ついに戦場から帰ってきた瞬王子のお兄様。
彼は、美しいものが何ひとつない戦場に長くいて、もう半年以上も最愛の弟に会えない日々を送っていました。
ですから、その日、可愛い弟の顔を一刻も早く見たいと、瞬王子のお兄様は大層 気が急いていました。
瞬王子のお兄様がお城に戻ってきた時刻は夜更けもいいところ、正真正銘の深夜だったのですが、せめて瞬王子の寝顔だけでもと思い、瞬王子のお兄様は帰城するなり いの一番で瞬王子の寝室に足を向けたのです。

瞬王子のお兄様は、そこに見知らぬ裸の男がいるのを見て、びっくりしてしまいました。
しかも、その裸の男は、ただそこにいるだけではなかったのです。
その時、瞬王子は、氷河の胸の下で、それこそ砂浜に打ち上げられた おサカナみたいに苦しげに喘いでいる真っ最中でした。
瞬王子は別に苦しんでなどいなかったのですが(むしろ滅茶苦茶 喜んでいたのですが)、激しい歓喜と苦痛は紙一重。
瞬王子の歓喜の姿は、傍目にはとても苦しんでいるように見えたのです。
それに、瞬王子は、氷河にそうされることが嬉しくて、涙まで流して喘いでいましたから、瞬王子のお兄様が誤解(?)しても、それは致し方のないことだったかもしれません。

「なんなんだ、この男はーーーーっっっ !! 」
激怒した瞬王子のお兄様は、氷河を不敬罪で掴まえて、そのまま牢にぶち込んでしまったのです。
そして、瞬王子が何度頼んでも、氷河を瞬王子の許に返してはくれませんでした。
もちろん瞬王子は、毎日毎日、日に何度も、氷河を牢から出してくれるよう、お兄様に懇願し続けたのですが。

「兄さんは誤解しています。氷河は僕をいじめていたわけじゃないの。僕の方から、そうしてくださいってお願いしたの。氷河は何も悪いことはしてないんです……!」
それが誤解でないのなら、瞬王子のお兄様は、なおさら氷河を自由にしてやるわけにはいきませんでした。
そして、瞬王子が氷河のために懇願すれば懇願するほど、瞬王子のお兄様の心は頑なになっていくのでした。


瞬王子のお兄様が『会うだけなら』と言って氷河を瞬王子の許に牢から連れてきてくれたのは、氷河が牢に囚われの身になって1週間が過ぎた頃。
お兄様は弟の涙ながらの訴えに心を動かしてくれたのだと 瞬王子は思ったのですが、事実はそうではありませんでした。
氷河の罪状が明らかになったから、瞬王子のお兄様は氷河を瞬王子に会わせることにしたのです。

お城の広間に連れてこられた氷河は、両手の自由を鉄の鎖で奪われていました。
少しやつれた様子の氷河を見て、瞬王子は、牢にいる間 氷河はちゃんと食べ物を食べさせてもらえていたのかと心配になり、とても心が痛みました。
(お洋服はちゃんと与えられていて、氷河は素裸ではありませんでした)

いったい氷河がどんな罪を犯したというのでしょう。
彼は、彼の命を救ってくれた人間に恋をしただけ。
それが罪であるはずがありません。
氷河がこんなふうに自由を奪われる理由なんてどこにもないのです。
瞬王子は、何としても氷河の潔白を証明したいと思いました。

「兄さん、兄さん。氷河を自由にしてあげて。氷河は海の底で平和に暮らしていた 銀色のおサカナだったのに、僕のために人間になってくれたの。氷河は悪いことは何ひとつしていないんです!」
「なに、寝ぼけたことを言っている! 俺はちゃんと調べたんだ。この男は、半年ほど前、浜にあった小屋にどこからともなくやってきて居ついてしまった風来坊だそうだ。どこの馬の骨とも知れない、海で漁をして生計を立てている、ただの漁師だ。銀色のオサカナでも何でもない、ただの貧乏漁師!」

瞬王子のお兄様の言葉は、瞬王子をとても驚かせました。
そんなことがあるはずがないのです。
「半年前……? そんなはず……。僕が銀色のおサカナを助けたのは1ヶ月前のことだよ」
「だから、おまえは騙されていたんだ。サカナが人間になるなんて、そんな馬鹿げた話があるわけないだろう。常識で考えろ!」
「……」

瞬王子は、瞬王子の常識で考えて、そういう結論に至ったのです。
常識で考えて、普通の人間が素裸で真冬の海に倒れ伏していることなどありえないという結論に至り、だから、氷河はあの時の銀色のおサカナの化身なのだと信じたのです。
全裸の男が冬の浜辺に倒れていることに、他にどんなまともな・・・・理由や説明がつけられるでしょう。
お兄様の言葉が信じられず、氷河こそを信じたくて、瞬王子は、救いを求めるように氷河を見詰めました。

お兄様に何と言われようとも、瞬王子は氷河を信じるつもりでした。
瞬王子は、氷河を信じたかったのです。
それが恋というものです。
そして、瞬王子は全身全霊をかけて、氷河を恋していました。

なのに何ということでしょう。
氷河は、瞬王子と視線が合うと、つらそうに その目を瞬王子から逸らしてしまったのです。
横を向いたまま――氷河は呟くように言いました。
「俺は、あの魚の化身じゃない。おまえがあの魚を助けるのを見て、この国にも優しい人間はいるのだと知り、俺はおまえに恋をした。だが、あの時の俺はしがない貧乏漁師で、簡単に一国の王子に近付くことはできそうになかった。だから、俺は、おまえが毎日通る場所で わざと目立つように行き倒れてみせたんだ」
「氷河……」

確かに、浜に倒れていた氷河は尋常でなく目立っていました。
誰だって、真冬に素裸で倒れている人を見付けたら、何か深い訳があるのだろうと思うことでしょう。
もしあの時、氷河が普通に服を着て倒れていたら、瞬王子は彼を普通の行き倒れだと思って、救護院か病院に運ばせていたに違いありません。
彼を、恋のためにすべてを捨てた人魚姫だなどとは考えもせずに。

氷河の企ては的を射ていたことになります。
でも、そんなことがあっていいのでしょうか。
「だって、僕は、氷河を信じて――氷河に生きていてもらうためになら、どんなことでもできると思って……。だから――」
氷河に泡になって消えてほしくなかったから、瞬王子は、氷河にふいにキスされた時も騒がず、突然 抱きしめられた時も、彼の胸の中でおとなしくしていたのです。
ベッドに引き込まれた時にも、ちょっと恐くて、とても恥ずかしかったのですけれど、氷河に求められたことは何でもしましたし、氷河がしたいと言ったことは何でもさせてあげました。
もっとも、それは、氷河にあちこち触られているうちに瞬王子自身が気持ちよくなってしまうせいでもありましたけれど。

「すまん。俺は、おまえの優しい心を利用したんだ。ちっぽけな魚の命も見捨てられないおまえは、人間の姿をしたものには もっと優しくしてくれるだろうと思った」
「氷河……」
そんな計算づくで氷河が自分に近付いてきたなんて。
瞬王子は泣きたい思いで、氷河の瞳を見詰めたのです。
これまでは いつだってまっすぐに瞬王子の瞳を見詰め返してくれていた氷河が、今は瞬王子の視線を避けるように横を向いてしまいました。
そして氷河は、瞬王子から逸らした視線を瞬王子のお兄様の方に向け、
「処刑でも何でもしろ。流血と戦好きの国王らしく」
と、捨て鉢な口調で吐き出すように言いました。

瞬王子のお兄様は、流血と戦を好んだことなどなかったので、氷河の言い草にカチンときましたが、氷河の望みは 瞬王子のお兄様の希望と合致するものでしたので、彼はすぐに顎をしゃくるようにして頷き、その場にいた兵に命じました。
「よく言った。貴様の願いは、明日にでも叶えられるだろう。この不埒者を死刑囚用の牢にぶち込んでおけ」
「兄さん……! それだけは……それだけはやめて!」

氷河は確かに人に褒められるようなことをしたわけではありませんが、こんなことで死刑にされてしまうなんて あんまりです。
瞬王子は、お兄様に考え直してくれるよう すがっていったのですが、瞬王子様のお兄様はその決定を覆すつもりはないようでした。
それどころか、瞬王子様のお兄様は、瞬王子にまで罰を科してきたのです。
「おまえは当分、自分の部屋で謹慎していろ!」
「兄さん……」
いつもは、瞬王子の望むことなら どんなことでもきいてくれていたお兄様が、今日はとても頑なです。
それくらい、瞬王子のお兄様は、この事態に腹を立てていたのでしょう。

「まったく、何のための侍従だ! へたに屈強な護衛兵などつけたら、その方が瞬の身を危険にさらすことになるだろうと思って、特別に侍従に抜擢してやったのに、まったく女というやつはどいつもこいつも役立たずだ!」
瞬王子のお兄様の怒りは、瞬王子の侍女たちにも向けられます。
瞬王子の後ろに控えていた侍女たちを睨み、瞬王子のお兄様は怒り心頭に発したような怒鳴り声を 王宮の広間に響かせました。

こんなセクハラで訴えられかねないようなこと、いつもの彼なら決して口にしない言葉です。
つまり、そんな言葉を無思慮に口にしてしまうほど、瞬王子のお兄様は瞬王子の恋が気に入らなかったのでしょう。
おそらく 氷河が本当に銀色の魚の化身だったとしても、瞬王子のお兄様は同じように怒り狂っていたに違いありませんでした。






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