「少しエスメラルダ嬢に似ている……か? 親族なのか」
「エスメラルダ様は、僕の母の妹の娘がミュシアの子爵家に嫁いで儲けた――え……と、又又又従姉くらいになるのかな」
「ほとんど他人じゃないか」
「まあ、そうですけど」
「ほとんど他人の令嬢の興入れのために、わざわざこの北の果てまでやってきたのか」
「北の果てだから――。長い旅になりますから、若さと体力が買われたのじゃないかと思っています」

まさか、ミュシアの騎士たちが皆、北の悪魔の噂に恐れをなして花嫁への同行を拒んだという事実は口にできない。
本物のスキュティア卿が、僅かに歪んだ笑みを作る。
瞬が口にしなかったことを、おそらく彼は知っている――少なくとも、察してはいるようだった。
瞬が守った沈黙に、彼はあえて触れるようなことはしなかったが。

「若すぎだ。花嫁より年下だろう。普通は、この手のことには、もっと老獪な――騎士としては使い物にならなくても分別は持ち合わせている年配の者をつけてくるものだ」
「僕は分別も持っています」
「分別があったら、ここには来ない」
「分別より、冒険心と勇気を多く持っていたので」
「北の悪魔に嫁ぐ羽目になった令嬢への同情心もだろう」
「……」

話しながら、どうしてこの人が獰猛で凶暴なスキュティアの化け物と噂されているのか、その噂がまことしやかに流布されることになったのか、瞬にはわからなくなってしまったのである。
当人が意図して流した噂だとしても、ここまで真実の姿と違う噂があっていいものだろうか。
スキュティア卿は、文句なしに美しい青年だし、人間としての知性もちゃんと備えているように見える。
綺麗すぎて冷たい印象を与えることはあるかもしれないが、兄が付き合っていられるのだから、卑怯卑劣な人物でもないはずなのだ。
そういう次元での兄の判断力に、瞬は絶対の信を置いていた。
早くに両親を亡くし、10歳になるかならずでリビュア伯爵家を継いだ兄は、彼を子供と侮った者たちに騙され裏切られる経験を幾度も積んできた。
だからこそ、人を見る兄の目は確かなのだ。
スキュティア卿は、絶対に“善い人”であるはずなのである。

「まあ、主役はあの二人だ。脇役は脇役同士でつるむことにしよう」
「え」
思いがけない申し出――である。
だいいち、彼がこの茶番を企んだのは、彼が未来の花嫁を意地悪く観察するためではなかったのか。
何より、真の主役が よくも白々しく自分を脇役だなどと言えるものである。
「はい」
もちろん、そんな考えはおくびにも出さず、瞬は彼に頷いた。
くすくすと忍び笑いを洩らしながら。

「どうした。何がおかしい」
本物のスキュティア卿は、おそらく人に笑われることに慣れていない。
そんな顔をして、彼は瞬に尋ねてきた。
彼の名誉のために、瞬は、その口許に浮かんでくる笑みを、懸命に噛み殺そうとしたのである。
「スキュティア卿が、騎士として立てた誓いのことを打ち明けてくださったんです。お母様より美しい女性でないと妻にはしないと誓ったとか」
「あのお喋りが……!」

本物のスキュティア卿が軽く舌打ちをする。
だが、彼は、すぐに この事態の奇妙さに気付いたらしい。
彼は真顔に戻って、まじまじと瞬を見詰めてきた。
「……珍しいこともあるものだな。奴は――いや、スキュティア卿は、俺に輪をかけて無愛想で口数の少ない男だと思っていたのに」
「そうなんですか? 僕にはとても親切にしてくださいました」
そんな答えを返す自分もかなり白々しい人間だと、瞬は内心で自分自身に呆れていた。
本物のスキュティア卿が、ますますその顔を歪める。
それから彼は、奇異の念で歪めたはずの顔を、違うもので――笑みと得心のようなもので――歪め直した。

「ま、可愛いからな」
「は?」
彼が、何を可愛いと言ったのか、最初瞬は彼の発言の意味するところがわからなかったのである。
それが自分のことだと気付いて、少し困惑する。
この美しい人に『可愛い』などと言われると、馬鹿にされたような気がしてならない。
皮肉の一つも言い返してやろうかと思ったのだが、従者の身でそれはまずいと、瞬は懸命に自分自身をたしなめた。

そんな瞬の上に、スキュティア卿が再びまっすぐ視線を据えてくる。
「どうか?」
「いや、おまえの名前は」
「瞬です」
「瞬……」
瞬が告げた名を復唱し、スキュティア卿が再び瞬を見詰めてくる。
いったい自分の顔に何か変なところでもあるのかと、瞬は、妙な居心地の悪さを覚えることになったのである。
その不躾な視線もさることながら、瞬に名を名乗らせたのに、彼自身は自分の名を名乗ろうともしないマナー違反。
スキュティア公爵と 彼の花嫁の従者の間でのことなら ともかく、“脇役”同士のこととなると、これは明確に礼を失した振舞いである。
ここで彼の青い瞳の前で目を伏せたなら、同じ脇役同士なのに、自分の立場が弱くなるだろう。
そう考えて、瞬は彼の瞳を見詰め返したのである。少しく挑戦的な気分で。

「何だ」
「僕は、僕の名を名乗ったのです」
「ああ」
彼は、まさかこの城の内に この城館の主の名を知らぬ者がいるとは思っていなかったのだろう。
今の自分が脇役だということを遅ればせながら思い出したらしく――本物のスキュティア卿は、失礼を責めるような目付きをした瞬に向かって 自らの名を名乗ることをした。

「氷河だ」
名乗ってから、
「決して、おまえを下に見たわけではない。怒らないでくれ」
と、言葉を付け足す。
獰猛な北の悪魔と噂されるスキュティア卿が、歳下の一介の騎士に『怒らないでくれ』とは。
彼なりに懸命らしい脇役の演技に、瞬は吹き出しそうになってしまったのである。
――実際に、瞬は笑ってしまった。

その笑みに、スキュティア卿は安心したらしい。
そして彼は、騎士らしい威厳の全くない表情と態度で、自身の失礼の言い訳を始めた。
「おまえが可愛すぎるのがいけないんだ。雪が解けて春に最初に咲く花のようだ。この土地の誰もが待ち焦がれている春の花――」
「……」
そう告げるスキュティア卿の眼差しは、騎士らしい威厳をたたえたものではなかったが、瞬をからかう様子もまた伴っていなかった。
彼は、本当に花を見るように――その目を細めて瞬を見詰めてきた。

この北の地の誰もが待ち焦がれている花――は、おそらく華やかな大輪の花ではないだろう。
花に例えられること自体は、仮にも騎士の身分を有する瞬には名誉なことではなかったが――どうせ花に例えられなければならないのなら、派手な色をした大輪の花に例えられるより、春の訪れを告げる小さな花に例えられる方が、瞬は嬉しかった。

「本当に、おまえ一人なのか? エスメラルダ嬢の従者の騎士は」
「残酷で獰猛なスキュティア卿の噂を聞いて、他の者は皆 恐れをなしてしまって」
もう正直に告げても大丈夫――と瞬が判断したのは、彼が、亡き母に立てた誓いのせいであり、彼が口にした春の花のせいだったろう。
笑いながら、瞬は彼に“事実”を告げた。
それは婉曲的にスキュティア卿に関する噂を否定することになる行為だった。
瞬の考えを察して、スキュティア卿もまた、瞬に苦笑を返してくる。

「分別より冒険心と勇気の持ち合わせの方が多いようなことを言っていたが、おまえは恐くなかったのか。獰猛で凶暴な北の悪魔が」
「僕は剣で人に負けたことがありません」
「なに……?」
思いもよらない台詞だったのだろう。
彼は、その青い瞳を、ありえないほど大きく見開いた。
途端に、彼の印象が邪気のなさを増す。
瞬は彼を自分より10は年上と思っていたのだが、実は数歳しか違わないのかもしれないと、認識を改めることになった。

若い(本物の)スキュティア公爵が、瞬の細腕をまじまじと見やって、微かに唇を開く。
「それは皆が――」
これまでの対戦相手が皆、わざと負けてくれたに決まっている――と、彼は言おうとしたようだった。
結局、彼は彼の推察を言葉にはしなかったが。

彼が、痩せっぽちの子供の鼻をあかしてやろうと考えたのか、あるいは、自分の実力を正しく認識していた方が若すぎる騎士のためになると考えたのかは わからない。
本物のスキュティア卿――氷河――は、からかうような調子で、瞬に、
「それはぜひとも手合わせを願いたいな」
と申し出てきた。
その申し出を、もちろん瞬は笑顔で受けたのである。

長旅を終えたばかりで疲れていると告げ、明日にしてもらうこともできたのだが、瞬はあえて そうすることはしなかった。
エスメラルダの身の安全のためにも、ここでスキュティアの領主に侮られるわけにはいかない。
彼の目には身の程知らずの幼い騎士に見えているものが、その姿通りのものでないことを、彼に早めに知らせておくことは、エスメラルダのために有益だろうと考えて、瞬は彼の申し出を受けたのである。
それに、凶暴で獰猛な野蛮人と噂されている人物の剣の腕前を見ておきたいという気持ちも、瞬の中にはあった。
瞬は、自分が北の悪魔に勝てると思ってはいなかったが、また負けることがあるとも思っていなかった。

瞬は、この美しい青年が、姿と同じように美しく気高い心でエスメラルダを愛し慈しむようになってくれたらいいと願うようになっていた。
そう願い始めている自分に気付いて――瞬はなぜか、その胸に小さな痛みを覚えてしまったのである。






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