「てなこと言って泣いてるからさー。おまえの方から謝ってやれよ」 『夢の対決 瞬 VS 氷河』をわくわくしながら観戦するはずだった自分が、なぜ二人の仲介の労など取っているのだと、星矢は、本音を言えば自分自身に大いに腹を立てていたのである。 しかし、瞬の涙には勝てない。 瞬の涙には勝てないのだ。 争いの女神エリスを倒し、太陽神アベルを倒し、海神ポセイドンを倒し、冥界の王ハーデスを倒し――ギリシャの名だたる神々を その拳で倒してきた星矢でも、瞬の涙にだけは最初から勝てる気がしなかった。 幸い、氷河は、瞬の涙ほど扱いに困る武器は持っていない男である。 氷河に泣かれても、星矢は痛くもかゆくもなかったし、現に今 星矢の目の前にいる氷河は、瞬のように取り乱してはいなかった。 星矢の目には、そう見えた。 あれほど派手に瞬に平手打ちを食らわされたにもかかわらず、ラウンジのソファに腰掛けている氷河は、実に涼しい顔をしていて、彼は特に瞬に腹を立てている様子も見せていなかった。 むしろ、瞬の平手打ちという意外なハプニングを楽しんでいるような余裕を、氷河は その表情に見え隠れさせていたのである。 「どうせ、おまえが何か言っちゃまずいことを言っちまったんだろ」 瞬の錯乱振りを見せられた時にはどうなることかと思ったが、少なくとも喧嘩の当事者の一方が冷静でいるのなら、事は容易に収まるだろう。 否、収まってほしいと星矢は願い、期待していたのだ。 もちろん、その際には、余裕のある方が折れてやるのが常道である。 力が拮抗しているのならともかく、そうでないのなら、強い方が折れてやるのが人の道。 それでこそ氷河の男も立つというものなのだ。 しかし、氷河は、星矢の超クラシックな“男の法則”を、さらりと否定・拒否してくれた。 「俺は間違ったことをしていない。事実を口にしただけだ。謝るわけにはいかないな」 と、氷河はあっさり言ってのけたのだ。 「え……? いや、でも、瞬が泣いてるんだぜ?」 恋の第三者である星矢でも、瞬の涙には勝てないのである。 まして氷河なら、最初から諸手を挙げて降参だろうと、星矢は決めつけていた。 そうであることを信じていたと言ってもいい。 だというのに氷河は、瞬同様きっぱりと、星矢の慫慂を拒否してくれたのである。 「自分が間違っていると思ってないのに、その場しのぎで形ばかり謝ってみせるなんてことは、瞬を侮辱することになるだろう。それはできない」 喧嘩をしているくせに、氷河と瞬は妙なところで、意見が一致している。 それは、相手に誠意をもって接しているからこそ出てくる意見なのかもしれなかったが、融通のきかない可変性に欠けた意見でもある。 そんな誠意や理屈より、まず瞬の涙をとめるために努めるのが人の道にして男の道だろうと、星矢は、氷河の態度に思いきり憤ってしまったのである。 「でも、どっちかが折れないと、いつまでも仲直りできないぞ。いいのかよ、それで!」 「一緒に寝てもらえないぞ」 それまで星矢に孤軍奮闘させていた紫龍が、脇からぼそりと低い声で口を挟んでくる。 それは、氷河の致命的な弱点を衝いた的確な忠告――のはずだった。 事実、氷河も、紫龍のその言葉には、さすがに一瞬ひるむ様子を見せたのである。 だが、氷河はそれでも自分の意見を曲げることはしなかった。 「やむを得ん。俺が折れるわけにはいかん」 と、氷河が、瞬同様きっぱりと言い放つ。 「氷河、おい、まじかよ! おまえ、正気で言ってんのか !? 」 瞬の涙にも屈しない強さが氷河にあったとは。 星矢は氷河を見直すと同時に、白鳥座の聖闘士はどうしようもない大馬鹿者だという認識を、その胸に刻むことになったのだった。 |