もともと同じような境遇にあり、同じ“オトナの理不尽”に振り回され、似たような孤独と修行に耐えて聖闘士になった者たちである。 そんな者たちが同じ目標を与えられ、力を合わせて共に戦う状況に投げ込まれたのだから、彼等の友情が強固なものになり、その親密度が増していくのは ごく自然なことだったろう。 氷河と瞬の間にあったわだかまりが消えると、瞬は、自分が戦わなければならないことに思い悩むことはあっても、人間関係での悩みを悩むことはなくなり、元の人なつこさと明るさをすぐに取り戻した。 ――瞬の仲間たちの目には、そう映っていた。 だからこそ、春が近付くにつれて瞬の表情が再び翳りを帯び出したことを、星矢は訝ることになったのである。 原因は、今回も氷河――らしい。 瞬の態度が妙にぎこちなくなるのは、今回も氷河に対してだけだった。 「なんだよ、氷河と喧嘩でもしたのか?」 また習慣の違いのせいで何かトラブルでも生じたのかと、星矢は瞬に探りを入れてみたのだが、瞬の返事は実に要領を得ないものだった。 「ううん、そんなことないよ。ただ」 「ただ?」 「春がくるから……」 「春がくるから……?」 確かに、アテナの聖闘士たちの故国では冬が終わりかけていた。 日中の陽射しは一日一日暖かさと眩しさを増し、アテナの聖闘士たちは、城戸邸の庭のいたるところで日々新しい緑色のものを発見するようになっていた。 だが、それが、瞬の気落ちといったいどう結びつくのか。 普通、人間の心身は、他の動植物同様、春になれば活気づくもののはずである。 日光の少ない冬にだけ発症する冬期鬱病の人間も、春には快方に向かう。 春が来て勢いが減じていくものは、庭の片隅に取り残された雪だるまだけと相場が決まっているのだ。 だが、瞬の意気消沈の原因が、すべての生き物を蘇らせる春という季節のせいだというのは事実のようだった。 星矢が瞬の気落ちの理由を探ろうとして要領を得ない答えしか手に入れることができなかった日の2日後、まるで季節が真冬に戻ったように日本を大寒波が覆った その日。 瞬は、突然真冬の頃の元気で快活で上機嫌な瞬に戻ってしまっていたのである。 「春の風にしては冷たそうだな。これじゃあ春風じゃなく木枯らしだ」 窓の向こうの庭の木々が新芽も引っ込んでしまいそうなほど冷たい風に身をすくませている様を見て、星矢が口にした独り言。 昨日まで異様にふさぎこんでいた瞬が、その独り言に、 「ほんとだね!」 と、やたらと嬉しそうに相槌を打ってくるのに、星矢は首をかしげることになったのである。 何はともあれ、瞬の気鬱が解消したのなら結構なことだと考えて、星矢は瞬に頷き返した。 「確かに変な天気だよな。今日は、最低気温が日中に出るんだとさ。夜にはまた暖かくなるらしい」 「え……」 久し振りにお目にかかった瞬の明るい笑顔。 だが、それは瞬く間に瞬の上から かき消えてしまった。 瞬の頬は今は蒼白で、完全に血の気が引いている。 「瞬、どうかしたのか?」 「氷河……氷河を捜さなきゃ……」 「氷河? え。おい、瞬!」 いったい この1分足らずの間に、瞬をここまで変えてしまう何が起こったのか。 星矢は瞬を引き止めて理由を問い質そうとしたのだが、瞬の耳に仲間の声は届いていないらしい。 瞬はそのまま ふらふらと覚束ない足取りでどこかに消えてしまったのである。 瞬はやはりどこかがおかしい――と、城戸邸の廊下に一人残された星矢は思った。 紫龍あたりに相談してみるかと気を取り直し、星矢はその足でラウンジに向かったのである。 が、あいにくその場に龍座の聖闘士の姿はなかった。 庭にでも出ているのかと考えて、星矢がラウンジから続くベランダに出た時だった。 瞬が捜しているはずの氷河が、ラウンジの中に入ってきたのは。 少し遅れて、瞬もそこにやってくる。 氷河を見付けることのできた安堵のせいか、あるいは喜びのせいなのか――氷河の姿をその場に見い出した途端、瞬は、その瞳にたたえていた憂いの色を即座に消し去った。 瞬の瞳は氷河の姿をしか映しておらず、瞬は、ベランダに星矢がいることには気付いていない。 3人掛けのソファの中央に腰をおろしている氷河の前に、瞬は、鞠が弾み転がるような勢いで駆け寄り、そして気負い込むように、 「氷河、今日、寒いよね!」 と大きな声で言った――主張した。 「ん?」 ラックにある雑誌に手を伸ばしかけていた氷河がその手をとめ、瞬の顔を見上げる。 「き……今日は昨日より 10度以上寒いんだって。だから、あの――」 「おまえも寒いのか」 「う……うん」 瞬の返事を聞いて、氷河は雑誌を読むのをやめたらしい。 彼は、その手を瞬の方に差しのべて、 「こっちに来い」 と、瞬に告げた。 途端に、瞬の表情は目に見えて輝度を増した。 その年の最初の春の陽光に出合った野の花もかくやとばかりに、瞬はその表情を――否、むしろ全身を明るく輝かせたのである。 瞬は、そして、自分から氷河の膝の上に腰をおろし、その腕を氷河の首に絡めていった。 (へ……?) いったい瞬は何のつもりでそんなことをと混乱する星矢の視線の先で、氷河が瞬の腰を抱き寄せ、瞬の喉許に唇を押し当てる。 『いったい何のつもりで』も『そんなことを』もない。 これは、どこから何をどう見ても『あれ』の前哨戦だった。 「あ……っ」 瞬の唇から洩れる声は、既に なまめかしい艶を帯びている。 氷河は、瞬が身に着けているシャツのボタンを器用に左手だけで外していく。 「ん……」 瞬の両手の指は氷河の髪に意味ありげに絡み、その上体と腰は更に意味ありげに もどかしげに氷河に絡みついていた。 (ちょ……ちょっと待て。あの二人、こんなところで何を始めるつもりなんだ…… !? ) あまりにわかりきったこと、あまりに今更なこと、直感では感じ取れていたことを、星矢は、木枯らしが吹きつけてくるベランダで やっと言葉を用いて考え始めたのである。 わかりきってはいても、あまりに意想外なこの展開が、室内の二人とベランダに立っている星矢との間に、軽く5分ほどのタイムラグを生じせしめていた。 そうとしか思えないほど、星矢の思考はスローモーになってしまっていた。 「あっ……あっ……ああっ」 星矢の思考が牛の歩みのようにゆっくりと進行している間にも、瞬の声は 速やかに その艶を増し、間歇的な喘ぎに変わっていく。 瞬のシャツのボタンをすべて外し終えた氷河は、どう見ても その舌で瞬の胸を舐めていた。 そのたびに瞬の嬌声が室内に細く響き、瞬は全身を身悶えさせて、白い喉を大きくのけぞらせた。 「氷河……ああ……!」 (う……わ……) 自分はどうするべきなのか。 このまま、ここで、二人のすることを邪魔せずに見ているべきなのか。 勇気を出して、ここに第三者がいることを二人に知らせるべきなのか。 はたまた、二人が我を失う時を待って、二人に気付かれぬよう逃亡を計るべきなのか。 その答えに辿り着く前に、星矢は、氷河の手が瞬の下半身に伸びていくのを その目で見てしまったのである。 この二人は、本気でここでフィニッシュまでいくつもりでいるのだ――と悟った時が、星矢の我慢の限界だった。 「そこまでーっ !! 」 ほとんど怒声に近い大声をあげて、星矢は、瞬と氷河のいるラウンジの中に飛び込んでいった。 とはいえ、なるべく氷河たちとの間に距離を置きたい気持ちが強かったので、星矢はすぐにラウンジの壁にへばりつくことになったのだが。 「せ……星矢?」 瞬の声が氷河の金髪越しに、星矢の許に届けられる。 星矢は喉をひくつかせた。 「と……止めはしない。止めはしないぞ。だが、俺がこの部屋を出るまで一時中断しろ!」 それは、星矢なりに二人の仲間に気を配った上での、ごく控えめな要求だった。 であるにも関わらず、突然その場に現われた闖入者に、瞬が、恨みがましげというか悩ましげというか――ともかく星矢の気持ちを更に混乱させるような視線を向けてくる。 その視線は、あろうことか、『邪魔者には、コトが一段落するまで、木枯らし吹きすさぶベランダで息を潜めていてほしかった』と言いたげに、星矢を責めていた。 ――責めているように、星矢には感じられた。 星矢は、さすがにむっとしてしまったのである。 仮にも公共の場で場所柄もわきまえず 超個人的な行為に及んでいる二人に、星矢は彼にできる限りの気配りを示してやっていた――少なくとも、星矢はそのつもりだった。 その仲間に対して、そんな非難がましい目を向ける権利が、今の瞬にあるだろうか。 「なんだよ、そっちがあとから来たんだぞ! こんなこと、夜やれよ! 夜、自分たちの部屋でさ!」 「夜じゃ間に合わないから、今してるんじゃない!」 「夜じゃ間に合わないって、なんでだよ! たった数時間も我慢できねーほど、おまえらはイロキチガイなのか? それとも、おまえら、夜になるとデキなくなる病気でも抱えてんのかよ!」 一気にまくしたててしまってから、さすがに言い過ぎたと、星矢は自分の発言を後悔した。 星矢にその発言を後悔させたのは、星矢を責める瞬の瞳に涙がにじんでいること、星矢を責める瞬の声が涙声だったこと――の二点。 つまり、星矢は、自身の発言の内容自体を悔いたのではなく、発言行為それ自体を悔いたのだ。 「今日は夜には暖かくなるって言ったの、星矢じゃない。これは寒い日だけの習慣なのに……!」 「寒い日だけの習慣?」 「瞬。やはり今はやめよう」 今 何か非常に重要なキーワードを聞いた――と、星矢が思った時、それまで沈黙を守っていた氷河が突然、瞬と星矢のやりとりを強制的に終了させた。 途端に、瞬が絶望したような目になって、そのまま項垂れてしまう。 何も悪いことをしていない不運な仲間を責めることはできるくせに、瞬は氷河の一方的な中断宣言には文句の一つを言うこともできないらしい。 氷河にすっかり飼い馴らされてしまっているような様子の瞬を見て、星矢の疑惑の目は、思い切り氷河に向けられることになったのである。 「氷河……! でも、僕……」 「夜になったら いいことを教えてやるから、今は俺の言う通りにしろ。服を直して部屋に戻っていろ」 「……」 きっぱりした口調での氷河の指示に、泣きそうな目をして小さく頷く瞬の様子は、飼い主の躾が行き届きすぎて臆病になった子猫のそれに酷似していた。 |