もの言わぬ瞬。 もの言わぬ花。 その場で雄弁なのは、はしゃぎ転がるようにきらめいている眩しい初夏の陽光だけ。 明るく沈鬱な沈黙を、勇気を振り絞って破ったのは、某天馬座の聖闘士だった。 「おい、瞬。おまえ、氷河が好きな相手が誰なのか知ってるのか」 「知らない」 抑揚のない声でできた瞬の答えが、すぐに返ってくる。 「あちゃ〜」 瞬の即答を聞いて、星矢は思わず右の手で自分の顔を覆うことになってしまったのである。 瞬が 氷河の恋の相手を知らないというのなら、これは最悪の事態である。 瞬は、肝心のことを知らずに、氷河を焚きつけ、けしかけていたのだ。 「知らない――って、知らずにあんなこと言ったのかよ」 「知らない。知りたくなんかない」 やはり抑揚のない声で――むしろ、冷淡と言ってもいいような声音で――同じ答えを繰り返した瞬の瞳から、ぽつりと涙が零れ落ちる。 嫌な予感が急激に強まって、星矢の心臓は大きくどきりと波打った。 星矢の嫌な予感は、もちろん的中する。 一度 涙に零れ落ちることを許した瞬の瞳は、数秒後には、もはや制御不可能と言っていいほどに大量の涙であふれかえってしまっていた。 「どうしよう……。僕、氷河が好きだったみたい……。どうしよう……」 「どうしようって、おまえ……」 婚約前に自分の不徳に気付けなかったキェルケゴールもキェルケゴールだが、瞬も彼に負けず劣らず迂闊である。 氷河に誘われるたび、憧れの王子様にプロポーズされた平民の女の子のように嬉しそうに 氷河のあとを追いかけていっていた自分の姿を、瞬が鏡に映して見たことがなかったのが、この不幸な事故の第一の原因だったかもしれない。 氷河の側でいつも頬を薔薇色に上気させていた自分のその姿を見る機会に恵まれていたならば、いかに鈍感な瞬でも、自分の気持ちに気付くことができていたはずである。 だが、不運なことに瞬は、好んで自分の姿を見たがるナルシストではなかったのだ。 だが、それにしても。 なぜ今になって気付くのだ! ――と、星矢は、この事態に激しい苛立ちを覚えてしまったのである。 瞬が せめて10分前に その事実に気付くことができていたなら、事態はこれほど面倒なことにはならなかったかもしれないというのに。 本当に――これは最悪の事態だった。 「紫龍、何とかしてくれよ!」 瞬自身に、この最悪の事態を打破することは不可能である。 瞬の鈍感がここまでとは思わずに混乱しているのだろう氷河も、全く当てにはできない。 となると、現状打破のために動けるのは、この恋の第三者である者たちだけである。 星矢が紫龍に、この事態を“何とかする”ように求めたのは、ある意味では至極妥当な判断だったろう。 が、恋というものは、二人の人間の心が重なり合って成立する事象。 どう考えても、第三者の介入は、あまり好ましいことではない。 とはいえ、だからと言って何もせずにいると、この無茶苦茶な事態のとばっちりを受けることになるのは、他でもない恋の第三者たちなのだ。 「何とか――と言っても……。瞬が氷河に言った言葉を、そのまま瞬に言うことしか、俺にはできないぞ」 そう前置きをしてから、紫龍は、あまり気が進まない様子で瞬の方に向き直った。 「せっかく自分の心に気付いたんだ。今からでも遅くはない。氷河に告白してみたらどうだ? それで万事がうまくいって、おまえは幸福になれるかもしれない」 「そんなこと……」 紫龍の提案に、瞬は力なく――だが、ためらう様を見せずに即座に、その首を横に振った。 「そんなことできないよ……。僕は聖闘士で、いつ戦いで命を落とすかわからないし、女の子でもないし、僕、そんなことしたら、氷河に迷惑をかけちゃう」 自分の恋を自覚する前は(ほんの数分前である)、あれほど熱心に氷河をけしかけていた瞬が、同じことを提案されただけだというのに、臆病に尻込みする この不思議。 瞬は、星矢たちにも見てとれるほど はっきりと、身体を小刻みに震わせていた。 「そんなふうに決めつけるなと、おまえは氷河に言っていたじゃないか」 「だ……だって、僕は氷河に幸せになってほしいんだもの。氷河には、最初から諦めたりなんかしてほしくなかったんだもの」 「氷河にはそう言っておいて、おまえは最初から自分の恋を諦めるのか」 「僕の恋は僕が耐えればいいだけのことだもの……」 瞬が、いらぬところでアンドロメダ座の聖闘士得意の自己犠牲精神を発揮する。 発揮する場面によっては、この地上を破滅から救うこともできる強大なその力が、こと恋の場面では、無用の長物どころか、恋の成就を妨げる傍迷惑な力だった。 その傍迷惑な力を発揮しながら、瞬はぽろぽろと涙を零し続けている――。 「おい、紫龍……」 星矢は、本音を言えば、今は、『この事態をどうにかしたい』という気持ちより、『この鈍感な勘違い聖闘士をどうにかできないのか』という気持ちの方が強かった。 だが、こればかりはアテナの聖闘士の力をもってしても“どうにか”できるようなことではない。 鈍感な人間を鋭敏な人間に変えることは、ただでさえ難しい事業であるのに、瞬のこの鈍感と勘違いは、言ってみれば、瞬の自信のなさから発していることなのだ。 「まあ、氷河は、明日には告白すると言ってるんだし、それですべては解決するだろう」 紫龍はそうぼやくことしかできなかったのである。 実際、星矢と紫龍の常識的判断力で考えれば、それですべては解決するはずだったのだ。 氷河が、氷河の好きな人に『好きだ』と告白し、彼に告白された人間が、彼の好意を素直に受け入れさえすれば、万事は丸く収まるはずだった。 「ん……。うん、そうだよな……」 それでも、本当にそうすべてが丸く収まるのだろうかという不安は拭い去れない。 それでも、そうなることを期待し信じることしかできない。 “自分の努力でどうにかできないこと”が大嫌いだった星矢は、ただ信じ願うことしかできない この状況が不快でならなかった。 そして、彼の中に根づいてしまった“嫌な予感”もまた、一向に彼の胸中から消えてくれなかったのである。 |