氷河が向かったK市は、大戦前から裕福な欧米人が数多くの洋館を構えたことで有名な港町である。
冥王家の本家の屋敷だという建物も、英国風の実にハイカラな建物だった。
市の中心から かなり離れた場所に屋敷を構えたのは、坂の多いこの町で、より広い平地を求めた結果なのだろう。
かろうじてK市の行政区域内と言える、他にほとんど人家のない郊外に、その贅沢な洋館はあった。
さすがは畿内の帝王の本宅、ここに屋敷を構えるために山を一つ二つ取り崩したのではないかと思えるほどの広大な敷地。
建物は英国風だったが、その庭は 所狭しと花樹を植える英国人のやり方を踏襲してはいなかった。
それは米国風――なのだろうか。日々の手入れにどれだけの人手が必要なのかと溜め息を洩らしたくなるような 見事な芝が広がっている。
庭には ところどころに高木が植えてあり、東屋や小舎が幾つも建っていた。
もちろん母屋の壮麗なことは言うまでもない。
この邸宅の造営と維持には、へたな製鉄工場の建造より金がかかっていそうだった。

だが、その屋敷には、屋敷それ自体よりも価値のあるものが――無論、氷河の価値観でだが――あったのである。
つまり、氷河は、冥王家の屋敷に到着したその日のうちに“その気”になってしまったのだった。

城戸財閥総帥の名代という肩書きの力は絶大だった。
ロシア人を母に持つ氷河の、完全に日本人のそれではない容姿も、氷河を特別な人間に見せることに役立ったのだろう。
正面玄関で氷河を迎えた女中――メイドと呼ぶべきか?――は、氷河の姿を見、その肩書きを聞くや、都会の真ん中で白クマに出会った愛玩用の小犬のように飛び跳ねて、飼い主のところに逃げていってしまった。
その後、黒いドレスを身に着けた、先のメイドより はるかに落ち着いた女がやってきて、氷河を客間に案内してくれた。
もちろん和室ではない。
欧風のソファ、テーブル、調度。
どれも実に贅沢なものだった。
そこで待つこと約5分。
やっと冥王家の現当主――仮の当主――が、氷河の前に登場したのである。






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