「どうして言ってくれなかったの」
氷河には、もちろん、そんなことを仲間に知らせる義理も義務もない。
そんなことを知らせてまわる必要もなかっただろう。
それは承知していたのだが、それでも、氷河のそういう態度を寂しく思う瞬の気持ちは消えなかった。

「日本では それはあまり一般的なことではないようだったし、貧乏たらしいと思われるかもしれないと――」
「そんなこと思うわけないでしょう。氷河の大切なマーマの思い出を」
瞬がそんなふうに思うはずがないことは、氷河もわかってはいたのだろう。
わかってくれていたはずだと信じて――瞬は、それはやはり星矢の歯型が衝撃的だったせいなのだと思うことにした。

であるにしても――だとしたら――、星矢の歯型のせいで いらぬ誤解をし、しなくていい苦労をしてしまったものである。
瞬は溜め息を禁じ得なかった。
「そっか、氷河、スイカを嫌いなわけじゃなかったんだ……。じゃあ、僕、何のために今までスイカ食べるの我慢してたんだろ」
「我慢していたのか? 俺のために?」
「そりゃ、だって、氷河の嫌いなもの、これみよがしに氷河の前で食べるのも悪いじゃない。隠れて食べるのも嫌だし」
「……」

瞬の誤解と苦労は、だが、あながち無益なものでもなかったようだった。
瞬の告白を聞くと、氷河は微かに嬉しそうに その目を細めることをした。
そして、彼は、瞬がスイカのために恋人を放っておいたことを許す気になってくれたらしい。
「なら、今度こそ おまえがスイカを食えるように――スイカの見張りは今度から三交代制にしよう。明後日には紫龍も帰国するし、そうすれば四交代制にできる。おまえの負担も減らせるだろう」
「氷河……」

氷河の協力の申し出は、瞬を喜ばせた――というより、瞬の心を安んじさせた。
それは、氷河が、彼に秘密を持った恋人を許してくれるということだったから。
だが、その場にいた者たちの中で氷河の申し出を最も喜んだのは、某天馬座の聖闘士だったろう。
それで星矢は、スイカ防衛のための強力な同志を一人得ることになったのだ。
そして、その場にいた者たちの中で氷河の発言に最も憤ることになったのは、他でもない、この家の女主人だった。

「だから、そういう見張りは必要ないと言っているでしょう! これじゃあ まるで、私がスイカの命を粗末にする血も涙もない人非人みたいじゃないの。いいわ。この庭でのスイカの栽培を許可します。その代わり、そのスイカの皮のピクルスとやらを私にも賞味させること!」
居丈高に、沙織が、粋で温情のある裁定を下す。
厨房のおばさんは、グラード財団総帥のその言葉に目を丸くした。
「お嬢様がスイカの皮のピクルスを召し上がるんですか? あの……スイカの皮ですよ? 普通でしたら捨ててしまうところなんですよ?」
「貧乏たらしいって思われてもいいのかよ」
スイカの命が保障されることが決まって すっかり安堵したらしい星矢が、脇から茶々を入れてくる。

沙織は、そんな二人に向かって『ほほほほほ』と、いかにも金持ちの家のお嬢様らしい笑い声を贈呈した。
そして、言った。
「貧乏たらしい行為というのはね、貧乏人がするから、貧乏たらしいのよ。同じことを私がしたら、人はそれを贅沢この上ない行為と見ることになるでしょう。赤い部分と違って、皮の部分は少ないし、ヒラメの縁側が珍重されるようなものね。人間のものの見方なんてそんなものよ。ゴミ減らしにもなるからエコロジー対策にもなるでしょうし――ああ、いっそ、私がスイカの皮を食していることを大々的にPRすることにしましょう。そうすれば、それは私の――ひいてはグラード財団のエコロジー対策に関する姿勢を世界中にアピールすることになって、財団のイメージアップにもつながるわ。となれば、国連や日本環境協会あたりが我が財団を優良企業として認定して、優遇措置を講じてくれることになるでしょうし、一石二鳥三鳥ね」

さすがにグラード財団総帥は転んでもただでは起きない。
というより、転ぶたびに多くのものを掴んで立ち上がるからこそ、彼女はグラード財団総帥であり、またアテナの聖闘士たちの女神たりえるのかもしれなかった。

ともあれ、そういう経緯で、城戸邸の庭に生まれたスイカたちの命が永らえることは決定したのである。
瞬は、氷河と共に健気なスイカの命を見守る――“見張る”ではなく――ことができるようになった。
そうして、瞬は知ったのである。
特に身体を動かすようなことはしなくても、氷河と共に為すことができるならば、健気な緑色の命を見守るという作業は非常に楽しく、幸せな気持ちになれる行為なのだということを。






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