“城戸氷河”がこの事件の犯人でないことは、氷河自身がいちばんよく知っていた。 氷河以外にも、あの三人を嫌い、除きたいと願っている者はいくらでもいただろう。 これは、それこそ日本中の男たちが容疑者たりえる事件なのだ。 その容疑者たちの中に自分が含まれていることは、氷河にとっては、至極不本意であり、また至極当然とも思える事実だった。 更に言うなら、この連続傷害事件の容疑者は男だけとは限らない。 氷河もそうだが、彼等を嫌っていたパンドラも容疑者と言えば言えないことはない。 冥王家の中だけに限ってみても、まだその権利を得てもいないのに この家の主人ぶって傍若無人に振舞っていた あの三人に反感を持っていた者たちはいくらでもいただろう。 犯人が一人でなかったとしたら、容疑者の範囲はもっと広がる。 貴人の事件を知り、便乗を企てた者がいるのかもしれないし、あるいは、貴人の事件を知った貴人に近い者たちが、猛人や雄人に対して復讐を企てたという可能性もある。 更に、猛人の事件を知った猛人に近い者たちが、雄人を犯人と決めつけて復讐を企てたという可能性も皆無ではないのだ。 行方不明とされている瞬の兄とて、あの三人を快く思っていたはずがない。 三人が除かれることを望む者が犯人というのなら、かの城戸財閥総帥たる女性もそれを望んでいた節がある。 氷河の周囲にいる者は誰も彼もが、一連の事件の犯人たりえる可能性と動機を有しているのだ。 だが、瞬だけは違う。 瞬だけは違うと、氷河の心は固く信じていた。 そんな氷河の心に、『本当に瞬が犯人ではないと言い切れるのか?』と、彼の理性が囁きかけてくる。 瞬にも動機はあるのだ。 瞬は三人の従兄弟たちの誰かを好いていた気配はなく、彼等との結婚を嫌がっていた。 そこに、金銭に関しては価値観を共有できる男が現われ、その男は瞬に気のある素振りを隠そうともしない。 瞬がその男に好意を持ち、邪魔な三人を除けば 自分は好きな男と結婚ができる――と考えたとしても、それはさほど不自然なことではない。 不自然どころか――星矢たちの言う通り、むしろ瞬こそが、この一連の事件の犯人として最も有力な動機を持っている人物だった。 そう考えるものは、氷河(の理性)だけではないだろう。 現に星矢は、兵庫県警では瞬が第一の重要参考人になっていると言っていた。 だが、そんなことはありえないのだ! と、氷河の心が叫ぶ。 幸い、兵庫県警とは異なり、瞬にそんな大それたことができるわけがないと信じている冥王家の者たちも、氷河の心と同じ見解を持ってくれているようだった。 つまり、彼等は、瞬ではなく氷河に疑惑の目を向けていたのである。 彼等は、城戸財閥の本来の後継者が、義妹に奪われたものを 瞬によって取り戻そうとしているのではないかと、城戸氷河をこそ疑っていたのだ。 気の毒そうな目をして、彼等は氷河を疑っていた。 冥王家の後継者たる瞬と、その瞬に恋をしてしまった男。 二人が警察に嫌疑の目を向けられるのは、要するに、その二人が冥王家の莫大な財産を手に入れる可能性を持った者たちだからである。 その疑いを晴らすには、そして二人が二人の恋を実らせるためには、彼等が冥王家の財産とは無関係な者たちになってしまえばいい。 最終的に氷河が辿り着いた結論が、それだった。 三人の従兄弟たちの傷害事件にショックを受けて床に就いていた瞬が何とかベッドから起きあがれるようになったのを見計らって、氷河は自分の考えを瞬に告げたのである。 「この家の財産の相続権を放棄して、俺と一緒にこの家を出てくれ」 ――と。 それは一種のプロポーズ――になっていたかもしれない。 二人にはもうこの道しか残されていないという悲壮な決意で、氷河は瞬にその言葉を告げたのだが、しばしの逡巡のあと、瞬から返ってきた氷河のプロポーズへの答えは、 「それはできません」 だった。 氷河は瞬の拒絶が信じられなかったのである。 冥王家の者たちの証言にも後押しされて、自分は瞬に恋されているものと、氷河はすっかり信じてしまっていたから。 「なぜだ !? 俺が嫌いか !? 城戸財閥を平気で捨てるような日本一の大馬鹿者には頼れないか? そんな男より、冥王家の財の方がおまえの身を守ってくれると思うのか!」 「そんなはずありません! でも、それはできないんです……!」 氷河のプロポーズ(?)を断った時よりも はるかに迅速に、瞬は氷河の自虐を否定した。 そして長い沈黙――を作る。 死刑の宣告を待つ気分でいる氷河の前に 長い沈黙を横たわらせていた瞬は、やがて意を決したように、“彼女”が氷河のプロポーズを受けられない理由を口にした。 それは驚くべき告白だった。 「それはできないんです。僕は……男だから」 瞬は、打ちしおれた花が最後の力で顔をもたげようとしているかのように小さな声で、氷河に そう言ったのだ。 |