「これが……氷河のおうち?」
そうしてやってきたゴールドランド。
ゴールドランドの氷河のお家の前で、瞬王子は呆然とすることになったのです。
ゴールドランドの氷河の家は、瞬王子が期待していたような可愛い掘っ立て小屋ではありませんでした。
それどころか、ゴールドランドの中でいちばん大きくて立派な家でした。
ブロンズランドの海辺にあった掘っ立て小屋の一万倍はありそうな、瞬王子が生まれ育ったお城の5倍はありそうな――それはとんでもないお家だったのです。
それは、ゴールドランドの王様が住んでいる王宮でした。

あまり立派な服装をしているとは言い難い氷河が、お城の門前に立つ衛兵たちに その顔を見せますと、彼等は腰を抜かさんばかりに驚いて、そして、口々に大声で叫び始めました。
「うおおおおお〜! 氷河王子様のお帰りだ〜!」
「王様にお知らせしろ! 近衛兵たち、整列してお迎えにあがれ」
「ラッパだ、ラッパ! ぱんぱかぱーん!」
「氷河王子様のお帰りだぞー !! 」

大きなお城の門前での騒動は、やがて庭園にいた兵たちに伝播し、辺りは右往左往する兵や貴婦人たちで蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。
この分ですと、お城の中も、上を下への大パニックになっていることでしょう。
怯える瞬王子の手をしっかり握りしめた氷河が、その騒ぎに動じる様子も見せず、一直線に王宮に向かって突き進みます。
氷河がお城の入り口に辿り着く前に、右手に王冠を持ち、左手に王様マントを引きずった一人の男性が、転がるように氷河の前に駆けてきました。

王冠と王様マントを手にしているところを見ると、彼がこのゴールドランドの王様――確か、カミュ国王というお名前でした――なのでしょう。
それにしては、彼は随分と威厳に欠けた様子をしていましたけれど。
本当に彼はこの国の王様なのかしらと疑う瞬王子の前で、その王様らしき人は、突然 氷河にすがりつき、おんおん泣き出してしまったのです。
「氷河〜! 半年もどこに行ってたんだ〜!」
「叔父上が詰まらぬ戦争をやめてくださらないので、抗議のために家出をしていました」

泣いてすがってくる王様に、氷河は随分と冷淡です。
おそらく この泣き上戸な人が氷河の叔父君なのだろうと、瞬王子は察しました。
そして、自分には いつもとても優しい氷河の叔父君に対する冷たい態度を、とても奇妙なことだと思ったのです。

氷河の冷淡な態度に、ゴールドランドの王様らしき人は、少しむっとした顔になりました。
おもむろに姿勢を正し、今更ではありますが、ちょっと威張った声で、
「私は、おまえの名誉のために戦っていたのだ!」
と言い放ちます。
そうしてから、氷河の横に ちょこんと立っている瞬王子にやっと気付いた様子で、彼は氷河に尋ねました。
「おや、こちらの美しい姫君は」

瞬王子は お姫様のようなドレスを身につけていたわけではありませんでしたので、カミュ国王の勘違いに、大変傷付きました。
とはいえ、その時の瞬王子の服装は、貧乏貴族か裕福な市民の子弟の普段着――のようなもの。
王子様マントをつけていないのだから誤解されても仕方がないと考えた瞬王子は、カミュ国王の誤解を責めることはせずにおくことにしました。
貧乏貴族か裕福な市民の子弟の格好をした男子を どこぞの姫君と見間違わせてしまうあたり、問題は瞬王子の方にあるような気もしますけれどね。

瞬王子の姿と、カミュ国王の目。
そのどちらに問題があるのかということは、けれど、この場ではどうでもいいことでした。
氷河がすぐに、
「王子だ。ブロンズランドの」
と言って、カミュ国王の誤解を解いてくれましたから。

「なに?」
氷河の言葉を聞いたカミュ国王が、ぎくりと身体を強張らせます。
その驚き方は、瞬王子が女の子でないことを知らされた普通の人の驚き方とは どこか何かが違っていて、瞬王子はカミュ国王の様子に違和感のようなものを覚えたのです。
そんな瞬王子を振り返り、氷河は瞬王子にいいました。

「俺はどういうわけか、ゴールドランドの王子ということになっている。だが、俺は嘘をついていない」
瞬王子にそう告げる氷河の瞳には、確かに嘘の影は全くありませんでした。
瞬王子には、もうすべてがわかっていました。
世間知らずの箱入り王子様ではありましたが、瞬王子は決して愚鈍な人間でも暗愚な人間でもありませんでしたから。

あの時の・・・・俺はしがない貧乏漁師で』
今は・・ただの貧乏漁師で』
氷河は、彼が生まれた時から貧乏漁師だったとは、一度だって言ったことがなかったのです。
「うん……」
本来は明敏で聡明な瞬王子は、今では 氷河の考え方も言動の癖も ちゃんと把握できていました。
そして、彼の誠意を信じることができるようになっていたのです。
そんな瞬王子にも、なぜゴールドランドの王子様がブロンズランドの浜で貧乏漁師をしていたのか、その理由まではわかりませんでしたけれど。
瞬王子が首をかしげると、氷河は途端に嘆かわしげな顔になり、その理由を瞬王子に語ってくれたのです。

「おまえは、ゴールドランドとブロンズランドの戦争の原因を知っているか」
氷河に問われたことに、瞬王子は首を横に振りました。
戦争の原因なんて、そんなことは知りたくなかったので、瞬王子はお兄様に訊いたことがなかったのです。
領地を侵犯したとか侵犯されたとか、関税が高すぎるとか低すぎるとか、戦争の理由なんて、どうせ欲得づくのことに決まっています。
瞬王子は、大好きなお兄様を欲の皮の突っ張った人間だとは思いたくありませんでした。
けれど、実はブロンズランドとゴールドランドの戦争の理由は、そういうマトモなものではなかったのです。
氷河は、その手で瞬王子の頬に触れ、ブロンズランドとゴールドランドの戦争の馬鹿げた原因を、腹立たしげに、けれど優しく、瞬王子に教えてくれました。

「原因は、黄金のリンゴだ。ブロンズランドとゴールドランドとシルバーランドの国王が年に一度の首脳会談を開いていた時、その席上に、争いの女神が『最も美しい王子へ』と記された黄金のリンゴを放り込んだんだ。それが 俺とおまえとシルバーランドの王子、3人の中の誰かに与えられるものだと言って」
「シルバーランドの王子は問題外だ。ただの大食らいの能天気。その件についてだけは、ブロンズランドの国王と私の意見は合致している。シルバーランドの魔鈴女王も我等と争う気はないと宣言していたしな。しかし、これは――」
氷河の言葉に補足説明を加えてから、カミュ国王は、瞬王子を値踏みするようにじろじろと見て、それから おもむろに顔をしかめました。

ゴールドランドとブロンズランドの戦争の原因は、最も美しい王子様に与えられるべき黄金のリンゴ。
自国の王子こそがその栄誉を受けるべきだと信じて、カミュ国王はこの戦争を始めたのです。
氷河のライバルが、どんな王子なのかということを確かめもせずに。
カミュ国王の頭の中にあったのは、瞬王子のお兄様の姿から適当に想像してできあがった、むさくるしい王子様像だけだったのです。
けれど――。

身内を贔屓して見ても、身贔屓を排除して なるべく客観的に判断しようとしても――二人の王子様の評価はどうしたって『甲乙つけ難い』あたりが妥当です。
カミュ国王は、その事実を認めないわけにはいきませんでした。

瞬王子は、そんなふうには思っていなかったのですけれどね。
瞬王子の評価は、カミュ国王のそれのように中途半端なものではありませんでした。
「氷河の国と僕の国の戦争って、僕と氷河が原因だったの? どうして? 僕なんかより、氷河の方がずっとずっと綺麗なのに!」

それは、瞬王子にとっては、火を見るより明らかな事実でした。
ですから、瞬王子は、確信に満ちた口調で そう断言しました。
途端にカミュ国王が、瞬王子の言葉に非常に気をよくして、
「実に正直で見る目のある聡明な姫君ではないか」
と的外れの賞讃を口にします。

氷河は、そんな叔父君の言葉を異議を唱える価値もないものと決めつけ、華麗に無視しました。
そして、やはり確信に満ちた口調で、瞬王子にきっぱりと告げたのです。
「俺には、おまえの方がずっと綺麗に見える」
カミュ国王が、今度は、押し潰された おまんじゅうのように低い声で呻き声を洩らします。
それもまた、誰にも否定できない一つの意見でした。

要するに、外見の美しさというものは、そういうものなのです。
『我が国の王子が世界で最も美しい』という主張は、どれも正しく、どれも間違っているのです。
正義と真実は、両国にあり、同時に、両国にないのです。
真実は、それぞれの王子様を見る個々の人間の心の中に、それぞれの王子様を見る個々の人間の心の数だけ存在します。
真実は一つだけではないのに、自分の真実だけが世界で唯一の真実だと、よりにもよって一国の王様たちが思ってしまったせいで、ブロンズランドとゴールドランドの戦争は勃発したのでした。

「そんな詰まらないことのために……」
「争い事や対立の原因なんて、そんなものだ。それは大抵はプライドのせいで起こる」
「そんなリンゴなんかもらっても、僕はちっとも嬉しくないし、もしもらえたら、僕はそれを氷河と半分こするよ」
ゴールドランドとブロンズランドの王様たちはあまり賢くないようでしたが、幸いなことに、両国の王子様たちは、自国の王様に似ず大変賢明でした。
『賢明』とか『お利口』とか、そういう事柄は、要するに自分以外の人の心や立場を考え、認め、思い遣れるかどうかで決まることなのです。
瞬王子と氷河は、何よりも大切な その思い遣りを、恋を知ることによって、自らの心に育むことができていました。

もっとも、瞬王子がここで、『僕と氷河とシルバーランドの王子様とで三分の一ずつにするよ』と言わなかったのは少々配慮に欠ける発言だったかもしれません。
けれど、リンゴを平等に三分の一に切るのはとても難しいことですから、それは致し方のないことですよね。
その場にいた者たちは皆、瞬王子の『リンゴを半分こすればいい』という解決策を褒めこそすれ、瞬王子の配慮のなさを責めるようなことはしませんでした。
そして、カミュ国王も、この利発で優しい隣国の王子様を国賓として手厚く もてなすことを即座に決定できるほどには、賢明さを備えている王様だったのです。






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