事実を国王に告げても告げなくても――どちらにしても この状況は回避できないことだったろう。
だが、そうであったとしても、である。
獰猛で凶暴で冷酷な悪魔のような野蛮人と噂されているスキュティア卿が 噂通りの人物でないのなら、そこに希望が生まれるのではないか――と、瞬は考え始めていた。

兄の横に立っていた あの金髪の青年が本物のスキュティア卿だというのなら、エスメラルダの未来の夫は実に美しい青年である。
そして、高い身分と豊かな財を有している。
身代わりを立てて花嫁を観察するなどという企みは感心できるものではないが、卑劣を何より憎む兄が その企みに付き合っているくらいなのだ。
そこに悪意は存在しないのだろう。
おそらくスキュティア卿はほんの少し軽率なだけなのだ。
それは、若く美しく自信に満ち、何不自由なく育った貴族の青年にはありがちな欠点。
挫折を知る大人になれば、改まる種類の些細な欠点である。

とにかく、スキュティア卿は野蛮で冷酷な化け物ではなかったのだ。
それどころか、あれ・・なら、普通の貴族の令嬢が夢見る理想の恋人と言っていい。
あれ・・なら、エスメラルダも、彼女の上に突然降ってきた運命を喜んで受け入れる気持ちになってくれるかもしれない。
そして、エスメラルダが幸福になることもできるかもしれない――。

スキュティアの城に来るまで瞬を捉え続けていた不安と恐れは、今では、春が訪れた北の大地の雪のように溶け、消えかけていた。
何よりまず、化け物退治はせずに済む――その義務は消えた。
あとは、エスメラルダの幸福の可能性を見付けることさえできれば、あるいは、その可能性を作り出すことができさえすれば、はるばるスキュティアの地にまでやってきた瞬の務めは果たされたと言っていいだろう。

(化け物退治……するつもりだったのかな、僕)
そんなことを考えていたつもりはなかったのだが――エスメラルダが獰猛な北の悪魔に食われそうになったら それもやむなしと、心のどこかで自分は思っていたらしい。
しかし、もうそんな殺生はしなくていいのだ。
偽のスキュティア公爵の居間を出た時、瞬の唇には我知らず笑みが浮かんできていた。

その笑みが凍りつくことになったのは、軽くなった心で(偽の)スキュティア卿の部屋を出た瞬の行く手に、本物のスキュティア公爵が立っていたからだった。
どうやら、瞬が偽のスキュティア卿の部屋から出てくるのを、廊下で待ち伏せしていたらしい。
瞬は、一度は脱ぎ捨てた緊張を、即座に、そして再度、その身にまとうことになった。

「一輝――スキュティア卿と何を話していた」
「あ……」
二人が出会った廊下は南に面していた。
陽光が彼の金色の髪を、更に眩しく輝かせる。
その姿は華やかなのに――本物のスキュティア卿の声は抑揚がなく、彼は瞬から何事かを探りだそうとしているかのようだった。

「令嬢のことを尋ねられました。人柄とか」
「どう答えた」
声の響きが冷たければ、この言葉の選択も素っ気ない。
だが、見れば見るほど、その姿は美しい。
野蛮で獰猛な北の悪魔という、あまりにも事実とかけ離れた噂が国中を駆け巡ることになったのは、もしかしたらこの美しさに恐れをなした人々が、事実はそうではないことを承知の上で広げた噂なのかもしれないと、瞬は思ったのである。

瞬は、スキュティア卿の顔を上目使いに見上げた。
身長差があるので、そういう見方しかできないのだが、もし彼と同じ高みで彼の顔を見ることができたなら、自分は彼の美しさにもっと圧倒されることになっていたのではないかと、瞬は思ったのである。
が、この獰猛で綺麗な悪魔は、兄の言を信じるなら、公にできない誓いを立てて自らを窮地に追い込んでしまったドジな騎士にすぎない。
恐れる必要はないのだと、瞬は自分に活を入れた。

「はい。少し控えめにすぎる方なので、少し強引に出てくださいとお願いしました。スキュティア卿は『もちろん、そうする』と おっしゃってくださいましたよ」
瞬の返事を聞いた本物のスキュティア卿が、僅かに眉を寄せる。
見事なシンメトリーの面差しは、少し歪みを生じると、途端にやわらかい印象の強い普通の青年に変わった――ように、瞬には見えた。

「あいつが? 彼女が気に入ったのかな」
スキュティア卿が独り言のように呟く。
「そうかもしれません」
本当は、本物のスキュティア卿にこそ気に入ってほしいのだが――と内心で溜め息をついた瞬に、
「あいつに押しつけるという手もあるな」
という彼の呟きが聞こえてくる。

いくらなんでも それは無責任すぎるだろうと、瞬は彼を怒鳴りつけてやりたかったのである。
が、今 ここでそうするのは、さすがにまずい。
瞬は、あえて、その呟きが聞こえなかった振りをした。
瞬が懸命に素知らぬふうを装っていると、本物のスキュティア卿が少し腰をかがめて そんな瞬の顔を正面から覗き込んでくる。
間近に迫ったスキュティア卿の顔に、瞬の心臓は大きく跳ね上がったのである。






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