あれ・・は寒い日のロシアの習慣だって大嘘ぶっこいて、瞬をものにしただとぉー !? 」
瞬の姿の消えたラウンジに、遠慮会釈のない星矢の声が響く。
防音設備が完備されている城戸邸で、星矢の怒声がラウンジの外にまで響き渡ることはなかったが、怒りを含む星矢の驚愕の小宇宙は、その場に龍座の聖闘士を呼び寄せることになった。

巨悪の根源は、やはり瞬ではなく氷河の方だった――のだ。
瞬は、今回もロシアの習慣に――氷河の捏造したロシアの習慣に――いいように振り回されていただけだったらしい。
「瞬は、あれは夏場にはできないものだと思い込んでいる。それで、あせっているんだ。できるうちにできるだけしてもらおうと」

しゃあしゃあと そんなことを言ってのける氷河に、星矢はしばし呆れて声を失ってしまった。
もちろん“しばし”の間だけである。
氷河に躾けられて彼の横暴に文句一つ言えなくなってしまっている瞬の分も、星矢は白鳥座の聖闘士を糾弾してやらなければならなかったのだ。

「思い込まされている、だろ! ほんとのこと言ってやれよ!」
「今しかできないのだと思っているせいで、瞬が積極的なんだ。これは滅多にない事態だ。俺としては、楽しめるうちに楽しめるだけ楽しんでおきたい」
「おまえだけが楽しんでていいことか、これは! だいいち、寒い日の習慣なんて教え込んで、夏になったらどーするつもりだったんだよ! 禁欲に走るつもりでいたのか!」
「それはできない」
星矢の詰問に、氷河はあっさりと否定の答えを返してきた。
それはそうだろうと、星矢も思う。
自分に禁欲を課すことのできる男は、そもそも瞬をあんなふうに飼い馴らそうなどということを考えはしないだろう。

「おまえ、好きなのか、瞬が。ちゃんと好きなんだろうな」
「当然だ」
「なら、早く本当のことを言って、瞬を安心させてやれよ」
好きなら嘘などつくべきではない。
星矢には、それは、改めて正否を考えるまでもない、人としてあるべき道だった。
好きな相手を嘘で言いくるめて自分のものにするなどという行為は、星矢の常識と仁義に照らし合わせれば、相手を心から好きではないからこそ しでかしてしまえる卑怯千万な悪行だったのだ。

が、氷河は、仁義より実利を重んじるタイプの男らしい。
彼は仁義を通すことで彼が被ることになる不利益に言及し、星矢に抵抗してきたのである。
「それでは俺は瞬に嘘を教えたことになる。俺は、瞬に嫌われたくない」
「嫌われても仕方がないだけのことをしたんだろ」
「瞬を好きだからだ」
「好きだから、嘘ついてものにしていいって法はないだろ。好きな相手に、そんな卑怯、最低だぞ」
「だからといって、わざわざ事実を知らせて、瞬を傷付ける必要はないだろう」

いくら責めても、氷河は一向に動じる様子を見せなかった。
氷河は、目的が正当であるならば、その目的遂行のための手段が多少卑怯卑劣でも許される――とでも考えているらしい。
氷河が、自身の卑劣を省みることなく あまりに泰然自若としているせいで、逆に星矢は自分の常識の方がおかしいのかと、自信を失いそうになってしまったのである。
「紫龍! この馬鹿に何か言ってやってくれよ!」
氷河との言葉の応酬に疲れ、星矢は紫龍に助勢を求めた。

星矢からバトンを受け取った紫龍は、一度 低く咳払いをしてから おもむろに、超基本的な質問を白鳥座の聖闘士に投げかけた。
「瞬もおまえを好きなのか。それは確かめたのか」
「……俺と寝るのは嫌いじゃない……と思う」
氷河は、その重要事項の確認を怠っていたらしい。
彼の確固たる口調は、紫龍のその質問を受けて初めて、断言口調でないものに変化した。
「それはまた……。本当に最低な男だな、おまえは。こんな男に いいように振り回されている瞬が哀れだ」

自身の卑劣を糾弾されることには罪悪感も覚えないが、瞬を“哀れな人間”にされてしまうことは、氷河にも決して快いことではなかったようだった。
やっと自身の非を自覚するに至ったらしい氷河が、ついに弁解じみた言葉を紡ぎ始める。
「詰まらぬ誤解で失った時間を、俺は一刻も早く取り戻したかったんだ」
攻守が入れ替わったことを認め、その事実に力を得て、星矢は再び氷河攻撃を開始した。
「一刻も早くって、そんなに急ぐ必要がどこにあるんだよ! 時間はたっぷりあるのに、瞬に嘘をついてまで! これじゃ、まるで騙し討ちじゃないか! 何がロシアの習慣だよ!」

氷河は決して、二人がかりで責められたのでは自分に勝ち目はない――と観念したわけではないようだった。
そして、彼は、それまで自分の非を全く自覚できていなかったわけでもなかったらしい。
「俺は、おまえほどには 盲目の希望の恩恵を享受できていないんだ」
そう言い残して 仲間たちの前から立ち去る時、氷河は既に、先程までの挑戦的かつ攻撃的な気配を その身にまとってはいなかった。






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