春真っ盛りとは、まさに今この時。 小手毬の白、ミモザの黄、ライラックの紫、シャクナゲのピンク――城戸邸の広い庭は、あらゆる花、あらゆる色であふれていた。 調和も統一性もなく咲いているように見える それらの花たちが下品に感じられないのは、やはり季節が春だからなのだろう。 春は、花が咲き乱れることが許される季節なのだ。 星矢と紫龍は、花の洪水と言っても過言ではない春のただ中にいた。 彼等のいる春という季節の中心から、春だというのに外に出ようともせずラウンジにいる氷河と瞬の姿が見える。 他に椅子はいくらでもあるというのに、二人は、三人掛けのソファの真ん中に並んで腰をおろしていた。 冬眠していたクマやカエルも張り切って外に飛び出てくる春だというのに――そんなふうに室内に閉じこもっている二人の様子を見て、星矢は思わず顔をしかめてしまったのである。 「氷河ってさ、前は、春になると浮かれて外に出てきてなかったか?」 星矢の口調が不満げなのは、もちろん 彼がその状況に少々不満を覚えていたからだった。 否、星矢は、この状況が大いに非常に激しく不満だった。 星矢の不満を承知してはいるだが、こればかりは第三者にはどうしようもないことである。 無駄と知りつつ、紫龍の声音は星矢をなだめる者のそれになった。 「北の国では陽光が貴重だからな。夏場になるとヘタるから、氷河には春が最も日光浴に適した季節だったんだろう」 「それが、瞬とくっついてからはすっかり出不精になって、いつも部屋ん中で ごろごろいちゃいちゃしてばかりいるようになってさ。あれじゃ、そのうち、氷河のトレードマークの日焼け肌も瞬みたいに白くなっちまうぞ。唯一 北国の人間らしくないとこなのに」 「氷河のあれは雪焼けだろう」 春に外に出ても出なくても、今更それは変わりようもない。 そして、今の氷河と瞬の生活態度を変えさせることは、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間にもできることではなかった。 桜の季節に互いに好きだと告白し合ったばかりの二人に、『たまには離れろ』などという無粋なことを言ってしまったら、その人間は馬に蹴られて死ぬしかない。 「氷河は別に屋内にこだわっているわけではないと思うぞ。ただ瞬のいるところにいたいだけで」 「瞬もそうなのかなー。瞬も、氷河とあーゆーことになる前は、春がくると、何とかの花が咲いたとか言っては毎日喜んでそこいらを飛びまわってたのに」 「そうだったな」 「こないだ、瞬に、何で花見に出なくなったんだって訊いたら、『 星矢はすっかり臍を曲げてしまっている。 最も歳の近い仲間で、親友でもある遊び相手。 そして、もしかしたらガールフレンドの代わりのようなもの。 その瞬を、突然横からかっさらわれてしまったのだ。 星矢が臍を曲げるのも、致し方ないことなのかもしれなかった。 「まあ、恋は、良くも悪くも人を変えるものだ。二人でなら、外に出るのも楽しいんだろうが、家の中にいる方が二人きりになれる確率が高いからな」 「そりゃそーだろうよ!」 事実、熱烈に恋し合う二人の邪魔をしないように、星矢と紫龍はこうして氷河と瞬の世界の外に“外出”してやっているのだ。 当の二人は、仲間たちのそんな気配りに気付いてもいないようだったが。 「不健康なだけならともかく、不健全なんだよ。いい歳したアテナの聖闘士が部屋の中に閉じこもってばっかりでさ!」 瞬が遊んでくれなくなっただけでも癪だというのに、なぜ自分が勝手にくっついた二人に気をきかせてやらなければならないのか。 星矢は、どうしてもその点が得心できないらしかった。 「いい歳とは――」 紫龍が苦笑を途中でやめたのは、春の花の向こうに見えるラウンジの中で動きがあったから――だった。 二人並んでソファに腰かけていた瞬が突然立ち上がり、氷河の前にまわる。 花の中から見詰めている仲間たちの目があることに気付かずに、瞬は本格的なラブシーンでも始めるつもりなのかと紫龍たちは懸念したのだが、瞬の動きがどう見てもその手のやわらかさでできていない。 瞬の動作は妙に硬く、まるで戦場に向かう聖闘士のように緊張していたのである。 訝る星矢と紫龍の視界の内で、瞬は大きく右手を振り上げた。 そして、その手を勢いよく氷河の頬に振り下ろす。 (へっ !? ) いったい何が起こったのかと、星矢たちは動転してしまったのである。 瞬は、つまり、ぱしーんと氷河の頬を平手打ちしたのだ。 拳でないのが理性なのか、拳で殴ることを思いつかないほど理性を失っていたのかは、瞬ならぬ身の星矢や紫龍にはわかりようもなかったが、ともかく事実はそうだった。 『瞬が氷河に平手打ちを食らわせた』 それが事実。 「うっわ」 思わず喚声をあげそうになった星矢の声に覆いかぶさるように、 「氷河にそんなことを言う権利はないよ!」 という瞬の声が響いてくる。 どうやら庭に面したラウンジの窓が開いていたらしい。 氷河を責める瞬の声は、恋人たちから20メートルは離れた場所にいる星矢と紫龍の耳に明瞭な響きをもって届けられた。 それでなくても少女めいた声を更に上擦らせ、瞬の声は随分と高いトーンになっている。 それから瞬は素早く踵を返し、瞬らしくない乱暴な足取りで部屋を出ていった。 そして、ラウンジには氷河一人だけが残される。 彼は、この事態にあっけにとられてように、瞬がその場から姿を消してからもずっと、掛けているソファから立ち上がる気配を見せなかった。 まるで、観客にショックと疑念を生ませることを目的にしたような不思議な寸劇。 その一部始終を、星矢と紫龍は目撃することになったのである。 |