「要するに、そういうことだったんだな。多分、瞬が聞くに堪えないような一輝の悪口を、氷河が瞬の前で言っちまったんだ。それで瞬は激怒してる。で、氷河の方は、事実を言っただけだから謝る気はない――と」 「ああ、それで瞬はあんなに意地を張っているというわけか」 星矢からの注進を受けて、紫龍が得心した顔になる。 実際、紫龍はこれまで、瞬の瞬らしくない頑なさを、非常に奇異に感じていたのだ。 瞬はアンドロメダ座の聖闘士。 世界を救うためになら我が身を犠牲にすることも厭わない星座の聖闘士なのである。 瞬は、他者のために己れを殺すことを知っている、キリスト的人間なのだ。 その瞬が、自分の利益や自尊心を守るために人と対立することは、まずありえない。 だが、それが、瞬以外の人間の利益と誇りのためとなったら、話は別だろう。 つまり、瞬は、兄の名誉を守るために氷河と戦っているのだ。 だからこそ、平生は温和で従順でさえある瞬が、これほどの強硬姿勢を崩すことなく、しかもその強硬姿勢を持続できているのだ。 「……となると、これは面倒なことになるな」 瞬の戦いの理由がそれであるならば、今の瞬に『戦いの 我意我欲を殺す術を知っている分、他者の意思権利を守ることには敏感な瞬が、こういう状況で大人しく引くことがあるとは、紫龍には思い難かった。 「これは長期戦になるかもしれないぞ」 あまり楽しくない紫龍の推察を聞かされて、星矢は思いきり顔をしかめることになったのである。 これ以上のしかめ面を作ることは不可能と思えるほど、不快と不可解で縁取られることになった星矢の顔は、だが、その夜、更なる歪みを増すことになった。 星矢の顔ばかりか、その思考・感情までを歪め混乱させたものは、もちろん、氷河と瞬の不可解かつ不条理な言動である。 その夜、先に瞬を誘ったのは氷河の方だった。 その日の夕食後、瞬は、まるで他人の家に忍び込もうとする猫のようにひっそりと、青銅聖闘士専用のラウンジの一画に身を置いていたのである。 「瞬」 「あ……うん」 氷河に名を呼ばれた瞬が、やはり猫のように音を立てずに、掛けていた椅子から立ち上がる。 そうしてから、瞬は、冷戦突入以前の瞬に戻ったように素直に大人しく 氷河に従ってラウンジを出ていった。 星矢たちの目をかなり気にしてはいるようだったが、だからといって氷河の誘いを拒むことはできない――というような表情と仕草で。 「なんだよ、あれ!」 そんな瞬の様子を見て、星矢は、またしても昨夜と同じセリフを吐くことになったのである。 だが――。 氷河に従って いそいそと彼の部屋に向かった瞬は、夜が明けた翌日には、また再び氷河に つんけんし始めるのである。 豹の身体の斑紋が鮮やかに変わるように、自らの過ちを改めて善い方向に転変できるのが、徳のある君子の才らしいが、毎日 昼と夜とでその様相を豹変できる瞬の神経が、星矢は理解できなかった。 そんな瞬を許す氷河とて、決してまともな神経を持った男とは思えない。 そんな夜と昼を7回――1週間。 氷河と瞬は、本当に対立し反目し合っているのか。 本気で戦い、敵を倒し、己れの主張を敵に認めさせたいと思っているのか。 氷河と瞬の言動の不可解は、星矢の顔と思考を乱し、歪め、戸惑わせ続けた。 無論、その間 星矢とて、ただ手をこまねいて氷河と瞬の間でおろおろしていたわけではない。 星矢は、何よりもまず 自分自身の混乱を静めるために、瞬に幾度も尋ねてみたのである。 「なあ、瞬。おまえ、ほんとはもう氷河のこと許してるんだろ?」 と。 だが、そのたびに返ってくる瞬の答えは、 「許してない」 の一言だけ。 「でも、だったら、何で毎晩――」 星矢が食い下がろうとしても、 「許さない」 瞬は、クールに仲間の言葉を遮るばかりである。 普段 大人しく素直で従順な人間ほど、一度 片意地を張ってしまうと、柔軟性を取り戻せなくなるものなのかもしれない。 そう、星矢は思った。 瞬の現在の状態は、要するに、並外れて我慢強い人間が我慢の臨界点を超えてしまったようなものなのだ。 一線を超える前にいた元の場所に戻ることは非常に困難、もしくは不可能なのかもしれなかった。 「そんなに眉を吊り上げてばっかりいると、そのうちオニババみたいな顔になっちまうぞ」 「たとえ四六時中 眉を吊り上げていても、男の僕が鬼 「……」 自分が悪鬼羅刹に比されるような顔をしていることは、瞬も自覚できているらしい。 それでも瞬は、氷河との冷戦を終結させるつもりはないらしい。 星矢は、ほとんど お手上げ状態で、長く深い溜め息をつくことになったのである。 |