「先代は、ご自分の姉妹の血を引く男子とはいえ、あの三人を嫌っていました。先代があの遺言を残さなくても、彼等は、瞬様を自分のものにして 冥王家の財産を乗っ取ろうとしていたに違いありません。そんなことになったら、瞬様が不幸になるのは目に見えています。それで、先代は、瞬様のために、その手を禁じる策を打ったのです。だから、あの遺言を遺した。あれは、瞬様の従兄弟たちの誰かに冥王家を継がせることを意図した遺言ではなく、子を成す能力のない者が冥王家を継ぐことを禁じる遺言でした」

自由の身になって警察から戻ってきたパンドラは、瞬と氷河に、先代の真意を訥々とつとつと語ってくれた。
もしかしたら冥王家先代は、彼が不幸にした女性が遺した娘の身を、彼なりに案じていたのかもしれなかった。
少なくとも彼は、犯罪を犯してまで娘の不幸の芽を摘むことをしてのけたのだ。
彼の究極の目的は、瞬の兄に彼の築いた財産を確実に譲ることだったにしても。

「先代は、一輝様にこの家を継がせたがっていました。一輝様はこの家を継ぐことを嫌がって、こちらには一向に帰ってまいりませんが、瞬様が危地に陥ると帰ってくる。あの遺言が瞬様の意に添うものでないことは、一輝様にはおわかりになるはず。だから、一輝様は帰ってきているはずなんです。きっとこの屋敷の近くにいる。今、人を手配して捜させています」

「……瞬の兄というのは、いったいどういう男なんだ」
氷河がついそんなことを尋ねてしまったのは、『瞬様が危地に陥ると帰ってくる』という、月光仮面のごとき瞬の兄の性癖(?)を訝ったからだった。
「瞬様を溺愛していらして――でも、人にでも財にでも束縛されることを何より嫌う方なのです」
瞬の兄がどういうものなのか、パンドラは苦笑しながら氷河に語ってくれたのだが、氷河の脳裏に浮かぶのはやはり、あまりセンスが良いとはいえない覆面と白いターバンで顔を隠した月光仮面の姿ばかりだった。

瞬の兄の正体はさておき、パンドラと冥王家先代の意思は 瞬の兄の上にあるようだった。
瞬も、それは同じ。
だが、彼等以外の者たちは、いつ帰ってくるのか、そもそも生きているのかどうかさえわからない者の帰還に期待をかけることはできなかったらしい。
一連の事件が解決を見ると、冥王家の親族(その中には、貴人・猛人・雄人の父たちまでが含まれていた)と冥王グループ各企業の重役たちは、借金取りのようにしつこく、瞬に、『好きな男と結婚して冥王家を継いでくれ』と迫るようになった。
彼等はそれで瞬に異存があるはずがないと、考えているのだろう。
瞬が冥王家先代の“娘”であったなら、確かにそれで問題はすべて解決していたのかもしれなかったが、事実はそうではない。
執拗に瞬にそれを求める者たちに、瞬は困り果てているようだった。

そんな瞬に、もう一度、『すべてを捨てて、俺と来てくれ』と求めることは許されるのか。
それは瞬を更に悩ませ苦しめるだけのことなのではないか。
そもそも瞬は、その求めに応じてくれるのか――。
どうすれば二人の恋を実らせることができるのかと苦悩し続けている氷河の部屋に 瞬がやってきたのは、冥王家の一連の傷害事件が解決を見てから1週間が経った ある夜のことだった。

「僕、もうすぐ16歳になるの。女の子なら結婚もできて、大人と認められる歳」
氷河にそう告げる瞬は、どこか不安げで、何事かを深く思い詰めているような目をしていた。
冥王家の財産の行方は確かに大きな問題であろうが、それは人の身に危害が加えられる傷害事件ほど 瞬の心を暗く沈ませるようなものではないだろう。
瞬の不安そうな様子を、氷河は怪訝に思うことになった。

「大人に?」
「うん……」
瞬は何事かを決意している。
おそらく瞬の一生に関わるような重大なことを。
そして、瞬の瞳は明るく輝いてはいない。
もし瞬の瞳を曇らせているものが『この恋を諦める』という決意であったなら――。

「今はまだ15で、子供なんだろう?」
瞬が決めたことを知りたくなくて、氷河はわざと軽率な笑顔を作りながら、からかうような口調で瞬に尋ねた。
「でも、氷河が好きなの」
瞬が、道の傍に咲く野の花のように小さな声で、氷河に訴えてくる。
野の花のように、瞬は健気で必死で、優しく可愛らしい様子をしていた。

瞬が自分の一生に関わる重大事を決意したというのは、自分の思い過ごしかもしれない。
瞬は、短い時間にあまりに色々なことがありすぎて、混乱しているだけなのかもしれない。
だから、瞬は、こうして、瞬が最も安心できる場所に逃げてきただけなのだ――。
小さな花のような瞬の恋の告白は可愛らしく、その様子は氷河を楽観させた。
16になるかならずかの、大人と子供の間にいる恋人が、不安げに決意する重大なことが何なのか。
そんなことは改めて考えてみるまでもなく決まっているではないか。

「俺もだ」
抱きしめて、唇を重ね、氷河は瞬の身体を寝台の上に横たえた。
そうされても、瞬は氷河の腕から逃れようとはしなかった。
それで、氷河は、瞬の為した“重大な決意”が何であるのかを確信したのである。
氷河は瞬の重大な決意が嬉しかった。
そして、氷河は、瞬が氷河に与えると決意したものが欲しかった。
どうしようもないほど激しく、氷河はそれが欲しくてならなかったのである。
だから、氷河は、それを抱きしめた。

瞬は、それでも逃げない。
氷河に裸体を見られ、愛撫を加えられることに恥じらうことはしても、瞬は逃げる素振りだけは見せなかった。
おそらく瞬は、氷河のために、それこそ決死の思いで 羞恥に耐えることを選んでくれたのだ。
そう思うと、瞬の細く頼りない身体が愛しくてたまらない。
氷河の愛撫は、彼自身にも制御できないほどの勢いで熱を増していった。
そして、氷河に触れられるたび、瞬の肌は見事な反応を見せてくれた。
同じことが、瞬の心や瞬の身体の内部でも起きているらしい。

「あっ……ああ……氷河……! 僕……僕、どうしてこんなに……」
氷河の愛撫を受けて身悶え喘ぐ瞬は、確かに大人でも子供でもなかった。──大人にも子供にも見えず、大人にも子供にも見えた。
それは不思議な生き物――瞬は、ありえないほど清らかで扇情的な、不思議な生き物だった。

「こんなに俺が好きになったか?」
氷河が笑いながら尋ねると、瞬は その頬をぱっと桜色に染め、瞼を伏せてしまった。
そして、氷河の背と首に、白く細い腕ですがりつき、切なげに眉根を寄せる。
だが、それは苦痛のせいではない。
氷河に貫かれた時も、尋常でない痛みは感じているのだろうが、瞬の歓喜の表情は消えなかった。
瞬の四肢と肉と心とが、決して離すまいとするかのように、氷河の四肢と肉と心とに絡みついてくる。

自らの快感を得るために抜き差しを繰り返し瞬を揺さぶることに氷河が罪悪感を覚えるほど、瞬の心と身体は、少しでも近く深く恋人と共にあることを望んでいるようだった。
嗜虐心を誘うほど健気な瞬のその仕草と声に激しく刺激され、氷河は瞬の中に、彼の欲望でもあり愛情でもあるものを放ったのである。
「あああああ……っ!」
それは、瞬の身体をも強く刺激したらしく、瞬は全身をしなやかに反り返らせて 歓喜の声をあげた。

瞬はどう見ても、他人と肌を合わせるのは これが初めてのことだった。
にもかかわらず、いっそ鮮やかとしか言いようのない、この反応。
瞬をそんなふうにしたのは、瞬の恋情と、おそらく 長い時間 瞬の中に鬱積していた両親への思いや 自由への渇望だったろう。
瞬は――瞬こそが――その捌け口を、氷河の中に見い出したのだ。
そして、それは氷河にとっても“素晴らしい”ことだった。
これだけ愛することができ、これだけいい思い・・・・をさせてくれる恋人と離れることは もはやできないと、氷河は瞬の体温の中で思った。

瞬を自由にし、この恋を実らせるためになら、どんなことでもする。
瞬の兄を捜し出すことで それが叶うなら、城戸の力を貸してもらえるよう沙織に頭を下げて頼んでもいいとまで、氷河は思っていたのである。






【next】