『真理の探求』が、星矢の趣味だった。
不思議に思ったこと、意外に思ったこと、理屈が通らないことは、その理由と原因を必ず突きとめる――突きとめずにいられない。
謎を謎のまま、疑問を疑問のまま 残しておくと、なにしろ気分よく健やかに就寝できないのだ。

そういうわけで。
凱旋報告を終え、やたらと軽快な足取りでラウンジを出ていった瞬と入れ違いに 氷河がのそりと その場に姿を現わした時、星矢は一瞬のためらいもなく即座かつ単刀直入に、たった今 生まれたばかりの疑念を白鳥座の聖闘士にぶつけていったのである。
「下心いっぱいで瞬に優しくしてやるのはいいけどさ、おまえ、なんで瞬に好きだって告白しねーの? 瞬がオトコだからか?」

「……」
前置きもなく唐突に、しかも訊きにくく答えにくいことを、ずけずけと尋ねてくる星矢に、氷河は一瞬 虚を突かれたような顔になったのである。
いったい なぜ今ここで そういう質問が発せられることになったのか。
相手が星矢でなければ、彼は投げかけられた質問に答える前に 質問者に対して事情説明を求めていただろう。
相手が星矢だったから――星矢が、疑問が生じるとその疑問解決に専心し、他を顧みることのない人間だということを知っていたから――氷河は それをしなかった。
見るからに興味津々といったていの星矢に 短く嘆息し、星矢の真向かいにある肘掛け椅子に腰をおろす。
それから彼は、周囲をはばかるように低い声で星矢に告げたのだった。

「瞬には言うなよ。俺は瞬を男だと意識したことがない。瞬は瞬だ。俺にとって特別な人間だ」
「それは知ってる。じゃあ、なんで?」
「瞬は強くて優しくて素直で可愛い。それでいて謙虚で、その上、幾度も俺の命を救ってくれた」
「おまえが惚れて当然だな。それで?」
星矢の合いの手がおざなりなのは、氷河の話が なかなか核心に至ろうとしないからである。
星矢の短気も、氷河は十二分に承知していた。

「俺は瞬がほしい。俺には瞬が必要だと思う。だが、何というか――俺は瞬と亡くなった女性ひととの違いがわからないんだ」
星矢の短気を承知していたからこそ、氷河は 星矢の疑念の中核に言及したというのに、
「へ……?」
氷河の話が核心に至った途端、星矢は肩すかしをくった人間のように間の抜けた声を、その場に響かせてくれたのである。

「亡くなった女性との違いがわからない――って、それって、瞬とマーマの違いがわかんねーってことか?」
そんな馬鹿なことがあるかと 星矢が氷河に詰め寄らなかったのは、氷河の言が星矢には冗談としか思えなかったからだった。
「おまえ、もしかして、今 ねぼけてんのか? 瞬とおまえのマーマは、顔が違うし、性別も違うし、片方は実の母親で、もう一方は血の繋がらない仲間で、マーマは一般人、瞬はアテナの聖闘士。似たとこなんか 一つもないじゃん」

「瞬とマーマは、二人共、強くて優しくて綺麗で控えめで――二人共、俺のために命をかけてくれた。全く同じだ」
「……」
そういう見方もあるのかもしれない。
そういう考え方にも一理はあると、星矢とて思わないわけではなかった。
だが、得心はできない。
できるわけがないではないか。
瞬と氷河の母の間には、何にもまして決定的かつ究極の相違があったのだ。
「おまえのマーマは死んでるけど、瞬は生きている。全然違うだろ!」
これ以上の違いがあるかと 星矢がラウンジに響かせた怒声は、だが、あっさりと氷河によって一蹴されてしまったのである。

「それは認めないわけにはいかない事実だが、だからこそ俺は、自分が、生きている瞬に、死んだ人の面影や役割を求めているような気がして、瞬に自分の気持ちを伝えることができないんだ。もし、そうだったら――」
「瞬が傷付く――ってか」
「瞬は優しいから、未練で哀れな俺の望みを叶えようとするかもしれない」
「瞬がおまえの望みを――?」

氷河の望みがそれと知ったら、瞬は自分が氷河の母になってやろうと考えるかもしれない。――と、氷河は懸念しているというのだろうか。
いくら瞬でも そんなふうに自分を捨てるようなことをするわけがない。
そう考え、氷河の懸念を笑い飛ばそうとした星矢は、だが、その直前でそうすることを思いとどまった。
氷河の懸念は、確かに、決して彼の杞憂ではないような気がする。
いくら何でも瞬もそこまでは――と思いたいのだが、なにしろ瞬は、仲間の命を救うために自分の命を捨てることも平気でしてしまう人間なのだ。
仲間のために自分の心を殺すことも、瞬は平気でしてしまうかもしれない――。

そう考えて口をつぐむことになった星矢に、氷河は少々自虐的な笑みを投げてきた。
「時々、逆説的に――いっそ瞬がマーマにそっくりだったなら、これも運命と開き直って、瞬を俺のものにしなければならないと信じてしまうこともできるのに――と思うことがある」
「……」
いったい この男は何を言っているのか。
氷河が、彼の恋に口出ししてくる仲間を煙に巻こうとしているのではないこと、氷河は極めて正直に彼の心情を吐露していることがわかるだけに、星矢は、氷河の心と考えがわからなかった。
まさに ちんぷんかんぷんである。

「あー……。その、何だ。おまえさ、だってさ、おまえ、瞬と寝たいとか思わないのか? いくらおまえがマザコンで名を売ってるっつったって、おまえは真性のマザコンなわけじゃないんだから、マーマに対してそういうことは思わないだろ?」
「それはそうだ。俺は瞬を抱きたいし――抱きしめてやりたい。いつも抱きしめていたい。だが、『瞬に側にいてほしい』というのが、俺の中にある瞬への望みのうちで、いちばん強い望みなんだ。それが叶うのなら、今のまま――仲間のままでいていてもいいとさえ思う。瞬と離れずに済みさえすれば――瞬をいつも見ていることさえできれば――」

それで自分の心は癒される――とでも、氷河は言うのだろうか。
星矢には、それは、氷河という男にあるまじき――アテナの聖闘士にあるまじき――臆病としか思えなかった。
アテナの聖闘士で、そんな 思春期の少女のような臆病と潔癖が許されるのは、瞬くらいのものである。
瞬ならぬ身の氷河がそんなふうでいることは許されない――許されるわけがない。
――と、星矢は思った。

「おまえって、意外と奥手なのか?」
我ながら馬鹿なことを訊いていると思いつつ、星矢は氷河に確認を入れてみたのである。
「人並みだ」
その答えも どこまで信じていいのか、星矢にはわからない。
星矢にわかることは ただ一つ。
氷河は絶対に今のままでいてはならない――ということだけだった。

「おまえが人並みでも馬並みでも、それはどうでもいいけどさ。瞬は奥手だから、おまえの方から積極的に動かねーと、おまえらの仲は永遠に進展しねーぞ。そんで、おまえが『仲間のままでいい』なんて悠長なことを言ってるとな、これは断言するけど、瞬をおまえから かっさらっていく奴が現われる。必ず。おまえが今のままでいる限り、おまえの そのささやかな望みは叶わねーよ」
「……」
その可能性に、氷河は考え及んでいなかったらしい。
突然加えられた大きな衝撃に、すべての感覚と意識を奪われてしまったように呆然となった氷河は、だが――だからこそ? ――それきり一言も言葉を発することをしなかった。

そんな氷河の様子を見て、星矢は、これは“クール”どころか ただの“間抜け”だと呆れることになったのである。
呆れた星矢は、そして、その時、ラウンジの扉の陰に人の気配があることに気付いた。
瞬の気配――だった。






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