「スイカの命を守ろうとしていたですってーっ !? 」
沙織が眉を吊り上げて、スイカ畑の上空に甲高い怒声を響かせる。
薄桃色の芍薬の花の横で、瞬は身体を縮こまらせた。
瞬の告白に沙織と氷河は呆れたような顔になり、星矢は少々気まずそうに その顔をくしゃりと歪めた。
そんな星矢を、沙織がじろりと睨みつける。

「この私がこっそりスイカを処分するかもしれないと疑うなんて! 私がもしスイカを処分することにしたなら、その時には ちゃんと事前通告をして、正々堂々と正面から乗り込んでいきます! そして、星矢の目の前でブルドーザーに庭を掘り起こさせるわ。それが私の流儀よ。そんな姑息な猜疑心から、なんて危険なことをしてくれたの!」
「す……すみません! ほんとにごめんなさい!」

沙織が怒鳴りつけたのは星矢の方だったのだが、沙織と厨房のおばさんに平身低頭、米搗きバッタのように繰り返し頭を下げることになったのは瞬一人。
当の星矢は、この件に関して全く責任を感じていないような顔で――否、むしろ、瞬の為したことが解せないという顔で――バッタの真似事をしている仲間に尋ねてきたのだった。
「にしても、おまえ、なんでチェーンにそんな芸を仕込もうなんて考えたんだよ? 俺はサンルームにおやつとマンガを持ち込んで、のんびり見張ってたんだぜ。別に隠れてる必要なんかないじゃないか」
「星矢はそれでよかったかもしれないけど……!」

星矢はそれで何の問題もなかったろうが、瞬は そうはいかなかった。
瞬は、スイカの見張りをしていることを、スイカ嫌いの氷河に知られるわけにはいかなかったのである。
氷河に知られないための瞬の努力と苦労は、結局は水の泡になってしまったが。
それも、最悪の形で。

「俺を放ったらかして、スイカの見張りをしていたとは……」
その氷河が、まるで冬眠中のヤマネのように身体を縮こまらせている瞬を見おろし、低い声で呟く。
既に怒りや不快の次元を通り過ぎてしまったのか、そう告げる氷河の声音は全く激しておらず、それは どちらかといえば力が抜け切ってしまっているような声だった。
「あの……氷河……」
「しかも、12時間二交代制なんて、無謀もいいところだ。なぜ俺に何も言わなかったんだ」
「だ……だって、氷河はスイカが嫌いでしょ。僕のしてることを知ったら、氷河はきっと機嫌を悪くすると思ったから……」
「なに?」

瞬にとっては意外なことに――瞬の弁明を聞くと、氷河は、その顔に、それこそ意外そうな表情を浮かべた。
瞬の言葉は、厨房のおばさんにとっても意外なものだったらしい。
氷河よりはるかに明瞭な驚きをたたえた声と顔を瞬に向け、彼女は、
「あら、氷河ちゃんはスイカ大好きですよ?」
と言ってきた。

「え?」
それはいったいどういうことかと、瞬は彼女に尋ねようとしたのである。
だが、瞬は、そうすることはできなかった。
瞬とは全く違うところに引っかかってしまったらしい星矢に、
「『氷河ちゃん』て誰だよ? おまえ知ってるか?」
などという質問を投げかけられたせいで。

「それは、やっぱり、氷河のこと……かな」
厨房のおばさんの年齢は、どう見ても50代絡み。
氷河との年齢差は、遅くに生まれた息子と母と言っていいほど。
かなり無理をすれば、孫と祖母のそれと言えないこともなかった。
このおばさんなら、氷河を『氷河ちゃん』呼ばわりしても、さほどの違和感はない。
全くないとは言えないが、それはどちらかといえば、『ちゃん』づけの似合わない氷河の方にこそ責任のあることだったろう。

ともあれ、『氷河ちゃんはスイカ大好き』という情報は瞬の認識とは真逆、瞬の認識を完全に覆すものだった。
確信に満ちた様子で『氷河ちゃんはスイカ大好き』説を主張してくるおばさんを、瞬は不思議なものを見るような目で見詰めることになったのである。
「でも、氷河はいつも――」
氷河はいつもスイカを食べない。
それが瞬の見知っている事実だった。
厨房のおばさんは、だが、瞬とは違う事実を知っていたらしい。

「氷河ちゃんは、スイカの皮のピクルスが大好きで――デザートにスイカが出た日には必ず厨房に来て、ピクルスを作っておいてくれって、こっそり私に頼んでいくんですよ」
「スイカの皮のピクルス?」
「正確には、皮と赤味の間にあるところ――あれ、何と言うんでしょうね。あの赤くなっていない部分ですよ。あそこを短冊切りにして、香辛料と酢に漬けるんです。私も氷河ちゃんに言われて初めて、あの部分が食べられることを知ったんですけど、これがすごくおいしくて、浅漬けや塩揉みにしてもいけるんです。氷河ちゃんのお母さんがいつも氷河ちゃんに作ってくれていたものだとか」
「氷河のマーマが……?」

瞬には何もかもが初めて聞くこと――初めて知らされる事実だった。
当然 瞬は非常に驚くことになった。
その驚きに少し遅れて、瞬の胸の中に、一抹の寂しさ(に似た感情)が生まれてくる。
それが、氷河のことなら何でも知っているつもりでいたにもかかわらず、そんなことすら知らなかったという事実のせいで生じた寂しさだったのか、それとも、氷河のことなら誰よりもよく知っているという自惚れを否定されてしまったせいで生まれてきた苦さだったのか――。
瞬自身にも、その感情の正体はわからなかった。
あるいは、それが氷河と彼の母親のことだったから――それが、氷河にはもう会うことの叶わない人の思い出だったから――瞬にはその事実が切なく寂しいことに感じられたのかもしれなかった。

「ロシアのスイカは日本のそれとは少し種類が違うようなんだが――マーマはいつもスイカの赤い部分をシャーベットやポンチにして、青い部分はピクルスにしていたな。それを冬場の保存食として瓶詰めにしておくんだ。俺は、それが好きで――」
「でも、氷河、そんなこと一度も」
一度もそんな話をしてもらったことがないどころか、瞬は氷河がスイカを食べているところを見たことがなかった。
長じてからはもちろん、幼い頃の氷河がスイカを特に好んでいた記憶もない。
スイカは城戸邸に集められた子供たちの人気のおやつで、スイカがおやつに出された時にはいつも派手な争奪戦が繰り広げられていたのだが、瞬は、その争いに氷河が混じっているのを見たこともなかった。

瞬の疑念に、氷河が少々気まずそうな表情を浮かべる。
彼は、彼が一見スイカ嫌いに見えるようになった理由を、本当は仲間たちに知らせたくなかったようだった。
「俺は、スイカという代物は、可食部分をナイフで切り取って、それをフォークで食うものだと思っていたんだ。マーマはいつもそうしてくれていたから。日本に来て、星矢が直接スイカにかぶりついていくのを見たら、何というか――まあ、すっかり度肝を抜かされた。星矢の歯型のついたピクルスなんて食いたくなかったし、正直、俺はスイカ自体はどうでもいいんだ。俺が食いたいのは――」
「マーマの手作りのおやつやピクルス?」
「……」
無言の答えを、氷河が返してくる。
それで、瞬にはすべてがわかったのである。
わかりはしたが――わかったからこそ――瞬は、やはり寂しかった。






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