深めた瞬は、氷河のために もうひとまわり大きいチョコレートを購入すべく、後日 一人でこっそり この戦場に再びやってこようと、胸中深く決意したのである。






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