「死刑だなんて、あんまりだ! 氷河を牢から逃がさなくちゃ!」
お兄様に謹慎を命じられた瞬王子は、自室に押し込められるや すぐに、一瞬の逡巡もなく、いつもの瞬王子らしからぬ断固とした口調で言い放ちました。
その 凛々しくも雄々しい態度に、瞬王子の侍女たちが色めきたちます。

「王様があんな暴君だったなんて、これまでちっとも知りませんでしたわ! 恋は、どんな戦い方をしても、どんな武器を使っても許される、世界でただ一つの戦いですわよ! 王様は、大砲だの鉄砲だのを使った不粋な戦争に血道をあげているうちに、人としての心を忘れてしまったんだわ!」
『厨房や洗濯場の下働きにまわされたくなかったら、今度こそちゃんと瞬を見張っていろ!』と瞬王子のお兄様に脅された侍女たちは、頼まれなくても瞬王子に全面協力するつもりでした。
瞬王子のお兄様に役立たず呼ばわりされて、侍女たちは大いにプライドを傷付けられ、また非常に憤ってもいたのです。

不粋で傲岸なセクハラ&パワハラ国王に目にもの見せてやる! と意気込んで、彼女たちは瞬王子を、お城の北の端にある処刑囚用の牢に連れていきました。
瞬王子のお部屋の前にも、氷河が収容されている牢にも、もちろん見張りの兵はいたのですが、怒れる腐女子の集団に勝てる男が この世に存在するはずがありません。
「国王陛下とのハードやおい本を国中にばらまかれたくなかったら、そこおどき!」
という彼女たちの脅し文句を聞くなり、見張りの兵たちはみな震えあがって、瞬王子の侍女たちの前から逃げていってしまいました。
そういうわけで、この国の最高権力者に謹慎を命じられた瞬王子は、いたって簡単かつ速やかに、牢に閉じこめられている氷河の許に行くことができたのでした。

「氷河……!」
処刑が確定した囚人だけが収容される冷たい石牢の粗末な寝台に、氷河は生きる気力を失った人間のように力なく肩を落として腰掛けてました。
死刑が恐いからではありませんよ。
そんなことではなく――氷河は、愛する瞬王子を他でもない自分自身が傷付けてしまったことに傷付き、また その罪の重さに打ちのめされていたのです。

きっと瞬は卑劣な嘘つきを憎み、悲しんでいるだろう。
自分はもう二度と瞬に許してもらうことはできないだろう――。
氷河はそう思って、人が生きていくために何よりも必要な希望というものを見失いかけていました。
ですから、石牢の鍵を開けて囚人を逃がそうとしている人が、他の誰でもない瞬王子であることを知った時、氷河の心は千々に乱れたのです。

「氷河、氷河、今すぐここを出て! 兄さんの手の届かないところに逃げて!」
「瞬……」
自分を騙し傷付けた男を見詰める瞬王子の瞳には、とても切なげで美しい輝きがたたえられていました。
その瞳に出合った時、氷河の胸に去来したものは、『自分は瞬に憎まれてはいなかったのだ』という喜びではなく、『この健気な恋人の身を守らなければならない』という思いだったのです。

「おまえは、こんなことをしてはだめだ。俺を逃がすようなことをして、おまえがあの冷酷な兄に罰を受けるようなことにでもなったら、俺は――」
そんなことになってしまったら、氷河は、それこそ自分を自分の手で処刑せずにはいられないでしょう。
けれど、氷河のその言葉を聞いた瞬王子は、やはり切なげな目で氷河を見詰めたまま、『大丈夫』と言うように首を横に振ったのです。

「兄さんは、少し怒りっぽいだけなの。氷河が心配するようなことにはならないから……」
「……すまん。俺は、本当におまえに嘘をつくつもりは――おまえを騙したり傷付けたりするつもりは、本当に――」
苦しげな氷河の呻き。
瞬王子は微かな微笑をその目許に刻み、小さく彼に頷きました。

「うん……。氷河は、自分があのおサカナだったなんて、一言も言ってない。僕が早合点しただけで」
氷河は、『銀色の小さなサカナを逃がしてやったことがあっただろう?』と、瞬王子に尋ねただけでした。
それを瞬王子が勝手に、氷河はあの魚の化身なのだと決めつけてしまっただけだったのです。
瞬王子は、氷河を責めるつもりはありませんでした。
悪いのは、早合点した自分だったのだとわかっていましたし、自分が悪かったのだと認めることで、瞬王子は、氷河を信じることができるようになるのですから。

けれど、氷河は瞬王子に首を横に振りました。
瞬王子に早合点されてしまったのは事実でしたけれど、氷河は、それで自分の罪がなかったものになるとは考えていなかったのです。
「俺は処刑されても仕方がない。俺は、おまえが誤解していることを知っていたのに、おまえの誤解を解こうともせず、おまえを俺のものにして――傷付けた」

俺はおまえを傷付けた――と、氷河は言いますが、瞬王子は決して傷付いてはいませんでした――今はまだ。
瞬王子が本当に傷付くのは、氷河の心が――『俺はおまえを愛している』と言ってくれた氷河の言葉が嘘だったときだけ。
そうなのだと、今初めて気付いて、瞬王子は氷河に尋ねたのです。
僕は傷付いていない、どうか僕を傷付けないで――と、祈るような気持ちで、
「氷河が僕を好きだっていうのは嘘だったの?」
と。

もちろん、氷河はすぐに、
「それだけは本当だ――それだけが真実だ」
と、瞬王子に答えてくれましたよ。
呻くように苦しげに、けれど、きっぱりと、嘘の響きのない声と眼差しで。

氷河のその答えを手に入れた時の瞬王子の喜び。
それは、恋する人を信じることのできる自分を見い出した人間だけが感じることのできる、最高の歓喜です。
「氷河は嘘をついていたわけじゃない。僕は、氷河に泡になって消えてほしくなかった。僕がそう思ったのは、僕が氷河を好きだからだもの。だから、氷河にキスされた時も、氷河に抱きしめてもらった時も、それからあの……あの、いつだってどんなことしてる時だって嬉しかった。僕は傷付いてない。氷河は何も悪くない。僕は氷河に生きていてほしい。だから、逃げて」

愛する人に心から愛されていることを確信できる人間が 望むこと。
それは、愛する人に生きていてほしい、生きて幸せになってほしいということだけでしょう。
瞬王子は、今は何のためらいもなく、その望みを望むことができました。
瞬王子は、心から氷河を愛していたのです。
「僕、傷付いてなんかいないよ。僕は氷河が好きなの。僕が人魚だったら、氷河のために声も命も捨てられるくらい。氷河が泡になって消えてしまったら、僕も海の底に沈んで消えてしまいたくなるくらい」

「瞬……」
それは、なんて健気で美しい言葉だったでしょう。
氷河は、自分が瞬王子に憎まれていないこと、瞬が傷付き悲しんでいないことを知らされて、それこそ 瞬王子のためなら命を捨てても構わないと思うほど、瞬王子への思いを深めることになったのです。
そして、だからこそ氷河は、あの横暴な兄の許に瞬王子をひとり残して、自分だけが逃げるわけにはいかないと思いました。
「俺は――俺は、今はただの貧乏漁師で、持っているものは浜にある掘っ立て小屋だけだ。それでもいいなら、瞬、俺と一緒に来てくれないか」
「氷河……」

恋より強い力が、この世にあるでしょうか。
それは、身分や立派な家より はるかに価値のあるもの。
その力は、時には、肉親への愛情をも凌駕します。
瞬王子は、もちろん氷河に頷きました。
もはや氷河と離れては生きていられない自分に、瞬王子は気付いてしまっていたのです。

恋のために身分も家族も捨てる。
それは感動的なまでに美しく劇的でもある行為ですが、まさに『言うは易し、行なうは難し』な行為でもあります。
それは、これまでの生活を捨てる決意と、家族を悲しませることになるかもしれない可能性に耐える覚悟が必要な行為。
深刻で、とても つらく悲しいことでもあるのです。
なのですが。

「駆け落ちですか! きゃ〜、ドラマティック〜!」
二人の決意を知って、盆と正月とクリスマスと花見が一度に来たような盛り上がりを見せる侍女たちのせいで、瞬王子には自分の決意を恐れたり迷ったりする余裕(?)も与えられなかったのでした。






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