『瞬王子様がとても お可愛らしい様子をされているので、彼は瞬王子様を お姫様と勘違いされたのでは?』
『まさか、そんなことがあるはずないでしょう』
そう断言したはずだったのに、運び込まれた お城のベッドで目を覚ました人魚の王子様の瞳を見て、瞬王子の自信は大いに揺らぐことになりました。
彼は、青い瞳の持ち主で、それはうっとりするほど綺麗な瞳だったのですが、問題はその目の輝き。
彼の青い瞳と その眼差しが、どう見ても 瞬王子に恋をしている瞳と眼差しなのです。
ベッドに上体を起こした彼は、情熱をたたえた目で瞬王子をじっと見詰め、そして その視線を他のどこにも逸らそうとはしませんでした。

「一応 冗談のつもりだったんですけど、彼が瞬王子様に恋をしているのは、どう見ても事実ですわよ」
人魚の王子様の様子を見た侍女たちの口調は 既に確信に満ちていました。
そして、彼女たちは、瞬王子に恋する人魚の王子様よりも爛々と瞳を輝かせて、
「きゃ〜っ! 倒錯的〜!」
と叫びました。
それはそれは嬉しそうに。

けれど、瞬王子はそれどころではありません。
もし彼女たちの推察が事実だったとしたら、それは本当に大変なことですから。
「じゃ……じゃあ、僕が彼の思いに応えてあげなかったら、彼は海の泡になって消えてしまうの?」
「物語の通りなら、そうですけど……」
「瞬王子様。物語は物語ですわよ。あれはただのフィクション。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ないはずですわ」

だから人魚なんているはずはないと、彼女たちは言いたいのでしょう。
ですが、瞬王子が読んだ『人魚姫』の本には そんなお断り書きは一言も書かれていませんでした。
それに、何といっても、人類の長い歴史の中で、『人魚がこの世界にいないこと』を証明してのけた人は ただの一人もいないのです。
そして、彼が 海から上がったばかりの人魚姫のように全裸で浜辺に倒れていたのは、証明する必要もない事実でした。

「でも、こんなに綺麗な人、人の世にいるとは思えない」
瞬王子は、侍女たちの気に障らないように小さな声で、自分の意見を口にしてみたのです。
その時でした。
それまで、アルトとメゾソプラノとソプラノと――要するに女の子の声しか聞こえていなかったブロンズランドのお城の客用寝室に、
「氷河だ」
というテノールの声が響いたのは。

「え?」
瞬王子につけられている侍従は女の子だけでしたから、それが瞬王子の侍女たちの声であるはずがありません。
それはもちろん瞬王子の声でもありません。
ええ。もちろん そうではありませんでした。
「俺の名は氷河だ」
その声は、人魚の王子様の唇から発せられたものだったのです。
そうと気付くと、瞬王子はとてもびっくりしてしまいました。
人魚は人間の脚をもらうために魔法使いのお婆さんに声を奪われるのが 海の世界のお約束と、瞬王子は信じていましたから。

「口がきけるのっ !? 」
「ああ」
青い瞳をした青年は、至極あっさり瞬王子に頷いてみせました。
ということは、彼はやはり人魚姫ではないのでしょうか。
人魚姫でもないのに、素裸であんなところにいたのだとしたら、彼はちょっと問題のある人です。
こんなに綺麗な人が そんな問題人物だなんて、瞬王子は信じたくありませんでした。

「氷河――は、どうして、あんなところにいたの。その……何も身につけずに」
そんな事態になったのには きっと何か深い、そしてまともな・・・・事情があるに違いない――そうであることを祈るように期待して、瞬王子は氷河に尋ねました。
すると、氷河は その恋する瞳で瞬王子の心と身体を動けなくしたまま、彼の身の上を語り始めたのです。

「おまえは、10日ほど前、浜に打ち上げられて、小さな水たまりの中でかろうじて生きていた銀色の魚を海に帰してやったことがあるだろう」
「あ……うん……はい」
確かに、瞬王子はそうしてやったことがありました。
満潮時に波に運ばれてきたのだろう小さな銀色の魚が、浜の岩場のくぼみにある小さな水たまりの中で苦しそうにしているのを見付け、瞬王子は慌てて その魚を海に帰してやったのです。

「それで、俺は――」
「そうだったの……」
その出来事を思い出して、瞬王子はやっと合点がいったのです。
「なに?」
話の腰を折られた氷河は、一瞬 虚を突かれたような顔になりました。
けれど合点の・・・いった・・・瞬王子には、それ以上の説明は不要なものだったのです。

瞬王子は、侍女たちを振り返り、弾んだ声で言いました。
「彼は人魚姫じゃなく、銀色のおサカナの王子様だったんだ!」
そうだったのです。
もともとはおサカナだったから、氷河は素裸で浜辺に倒れていたのです。
それなら理に適っていますし、とてもまともな・・・・事情です。
氷河が問題のある人物でないことがわかった瞬王子は、とても嬉しくなりました。

「王子様に助けられた恩返しに来て、逆にまた助けられてしまったということですか? なんだかドジなサカナねえ」
瞬王子の侍女たちが、その話を(とりあえず)信じることにしたのは、それが瞬王子を騙すための作り話なのだとしたら あまりにも出来の悪い物語だったから――でしょう。
それに何といっても、彼女たちは、人魚は見たことがありませんでしたが、銀色の魚なら幾度も幾匹も見たことがあったのです。

「人魚姫でも、サカナの恩返しでも、瞬王子様に一目惚れして、浜辺に転がっていたことに変わりはありませんわ。倒錯的〜!」
「でも、それなら泡になって消えてしまっても大したことじゃありませんわよ、王子様。人魚姫は、海の底で平和に暮らしていたなら何百年も生きられるはずなのに、失恋ひとつで海の泡になってしまうから哀れなんでしょう。サカナだったら、もともとの寿命が1年かそこいらなんですから、遅かれ早かれ来年の今頃は海の藻屑ですわ」
「そうそう。泡になって消えても、気に病むことはありませんわ」

氷河の全裸にまともな事情があったことを知って ほっとしていた瞬王子は、今度は侍女たちが笑って言った その言葉に大きな衝撃を受けてしまったのです。
サカナだったら泡になって消えてしまっても大したことじゃないだなんて、そんなことがあるでしょうか。

「なんてこと言うの! 永遠の命を持つ神様から見たら、それこそ人間の一生だって一瞬と大差ない短いものでしょう! でも、僕たちはその一瞬を一生懸命に生きている。おサカナだって、おんなじことだよ! 氷河は彼の一生をかけて、ここにいるんです!」
「あ……はい。あの、はしゃぎすぎました。ごめんなさい……」
瞬王子の叱咤に、侍女たちは素直に謝罪し、その顔を伏せました。
世間知らずで夢見がちな瞬王子は、けれど、だからこそ、時折、誰にも反論できない正論を言うのです。

瞬王子は心優しい王子様でしたから、もちろんすぐに彼女たちの軽率かつ非情な発言を許してあげましたよ。
瞬王子には、彼女たちが 悪意があってそんなことを言ったのではないことはわかっていましたから。
悪意なく軽率に言った言葉だからこそ、その人の価値観が垣間見えるということはありますが、普通に学習能力のある人間は、自らの過ちに気付けば、その言動や価値観を柔軟に改めることができるもの。
彼女たちが本来は優しく聡明な少女たちであることを、瞬王子はちゃんと知っていました。

ともあれ、氷河の身の上を聞いた瞬王子は、元はおサカナだった氷河にできるだけ優しくしてあげることを固く決意したのです。
瞬王子が彼の恋を受け入れることはできなくても、瞬王子が他の誰にも恋しなければ、氷河は恋を失うことにはならず、その身が海の泡となって消えてしまうこともないでしょう。
そんなふうに氷河の命を守ることができるのは瞬王子だけなのですから。

「今、兄はゴールドランドとの戦争に行っていて、このお城にはいないの。だからちゃんとお許しはもらえないんだけど、氷河はいつまででもこのお城にいていいからね」
瞬王子にそう言われた氷河は、心から感謝したように、
「ありがとう」
と言って、瞬王子の手を強く握りしめてきました。
恋する眼差しを持った氷河の手と指は、やはり恋する者の情熱をたぎらせていて、瞬王子は氷河の大きくて熱い手に、ちょっと――かなり――どきどきしてしまったのです。

そんな二人の様子を見ている倒錯好きの侍女たちの胸は、氷河に手を握りしめられている瞬王子より どきどきわくわくしていましたとも。






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