ヒョウガとシュンは、幼い頃は何のわだかまりもなく、仲の良い婚約者同士だった。
そして、町中の人々の期待を一身に受けているモンタギュー家のヒョウガは、誰からも気遣われ、甘やかされて育つことになった。
ヒョウガは、どちらかと言えば、他人に対して強く出ることがなく大人しい青年だったロミオとは正反対。
彼は、我が強く腕白がすぎる少年に成長し、それは青年と言われる歳になっても変わらなかった。
それでも――どんな我儘も強情も、それがヒョウガのすることなら、彼の周囲の者たちは、大抵のことは大目に見、どんなことでも歓迎したのである。

ヒョウガは、生きて そこにいてくれるだけで、皆の希望たる存在なのだ。
町の汚名を晴らす重責を担った存在でもある。
多少我が強くても、それは、恋の成就という目的に向かって積極的かつ能動的に行動するための美徳。
町の再生を担い、死にかけた町に新しい命を吹き込む救世主に、文句を言う者など誰一人いなかったのである。

一方のキャピュレット家のシュンは、ヒョウガに比べればはるかにおっとりしている、大人しい性格の持ち主。
我の強いヒョウガと いつも一緒にいることを余儀なくされていたせいか、シュンはヒョウガより一歩下がったところに己れの居場所を据える癖がつき、人に意見を譲ることを知っている従順の美徳を備えた、名家の令嬢としては理想的かつ模範的な少女に育っていた。

その上、ヒョウガとシュンは、どちらもそれぞれに美しかった。
恋を実らせることができないまま死んでいったロミオとジュリエットの願いが宿ったように――二人は、美しい恋人同士になるためのすべての条件を備えていたのだ。
ヒョウガは、ロミオにはなかった意思的な瞳と華やかさ。
シュンには、ジュリエット以上の可憐さとつつましやかさ。
ヒョウガは強い光のように、シュンはその光を受けて美しさを増す可憐な花のように、まさに理想の一対となっていったのである。

誰もが、二人は幸福な恋人同士になり、愛し合う夫婦になるものと、期待していた――否、決めつけていた。
実際、ヒョウガとシュンの二人が並ぶと、理想の恋人たちの姿がそこに出現する。
両家の不幸な過去を清算し、ヴェローナ再生の象徴とするのに、これ以上の二人はいるまいと、ヴェローナの町に住む すべての者たちが感じ、また信じてもいた。

中でも特に、ロミオとジュリエットの両親たち――我が子を亡くした夫婦たち――は、二人の孫の成長を楽しみにしていたのである。
愛する息子と娘を失った時には、もはや自分たちの上に幸福な時が訪れることはないだろうと絶望していた二組の夫婦。
今は老齢といっていい年齢に達した彼等は、奇跡のように美しい孫たちに恵まれ、過去の悲劇に立ち会った時には想像もできなかったほど幸福な引退生活を送っていた。
いつも一緒にいることを期待されているヒョウガとシュンは、特に祖父母のところに行く時にはいつも二人で赴き、不幸で幸福な祖父母たちの慰めたることを心掛けていたのである。
そんな二人を見るたびに、老境に至った夫婦たちは切なく幸福な涙を浮かべるのだった。

悲しい人生を送っている者たちにも、恵まれた人生を送っている者たちにも、過ぎ行く時の流れは公平で平等である。
そんなふうに孫たちの成長を見守っていた彼等は、やがて一人ずつ、櫛の歯が欠けるように神の御許に召されていった。
彼等の最期の言葉は誰のものも、彼等の息子と娘たちへの悔恨と、若い孫たちの幸福を願う言葉だった。
親として この世で最大の不幸を味わい、祖父母として この世で最高の幸福を得た彼等の最期の言葉を伝え聞いたヴェローナの町の人々は、誰もが愛惜の涙を流したのである。
そして、不幸な親たちが4人共 神の御許に旅立つと、ヒョウガとシュンの婚姻という約束は、何があっても果たされなければならない遺言となり、ますます強く二人を縛ることになったのだった。

だが、子供は親に反抗し、若者は世間に反発するものである。
祖父母が亡くなり、ヒョウガとシュンが そろそろ恋を知ってもいい年頃になると、それでなくても我の強い男の子だったヒョウガの反抗心は、いよいよ強く頑ななものになっていったのだった。

「なーにが、オジイサマオバアサマの遺言だ! なにがヴェローナの町の悲願だ! なんで、俺たちがそんなものに縛られなきゃならないんだ。ロミオとジュリエットの昔から、ヴェローナの町もモンタギューもキャピュレットも何も変わってない。若い者たちを縛りつけるものが、抗争の鎖から義務的な友好の鎖に変わっただけじゃないか! 俺たちの気持ちを無視しやがって!」

世間の横暴を非難し怒りを爆発させるヒョウガに、従順の美徳を備えたシュンは決して反論しない。
青春期の激情的な苛立ちに囚われているヒョウガの言葉に、シュンはいつも素直に頷き、彼をたしなめるようなこともしなかった。
「ほんとにそうだよねぇ。僕たちの気持ちはどうなるの」
控えめに、だが迷いも戸惑いもない様子で、シュンはいつもヒョウガに同意する。
そして、シュンにそう言われると、ヒョウガは必ずといっていいほど、その端正な顔を歪めることになるのだった。

「本当にそう思っているのなら、おまえも親父たちのやりように抵抗してみせたらどうなんだ。俺の言うことに頷いているだけじゃなく、この婚約を不本意だと思っていることを、声に出して、行動を起こして、親たちに訴えるんだ!」
シュンはヒョウガに対して いつも従順だったが、ヒョウガ以外の者たちに対しても従順で、人に反抗の素振りを見せることなど決してしなかった。
両親の前でも、二人の結婚を期待しているヴェローナの町の者たちの前でも、自分とヒョウガが婚約者同士であることへの不満を態度にして表したことは、シュンはただの一度もなかったのだ。

いきり立つヒョウガに、シュンが、捉えどころがなく やわらかい微笑を向ける。
「僕がいつも男の格好をしていることがそう・・なの。僕は良家の子女にふさわしくない格好をすることで、ヒョウガと同じ主張を主張しているつもりだよ」
「……」
シュンに穏やかな口調でそう言われると、ヒョウガはそれ以上のことを、彼の婚約者に求めることはできなかった。

控えめで大人しく、決して未来の夫に逆らうことをしないシュン――他のすべてのことで世間の常識に従っている“理想的な良家の子女”であるシュンが行なっている、世間の慣習と理想に反した唯一の“行動”が男装という行為だった。
シュンはいつもドレスを身に着けずに、男子の格好をしていた。
『ヒョウガのように言葉で反抗できない分、行動で』と、ヒョウガに言って。

だが、それが嘘であることを、ヒョウガは知っていたのである。
シュンは、ヒョウガ以外の者たちには、
『本来なら人前に出ることを許されない未婚の娘がいつもヒョウガの側にいるためには、こうしなきゃならないの』
と言って、その“反逆行為”を行なっていたのだ。
シュンはただ、ヒョウガともヒョウガ以外の誰とも いさかいを起こしたくないから、そうしているだけなのだ。
そして、ヒョウガが彼の婚約者であるシュンに そんな非常識な振舞いを許すのは、シュンがそういう格好をしている方が、不埒な男たちの心や目を惑わすことがないだろうと思うからだった。
口ではあれこれ不満ばかり言っているにもかかわらず、ヒョウガは彼の婚約者を心から愛していたのである。






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