「まあ、ほんとに小さな掘っ立て小屋。しかも、なんてワイルドな造り! 見事に何もありませんわ! お部屋は一つだけですし、これは嫌でも 王子様たちは朝から晩まで二人一緒にいるしかありませんわよ!」
「このおうち、へたをしたら瞬王子様のベッドと同じ広さしかありませんわ。つまり、お家全体がベッド! いやん、いやん、なんて素敵〜」

瞬王子の侍女たちは、ブロンズランドの浜にある氷河の掘っ立て小屋が大層気に入ったようでした。
恐いもの知らずの彼女たちは、日に一度はお城から 籠いっぱいの食べ物やお洋服を運んできて、瞬王子と氷河の駆け落ち支援を続けました。
なにしろ、彼女たちは『真実 愛し合っている恋人たちが不幸になることがあってはならない』という確信めいた希望を、その胸に抱いていたのです。
その希望を現実のものにするために惜しむ労力を、彼女たちは持っていませんでした。

氷河の掘っ立て小屋は、彼女たちの言う通り、本当に狭くて粗末な建物だったのですが、瞬王子は毎日そこでとても幸せでした。
それまでお城の中で歴史や音楽のお勉強ばかりしていた瞬王子には、そこでの暮らしは何もかもが新鮮で刺激的だったのです。
氷河と一緒に小さな船で海に漁に出たり、海の底に沈んでいる古代の遺跡を覗き見たり。
氷河は、暖かくなったら瞬王子に泳ぎを教えてやろうと言ってくれました。
そうして、二人で海の底の世界を見物しようと、素敵なプランを語ってくれたのです。
氷河は時には、瞬王子のために海の底から綺麗な真珠を見付けてきてくれることもありました。

でも、瞬王子が何よりも嬉しかったのは、降る雪のように星がきらめく空と海や、夜が明けたばかりの薔薇色の空と海を、氷河と二人で見ていられることだったでしょう。
苦しくなるくらい強く情熱的に氷河に抱きしめてもらう夜を過ごし、その翌朝に 二人で見詰める朝焼けは、本当にうっとりするほど綺麗でした。

氷河は漁師としてはあまり腕はよくないようでしたが、潜水の技にはとても優れていて、その上 瞬王子も敵わないほどの力持ちでした。
彼は、海の底に沈んでいる古代の船や遺跡から、高価な調度や見事な彫刻を引き上げることができました。
それらを売って得られるお金は、二人が暮らしていくには十分なものだったのですが、そこに瞬王子の侍女たちが毎日お城からいろんなものを運んできてくれるので、瞬王子は氷河の掘っ立て小屋での生活に不満や不足を覚えることはありませんでした。
たとえ二人の生活がもっと貧しく苦しいものだったとしても、氷河さえ側にいてくれれば、瞬王子はそれで満ち足りることができていたでしょう。
瞬王子は、氷河と共に生きる毎日がとても嬉しく、とても楽しく、そして、とても幸せでした。

けれど、二人の つつましい幸せの日々は、あまり長くは続かなかったのです。
他でもありません。
瞬王子を捜す 瞬王子のお兄様のせいで、瞬王子の幸せな日々は断ち切られることになってしまったのでした。

「王様はこれまで、瞬王子様たちは国外に逃亡を計るだろうと考えて、国境の方にばかり捜索の兵をまわしていたんですけど、今になってやっと国内潜伏の可能性もあることに気付いたようなんですの。この浜に捜索の兵たちがやってくることもあるかもしれませんわ」
「王様の手の者が ここにやってくるのは いちばん最後になるとは思うんですけどね。まさか、お城の庭も同然のこの浜に瞬王子様たちがいるなんて、思ってもいないでしょうから。灯台下暗しというやつですわ」
「でも、いつかはやってくるわ。王様は、国中をしらみつぶしに捜させているようですもの」
「むしろ、国境の警備が手薄になった今こそ、王様にも手出しのできない国外への脱出を試みるべきなのかもしれないですわ」

侍女たちがもたらした情報を聞いた瞬王子は、真っ青になってしまいました。
もし お兄様に見付かってしまったら、瞬王子のお兄様は今度こそ氷河を処刑してしまうかもしれません。
そんなことになったら、瞬王子は もう一秒だって生きてはいられないでしょう。

けれど、このブロンズランドは瞬王子のお兄様が治める国。
瞬王子様のお兄様が決めたことは絶対の国なのです。
この国にいる限り、氷河の身は危険にさらされ続けることになるでしょう。
自分のせいで、もし氷河が危険な目に合うことになってしまったら――それは、瞬王子には耐え難いことでした。

「氷河……」
まだ、氷河は無事です。
氷河は今はまだ無事な姿で瞬王子の傍らにいてくれたのですけれど、人は恋をすると、幸せに関しても不幸に関しても想像力が豊かになるもの。
幸せの絶頂にあって、最悪の不幸を想像し、つい涙してしまうのが恋する人間というものなのです。
今の瞬王子がそうでした。
これまで誰よりも自分を慈しみ愛してくれたお兄様に 氷河の命を奪われるという 最悪の事態を想像して――想像しただけなのに、瞬王子の瞳には涙が浮かんできてしまったのです。

それまで侍女たちの話を黙って聞いていた氷河は、そんな瞬王子の様子を見て、意を決したようでした。
彼は、涙ぐむ瞬王子の肩を抱き寄せると、今はそうするしかないと言うように固い決意を帯びた口調で、瞬王子に言ったのです。
「こうなっては仕方がない。ゴールドランドに行こう。おまえの兄の手が届かないところで、おまえの兄が冷静になってくれるのを待とう」
氷河が『おまえの兄の手の届かないところに永遠に逃げてしまおう』と言わなかったのは、おそらく瞬王子への思い遣りだったのでしょう。
氷河は本心では、瞬王子のお兄様とは金輪際 顔を合わせたくなかったに違いありません。

「ゴールドランド?」
氷河が口にした国の名に、瞬王子は少なからず驚くことになりました。
ゴールドランドは、確かに瞬王子のブロンズランドとは国境を共にしている いちばん近い外国です。
けれど、ブロンズランドとゴールドランドは、今は停戦中とはいえ戦争をし合っている国同士。
ブロンズランドにいた者が、いってみれば敵国に逃げ込んで無事でいられるものでしょうか。
瞬王子は、とても不安な気持ちになりました。

けれど、氷河は、だからこそ安全なのだと、瞬王子に告げたのです。
瞬王子を取り戻そうとやっきになっている瞬王子のお兄様も、まさか敵の国の内にまでは『ウチの弟がお邪魔していませんか〜』と訪ねてくることはできないだろう――と。

「ゴールドランドは、俺の故国なんだ。俺は戦争が嫌で、半年前に家出してきた」
「家出? 氷河にはゴールドランドに おうちがあるの? 家族がいるの?」
自分の早合点だということはわかっていましたが、最初に氷河は銀色のおサカナの化身だと信じ込んでしまったせいで、瞬王子は、氷河には家も家族もないものとばかり思い込んでいたのです。
けれど、そうではなかったようでした。

「両親は早くに亡くなったが、叔父が一人いる。おまえと暮らした この家と離れるのは名残惜しいが――明日にでもゴールドランドに向けて ここを発とう。何はともあれ、俺たちが離れ離れにならずに済む状況を確保しなくては」
氷河の言うことは至極尤も。
瞬王子の侍女たちも、氷河の決断には賛成のようでした。
お城と瞬王子のお兄様の様子を知っている彼女たちが氷河の決断を適当と思うということは、つまり、それだけ事態は切羽詰まっているということです。

「即断即決、明断果決、大変お見事ですわ。それでこそ、私たちも安心して瞬王子様を任せられるというもの」
「旅費と旅のための衣装は準備してまいりましたわ」
「瞬王子様、ゴールドランドで落ち着き先が決まったら、私たちに必ずお手紙をくださいね」
「王様のことは心配いりませんわよ。1年も一人で放っておけば、王様の方が、瞬王子様が生きていてくれさえすればそれでいい という気になるはずですわ」

瞬王子の侍女たちは、どこまでも楽観的で前向きでした。
その上、判断力も行動力もあります。
彼女たちが味方についた時点で、瞬王子の恋の勝利と成就は確実なものになったのだ――ということができるでしょう。
恋は二人だけでもできますが、その恋を実らせるには周囲の理解と協力が必要。
瞬王子の侍女たちのサポート体制は、まさに完璧でした。

そういうわけで、瞬王子と氷河は、ひとまずゴールドランドの氷河の実家に身を寄せることにしたのです。
瞬王子と氷河は、二人の門出を祝って万歳三唱する侍女たちに見送られ、翌日早朝、これまで幸せな日々を過ごしてきたブロンズランドの浜辺の掘っ立て小屋をあとにしたのでした。






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