遠方からやってきた花嫁のために用意された部屋に エスメラルダと彼女の忠実な侍女を落ち着かせると、瞬はその足でスキュティアの領主の部屋に案内されることになった。
実際にそこがスキュティアの領主の部屋だったかどうかはわからない。
広い部屋には、その城と部屋にふさわしい調度が置かれていたが、そこは やはり豪華華美と表現できるような様子はしておらず――瞬は、その部屋に、リビュアの館の兄の部屋と同じような印象を抱いたのである。
要するに、その部屋は、足りないものはないが余計なものもない、実用性だけを追求した部屋だった。

スキュティアの領主(?)は、瞬が彼の居室に入ると、瞬を案内してきた兵を部屋から下がらせた。
室内には、兄と弟しかいなくなる。
それを確認するや、瞬の機先を制するように、瞬の兄は、
「どうして、おまえがここにいるんだ!」
と、弟を怒鳴りつけてきた。
機先を制されたからといって、そのまま黙り込むつもりもなかった瞬は、兄に負けず劣らず激した声を室内に響かせたのである。

「兄さんこそ! 兄さんがスキュティアの領主って、いったいどういうことですか! リビュアを放ったらかして、こんな北の果てで偽の領主ごっこ !? あの場にいた人たちは知ってるの? 知ってて、みんなぐるになってエスメラルダさんを騙そうとしているんですかっ !? 」
「あの場にいた者たちは全員、俺が偽者だということを知っている。色々事情があるんだ。それより、おまえはどうして――」
「全部、兄さんのせいです!」
瞬は訳がわからなかった。
訳がわからなさすぎて、瞬は、いっそ兄の前で泣きわめきたい衝動にかられてしまったのである。

獰猛で残虐なスキュティアの領主。
その妻に選ばれた自分とエスメラルダ。
決死の覚悟でやってきた二人を迎えたものは、偽のスキュティア公爵――。
いったい何がどうなっているのか、先に事情を説明する義務を負っているのは、自分より兄の方だと思った。
「俺のせいだと?」
だというのに、兄は、この椿事に自分はいささかの責も負っていないというような顔をして、弟に尋ね返してくるのだ。
こんな理不尽なことがあってもいいのだろうか。

「兄さんのせいです! 兄さんが言った馬鹿な冗談がすべての元凶です! そのせいで、僕が国いちばんの美女だなんていう噂が流布されて、陛下が僕をスキュティア卿の妻にしようなんて、とんでもないことを思いついたんです。兄さんがいないせいで、リビュアはこれまで何度も陛下のご命令に従えずにきていた。これ以上陛下の機嫌を損ねるわけにもいかないし、本当のことを言って国王陛下の顔を潰すわけにもいかないし、でも、男の僕が人の妻になれるわけもなくて――。その件は、苦しい言い訳で逃げましたが、そのせいで側杖を食ったエスメラルダさんがこんな獰猛な化け物のいる家に嫁いでこなければならなくなって――。エスメラルダさんは痛々しいほど怯えて、でも家を守るためにありったけの勇気を振り絞って、こんな北の果ての悪魔の城までやってきたんです。なのに、こんなふざけた真似で出迎えるなんて……!」

無事でいるのかと心配していた兄に出会えた喜びよりも、今は、エスメラルダを侮辱された怒りの方が先に立つ。
自分も兄も――か弱い女性を庇い守る立場にある騎士たちが――よってたかってエスメラルダを苦しめているのだ。
こんな腹立たしい、こんな情けない話があるだろうか。

瞬の嘆きと憤りは極めて激しいものだったのだが、そんな瞬の訴えに対する瞬の兄の反応は、あきれるほどのんびりしたものだった。
「要らぬ心配をしたものだ。確かに俺は リビュアの領主としての仕事は全くしていなかったが、この地で幾度もアスガルドの侵略をスキュティアの者たちと共に防いできた。そのことは国王も知っている。スキュティアの戦士の一人として力を貸しているから、国王に褒賞も求めていない。そんなこんなで、俺に対する国王の覚えはいいんだ。だから、おまえの件も、国王はごり押ししなかったんだろう」
「そんな……」

では、自分は正直に男子だと言って王の命令を断ってしまってもよかったのだろうか。
王はそれでも国王としての体面を汚されたと立腹し、リビュア伯爵家に報復措置をとることはなかったのだろうか――?
瞬は兄の言葉を聞いて、少しく――否、大いに――気が抜けてしまったのである。
だが、どちらにしても、瞬が断れば、この話はエスメラルダの許にまわされていただろう。
現在のこの事態は、やはり、どうあっても回避しようのないことだったのだ。

「でも、兄さんは、どうしてスキュティアに?」
「いや、国の北端に、1年中溶けない氷の河があると聞いて見物にきたんだ。そうしたら、目の前でアスガルドの侵略軍とスキュティアの兵の戦が始まって、ちょうど身体を動かしたいところだったから、スキュティア軍に加勢してやった。自慢するわけじゃないが、俺は強い。まあ、100人の兵よりも役に立つと思われたんだろう。雪が消えるまで、しばらくここでゆっくりしていけと引きとめられてな」

瞬の訴えを聞いても、瞬の兄は、この事態を自分が招いたものとは毫も考えていないようだった。
彼は、現状に対しても、エスメラルダに対しても、罪悪感も責任も感じていない――らしい。
兄のその様子を見て、瞬は、もしかしたら現在のこの事態は、自分やエスメラルダが考えているほど悲惨なものではないのかもしれない――と思ったのである。
瞬の兄は、領主や貴族としての義務には無頓着だが、人としての義務をないがしろにするような人間ではなく――つまりは、仁義に篤い男だった。
自分のせいで不幸になるかもしれない女性を放っておけるような男ではない。
その兄が、無責任にも思えるほどの この無頓着と気楽。
それは、現状がそれほど深刻なものでもなければ悪いものでもないことを意味している(のかもしれない)。
そう考えて、瞬は、少し――少しだけ――怒らせていた肩から力を抜くことになったのである。

「その行き当たりばったりの行動は、とても兄さんらしいことだと思いますけど、でも、どうして兄さんが他人の城で スキュティア卿の振りなんかしているんです」
「ああ、それは――。つまり、本物のスキュティア公爵はこの結婚を嫌がっているんだ。この結婚というより、相手が誰でも嫌らしいんだが……。それで、一冬食わせてやったんだから、恩返しをしろと言われて、無理矢理スキュティアの領主の椅子に座らされた」

「スキュティア卿が結婚を嫌がっている?」
兄から もたらされた その情報に、瞬は瞳を輝かせた。
それは吉報といっていいものだった。
スキュティア卿の方から、この婚姻を断ってもらえれば、エスメラルダは獰猛な北の悪魔の妻にならずに済む。
平和裏に、彼女が生まれ育った暖かいミュシアの地、家族のいる可愛らしいミュシアの城に帰ることができるかもしれないのだ。

「スキュティア公爵ではない家臣の前でなら 花嫁も本性を出すだろうから、家臣の立場で花嫁を観察するとか何とか言っていたな。本当はこの結婚をチャラにする口実を見付けようとしているんだろう。あるいは、女の相手をするのが面倒で、俺に押しつけただけなのかもしれんが」
我知らず胸を弾ませた瞬とは対照的に、スキュティア卿に面倒事を押しつけられた瞬の兄の顔は ひどく苦々しげなものだった。
スキュティア卿の面倒くさがりがどの程度のものなのかは定かではないが、その点では瞬の兄も似たりよったりの性分の男だったのだ。

「じゃあ、本当のスキュティア卿は――」
「俺の横にいた金髪の男だ」
「え?」
今日は、驚かされることばかりに出会う。
瞬は、兄のその言葉に再度大きな驚きに囚われることになった。
ただし、二度目の驚きは、不安や緊張を伴うものではなく、純粋な意外の念であり、気が抜けるような驚きだった。

瞬の兄の隣りに立っていた金髪の青年――彼が本物のスキュティア卿だというのであれば、国中に流布されている あの噂はいったい何だったのだ。
「残虐で獰猛で、地獄の悪魔のように醜悪――には見えませんでした」
醜悪どころか――むしろ、あれほど美しい青年は、国中を探しても見つからないだろうとさえ思う。
初めて その姿を見た時も、その正体を知らされた たった今も、瞬のその考えは変わらなかった。

瞬の兄は、だが、その噂の方が出来すぎたものだという認識でいるようだった。
「当たりまえだ。奴は、悪魔なんて、そんな格好のいいものじゃない。ただの軟弱なマザコン野郎だ」
「マザコン?」
瞬が尋ね返すと、瞬の兄は真顔で頷いた。
「あの金髪男は、実はものすごいマザコンでな。数年前、父に続いて母親が亡くなった時、母親より美しいと思える相手でないと絶対に妻にしないという誓いを立てたんだ。立てたまではよかったが、立ててしまってから、豪胆で名を売っている騎士がそんな誓いを立てたなんて、人には言えないことだと気付いたらしい。だが、仮にも騎士たる者、一度立てた誓いは破れない。それで、女嫌いを標榜して、極力 女を避けている――というわけだ」

兄からスキュティア卿の事情を知らされて、瞬はあっけにとられた。
まもなく、その唇から笑みがこぼれてくる。
「噂と全然違いますね。噂では、スキュティア卿は獰猛で冷酷で、悪魔のような人物だといわれているのに」

「あれは、半分は奴が自分で流したデマだ。亡き母への誓いの件もあったろうが――このスキュティアの財産目当てに娘やら何やらを送り込もうと企む さもしい貴族が多くて、うんざりしていたんだろう。いや、むしろ、そういう輩にうんざりしていたからこそ、あの誓いを立てたのかもしれない。確かに戦には強いし、これまで何十回となくアスガルドの軍を追い払ってはいるが――噂なんて当てにならないものだ。おまえだって、噂でなら、花のように可憐なリビュア家の令嬢ということになっている」
「誰のせいです!」
弟に非難の声を投げつけられると、瞬の兄は白々しく その視線を虚空に泳がせた。
そんな兄の顔を、瞬が睨みつける。

「細かいことを気にするな。それより、いったいあれは何者だ。おまえにそっくりだったぞ」
「あれ……って、エスメラルダさんのことですか? 彼女は、僕たちの母上の又従妹に当たる方がミュシア子爵家に嫁いで儲けられた令嬢です。少しだけ、僕たちと血が繋がってる」
「そうなのか……。しかし、似ている……髪の色を除けば、おまえに瓜二つだ」
「……」
珍しいこともあるものだと、瞬は内心で首をかしげることになったのである。
『母親より美しいと思える相手でないと絶対に妻にしない』という誓いを立てたスキュティア卿とは違って、瞬の兄は、理由もなく女性に関わることを避けている男だったのだ。
女性に関心を示したことも、もちろんない。

「みんながそう言うけど、僕は、僕なんかよりエスメラルダさんの方がずっと綺麗だと思います。エスメラルダさん、スキュティアの獰猛な領主に嫁ぐことになって怯えてるんです。たとえ偽者でもスキュティア卿なんだから、兄さん、彼女に優しくしてあげてくださいね」
「俺が女に優しくなどできると思っているのか」
「できますよ。兄さんは優しいもの」
「おまえにだけだ」
「怯えている女性を守り庇ってあげるのが、騎士たるものの務めでしょう。兄さんにはその義務がある。エスメラルダさんは、兄さんの放浪癖の被害者なんです。それに――」
弟に女性の相手を命じられることに渋面を作る兄を、瞬は睥睨で捕まえた。
領地に戻り領主の椅子に縛りつけられていろと言っているのではないのだ。
そんな些細な務めくらい、逃げることなく果たしてほしいではないか。

「それに、何だ」
「僕たちとは遠い親戚で、領地も近くて、家柄も釣り合っていて――兄さんがちゃんと家にいてくれたら、兄さんの奥方になっていたかもしれない人です」
「そういう面倒事が嫌いだから、俺は――」
結婚やそれに付随するあれこれを面倒がるのは、スキュティア公爵に限ったことではないらしい。

「面倒事を避けて、事態をもっと面倒にしてしまったのは兄さんです!」
瞬が、きっぱりと容赦なく断言する。
瞬の兄は ぐうの音も出ないようだった。
瞬の兄一輝は、涙と機転と可愛らしい姿を武器に持つ、この弟に、昔から弱かったのだ。






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