そういう経緯で。 その夜、城戸邸に起居している聖闘士たちは、皆で和気藹々と、自分たちが修行を積んできた地域での習慣・慣習について報告し合ったのである。 世界には思いがけない習慣やルールがあるもので、聖闘士たちの話題は尽きず、彼等は思いがけず楽しい時間を過ごすことになったのだった。 その夜の仲間たちとの語らいの時は、瞬にとっては、日本に帰国してから初めて、心にただ一片の翳りもなく、仲間たち全員と打ち解け親しみ合うことのできた時間になった。 瞬は 文字通り時間を忘れて仲間たちと語り合い、アテナの聖闘士たちがそれぞれの部屋に戻ったのは深夜になってから。 氷河が瞬を部屋の前まで送ってくれたのは、彼等の部屋が隣り合っているからではなく、それも“ロシアの習慣”だと、氷河は笑って言った。 氷河のその言葉が冗談なのか本当のことなのか、瞬はあえて確かめようとは思わなかった。 瞬の部屋のドアの前で、 「よかった。俺の方こそ、おまえに嫌われているんだと思って――ずっと落ち込んでいたんだ」 と告げた氷河の口調と眼差しは冗談と割り切ってしまうにはあまりに真剣で、もし彼の言う“ロシアの習慣”が冗談にすぎなかったとしても、その冗談は別の真剣な思いを伝えるために作られた冗談であるように、瞬には感じられたので。 氷河の素っ気ない態度に傷付いている(つもりでいた)自分の方が、どれだけ彼を傷付けていたのかを思い知らされた瞬は、自身の軽率と無知を心から悔いていた。 「ごめんなさい、僕が何も知らなかったばっかりに……。氷河に嫌われてるのは僕の方だって、勝手に一人で思い込んで、氷河に居心地の悪い思いさせて――」 「俺がおまえを嫌っているはずがないだろう。俺はガキの頃からずっと おまえが好きだった」 「え」 「いや……。おまえが生きて帰ってきてくれて、本当に嬉しかった」 「氷河……」 そう言って、氷河が再び瞬の身体を抱きしめてくる。 これは“冗談”ではなくて、星矢でも知っているロシアの習慣。 瞬はもちろん、氷河の腕と胸の中から逃れようなどということは考えもしなかった。 それがロシアの習慣であっても そうでなくても――氷河と触れ合っていることは、瞬には本当に心地良く感じられることだったから。 冷たいに違いないと思っていた氷河の頬は温かく――むしろ、熱いほどだった。 瞬は氷河の胸の中で、冷えているのは自分の身体の方なのではないかと疑いさえしたのである。 氷河の唇が、瞬の唇に重なってくる。 唇を舌でなぞられ、瞬は小さな声を洩らした。 「あ……これもロシアの習慣なの」 氷河が微かに頷く。 瞬はもう、それが冗談なのか本当のことなのかを確かめたいとも思わなかった。 氷河と触れ合っていることは心地良いのだ。 「唇が赤いのは、表皮が薄くて、そのすぐ下に流れる血液が透けて見えるせいなんだ。人間の身体の中で いちばん正しい体温を確認できる場所でもある。おまえ、少しばかり身体が冷えてるようなんで、少し心配になった」 「氷河が熱いだけだと思うけど――」 「俺は普通だ」 氷河の――ロシアの―― 瞬の唇は、いつのまにか微笑の形を作っていた。 「氷河の『普通』くらい信用ならないものはないよ」 「おまえが自分を『大丈夫』と言う時と同じくらい?」 そんな他愛のないやりとりを、互いの唇が触れ合うほど近くで交わし合う。 瞬は、その唇に微笑を刻んだままで、氷河の顔を見上げた。 そこに、“他愛のないやりとり”を交わしているにしては真剣すぎるほど深い青色をたたえた瞳があることに気付き、瞬は我知らず息を呑んだのである。 急に気恥ずかしさと、いわく言い難い緊張感に襲われて、瞬は慌てて氷河の瞳から視線を逸らした。 「お……おやすみなさい」 そして、就寝の挨拶を告げて、瞬は自室の中に戻ろうとした。 部屋のドアにのばされた瞬の手の上に、氷河の手が重なってくる。 「瞬。もう一つ、寒い日のロシアの習慣を教えてやろう」 という氷河の囁きが、瞬を彼の許に引きとめた。 |