双児宮で、思い詰めた目をしたアンドロメダ座の聖闘士の訪問を受けた双子座の黄金聖闘士は、彼がこの事態を意外に感じていることを隠そうとはしなかった。 青銅聖闘士たちの中でもアテナの聖域来臨に従った5人は、いわばアテナ直属、 彼等は聖域のヒエラルキーの外にいる、特別な者たちだったのだ。 そんな人間の訪問を、彼に奇異に思うなという方が 無理な話だったのだ。 「君が私のところに来るとは珍しい。いや、黄金聖闘士のところに来ること自体 珍しい。君たちは若い者同士でつるんでいるのが楽しいのだとばかり思っていたが」 皮肉なのか、自虐なのか、あるいは特に他意はないのか。 清濁併せ呑む 海千山千の男の言葉の真意は、瞬にはわからなかった。 というより、今の瞬には そんなことはどうでもいいことだったのである。 だから、瞬は、彼の真意を知りたいとも思わなかった。 「兄がいないので――あなたに頼る以外の方法が思いつかなかったんです」 「フェニックスの代理とは、ますます光栄だ。で?」 やはり 本心からの言葉なのか皮肉なのかの判別の難しいサガの言葉を、再度聞き流す。 聞き流して、瞬は本題に入った。 「あなたの幻朧拳は――幻朧拳を受けた人に、僕の姿を実物と違うように見せることは可能ですか」 「幻朧拳は敵に幻を見せる技だから、それは可能だが――。いったい誰に」 「氷河に幻朧拳を撃ってほしいんです」 「キグナスに?」 「氷河に、僕が彼の母親そっくりに見えるように幻朧拳を撃ってほしい」 「キグナスの母親?」 白鳥座の聖闘士が重度のマザコンだということは、水瓶座の黄金聖闘士から聞いて、サガも承知していた。 が、それと 地上の平和との間に どういう関係があるというのか。 聖闘士が聖闘士の許にやってくる動機は 戦いと平和に関する事柄以外にありえないという考えでいたサガにとって、瞬の依頼内容は、その意義が全く理解できない――その目的が まるでわからない――珍妙かつ奇天烈なものだった。 とりあえず、アンドロメダ座の聖闘士に、彼の意図を尋ねてみる。 「君が彼の母親そっくりに見えるようになって、それで誰がどんな恩恵を受けることになるんだね?」 「氷河が僕を好きになってくれるかもしれない……」 瞬のその答えに、清濁併せ呑んだ海千山千の男は、思いきり脱力することになってしまったのである。 普段は黄金聖闘士の存在を無視しきっているヒヨッコが、珍しく 先達に助力を乞いにやってきたと思ったら、その用件が、地球の平和と安寧どころか、当の黄金聖闘士本人にも全く関わりのない別のヒヨッコとの恋の橋渡しとは! 悪の心だけの支配を受けている時の彼であったなら、 「黄金聖闘士を舐めとんのか、貴様!」 くらいのことは言ってしまっていたかもしれない。 実際 そう言ってしまいそうになったのである。 サガがその衝動を かろうじて抑えることができたのは、彼の中にある 善の心のせい。――ではなく、やはり今の彼が“清濁併せ呑んだ”状態にあったから、だったろう。 現在のサガがそういう状態にあることは、瞬にとっては幸運なことだった。 善の心だけを持つ者や悪の心だけを持つ者は、人生の相談相手としても恋の相談相手としても、不適切この上ない存在である。 「好きに――とは、仲間としてではなく?」 「仲間としてなら、氷河は多分 今でも僕を好きでいてくれると思う」 「それ以上の『好き』が欲しいというわけだ」 「……」 瞬は、それには何も答えなかった。 頷くことも、首を横に振ることもしなかった。 となれば、これはもう間違いはない。 アンドロメダ座の聖闘士は、一時はこの聖域を統べていたこともある誇り高い黄金聖闘士に向かって、自分の恋を実らせるために その力を供出しろと言っているのだ。 なんという無礼、なんという傲岸、そして、なんという厚顔だろう。 これが“地上で最も清らか”を売りにしているアンドロメダ座の聖闘士の所業とは! そのあまりの大胆に、サガは――憤怒を突き抜け、盛大に感心してしまったのだった。 「しかし、キグナス――よりにもよってキグナスとは。君の周りには 他にいくらでもいい男がいるだろうに」 暗に、『よりにもよってマザコンなどという病気を抱えた男を選ぶことはないだろう』と告げたサガに、瞬は真顔で、 「どこにですか」 と尋ね返してきた。 たった今、彼の真正面に立っている男の価値など全く認めていない様子で。 いっそ すがすがしいほどの高慢と恋への熱狂である。 アンドロメダ座の聖闘士は全く周囲が見えていない――もしかすると、自分自身の姿すらも見えていない。 双子座の黄金聖闘士は、その事実――おそらく事実だろう――にも、怒りを通り越して、感嘆してしまったのである。 「どうなっても知らんぞ。キグナスはどこにいる」 「今、アテナ神殿に行っています。すぐ出てくると思う」 「わかった」 サガが瞬の望みを叶えてやる気になったのは、黄金聖闘士を黄金聖闘士とも思わぬ 瞬の豪胆さと、健気なまでの仲間への恋心に打たれたからだった。――かもしれない。 「撃っておいた」 というサガの言葉を聞いた時、その瞬間、瞬は自分の為したことに恐れおののき、尋常でない後悔を覚えることになったのである。 これで本当に氷河は『これも運命と開き直って、瞬を俺のものにしなければならないと信じて』くれるようになるのだろうか。 その言葉が実現したとして、はたして それは正しいこと、許されることなのだろうか? ――と。 |