瞬が“頑張る”ことができたのは、兄との約束、氷河の思い、自分はもう一度 あの心優しい仲間たちに会うのだという苦しいほどの願い――に支えられ、突き動かされてのことだった。 そして、それらとは別に、非力な子供が聖闘士になる修行を積むべく送り込まれたアンドロメダ島で、瞬に選択肢が与えられたから――与えられてしまったから――だったろう。 アンドロメダ島での生活を始めて1ヶ月が過ぎた頃、瞬の師であるアルビオレは、瞬に思いがけないことを教えてくれたのである。 「この島に来た者は、聖闘士にならずに この島を出ることもできるのだ」と。 アルビオレは、アンドロメダ島に送り込まれてきた聖闘士候補の子供たちを観察し、その性格を見極めた上で、その事実を知らせるか否かを判断しているようだった。 『生き延びるには聖闘士になるしかない』と思っている方が“頑張れる”子供には、彼は その事実を教えることはしないらしい。 瞬は、彼が教えられたことを他の者たちには知らせないようにと、アルビオレから堅く口止めをされた。 聖闘士にならなくても、生きてこの島を出ることができる――。 アルビオレから知らされた その事実は、言ってみれば、背水の陣を敷いて趙軍と戦うつもりでいた漢軍の兵から、背後の河を奪うこと――逃げ道が与えられることだった。 兄や仲間たちから引き離され、決死の思いで この島にやってきた瞬は、アルビオレにその話を聞かされた時、少々――否、大いに――気が抜けてしまったのである。 そうしようと思えば いつでも生きてこの島を出ることができる――とは、何というなまぬるい試練なのか、と。 もっとも、聖闘士候補の子供がそうするには 一つだけ条件がつけられていた。 聖闘士候補の子供をこの島に送り込んだ者・組織との取り決めや、守られなければならない聖域の秘密保持の観点から、その子供は元の場所に帰ることは許されない――という条件が。 『聖闘士になって、仲間のいる故国に戻る』か『聖闘士になることを諦めて、一人で生きる道を選ぶ』か。 それが、瞬に前に示された二つの道だった。 そのどちらかを選んでいいと言われて、悩み、迷い、そうして、瞬は最後に、『聖闘士になる』道を選んだのである。 初めて、自分の意思で。 自分が選んだ道だから――瞬はその目的の実現のために力を尽くさないわけにはいかなかった。 『僕は聖闘士になる。そして、兄や仲間たちの許に戻る――戻りたい』 誰に強いられたのでもなく、瞬は心からそう願ったのだから。 それが他人に与えられ強いられた道ではなく、自分が選んだ道だったから――瞬は泣き言を言うわけにはいかなくなった。 自分の進む道を自分で選ぶということは、そういうことだった。 『自分が選んだ道ではない』という事実によって、それまでの瞬には、愚痴や泣き言を言う権利が与えられていた。 だが、自分で選んだ道には、選んだ人間が責任を負わなければならない。 自分が自分の生き方を選ぶということは、自分の人生の責任を我が身で負うということなのだ。 その“責任”が、瞬の心と身体を強くしていった。 |