貴人の薬壜、ヴァイオリンケースの鍵、バーカウンターの酒。 薬は、いつでも誰にでも仕込むことができる。 これは、容疑者のアリバイを調べることはほぼ無意味な事件だった。 「だから、兵庫県警は動機から犯人を探り出すことにしたようだぞ」 と、星矢は言った。 「というより――それ以外、犯人に辿り着く道を見い出せずにいるというのが本当のところだろうな」 というのが、紫龍の弁。 彼等は、その日、官僚の中の官僚たる大蔵官僚(の下っ端)が 上司のさもしい指示に逆いきれずに こんなところまで出張してきたことを口止めするために、わざわざ冥王家まで赴いてきていた。 もっとも それは表向きの理由で、正体のばれた彼等が再び冥王家にやってきた本当の理由は、日本一の無能である友人の身を案じたのと、そして抑え難い好奇心のゆえだったろう。 「これで、冥王家先代の遺言にあった三人が三人とも瞬の夫になる権利を失ったことになるわけだ。となると、常識的に考えれば、犯人は別にいることになる。そして、あの三人がそういうことになって、いちばん得をするのは――」 「そんな輩はいくらでもいる!」 紫龍が瞬の名を出そうとしていることを察して、氷河はすぐさま友人の言葉を遮った。 冥王家の客間に氷河の怒声が響き、その残響音を聞いた氷河は、この場に瞬がいなくてよかったと、まず思ったのである。 三人目の雄人の事件を知らされた時から、瞬はずっと自室で伏せっていた。 「そんな輩はいくらでもいる……! あの三人が 「そう言いたいおまえの気持ちはわかるけどさ。あの三人が瞬の配偶者になる権利を失うことでいちばん得するのは、どう考えても瞬だろ。瞬は、あの三人を嫌ってたっていうし」 「……」 氷河には喜ばしい その事実を、今 この場で積極的に認めることは、瞬の益にならない。 氷河は口許を引きつらせ、かろうじて沈黙を守った。 「嫌いな男を夫に迎えるのって、女にとったら、死んだ方がましだって思えるくらい、ぞっとすることなんじゃねーの?」 「おまけに、瞬には最近好きな男ができたという話だしな」 「好きな男?」 紫龍が聞き捨てならないことを言う。 氷河の唇は、また別の意味で引きつった。 そんな氷河に、星矢が、からかいの色の全くない表情を浮かべて、おもむろに頷いてみせる。 「冥王家の使用人たちが口を揃えて言ってるんだ。『最近、瞬様は城戸家からいらした客人の姿を見詰めては、切なそうに溜め息をついてばかりいる』って」 「だ……だとしても、瞬にそんなことができるわけがない! それで言うなら、瞬より俺の方がよっぽど怪しいじゃないか!」 「そうなんだよ。兵庫県警では、おまえは瞬に次ぐ重要参考人。なにしろ、冥王家の使用人たちは、『城戸家からいらした客人が瞬様を見詰める目は、瞬様を熱烈に恋している男の目だ』って口を揃えて言ってるんだから」 「俺が、重要参考人?」 本物の“兵庫県警のもの”たちは、いったいどうしてそんな突拍子のない推理をすることになったのだろう。 その日、氷河は生まれて初めて、“開いた口がふさがらない”を己が身で実演することになった。 |