霊安所の入り口の方から ぼんやりとした灯かりが近付いてきていた。
棺の安置されている部屋に松明たいまつを持った人々が近付いてくる気配がする。
その松明の炎が霊安所全体を照らし出した時、墓所に集った人々は、死んだはずの者が石の棺の上に身を起こしている姿を見ることになったのである。

「町の皆々、いったい……」
ヒョウガの父が、真夜中の訪問者たちに尋ねると、松明を持って人々の先等に立っていた男が、信じられないようなものを見るような目をして、どもりながら真夜中の不法侵入の訳を語り出した。
「いや、この娘が――以前 この町にいたロレンス神父にローマで会ったことがあると言って――」
そう言って男が指し示したのは、ヒョウガの友人であるところの、あのヴェネツィアから流れてきた女性だった。
僅かに眉をひそめて、モンタギュー家の当主が重ねて尋ねる。

「ロレンスというと、あの……?」
ロレンスというのは、ロミオとジュリエットに婚姻の契りを成さしめ、若い二人の上に死を招いた神父の名である。
尋ねられた男は、2、3度、痙攣するように頷いた。
「あの悲劇のあと、ヴェローナの町を出て行方知れずになっている、あのロレンス神父だ。自分の犯した罪をつぐなうため、ローマに巡礼に出ていたらしい」

「ああ」
あの悲劇に人生を狂わされたのは、ロミオとジュリエットだけではなく、モンタギュー家の者とキャピュレット家の者たちだけでもなかったのだ。
呻くように低い声を、ヒョウガの父は洩らした。
「その時、ロレンス神父がローマの破戒僧に酒場で管を巻いているのを漏れ聞いたというんだ。あの時、ジュリエットは本当は毒薬を仰いだのではなく、一時的に仮死状態になる薬を口にしただけだったのだと。それで、シュン殿が飲んだ薬というのももしかしたら――と、この女が言い出して、皆で確かめに行こうという話になったのだ」

ヒョウガの婚約者のいかにも清楚な姿を切なげに見詰めていたヴェネツィア女は、やがて気を取り直したように得意げに、彼女が引き連れてきた男たちに言い放った。
「ほら、あたしの言った通りだったろ。やっぱりシュンさんは生き返ってた!」
「いやいや、これはやはり奇跡なのに違いない。それでなかったら、ロミオとジュリエットが二度の悲劇を妨げようと計らってくれたのだ」
「神のご意思なのに決まっている! 神はヴェローナの町を見放していなかったんだ!」
集まってきた者たちが、よりにもよって静寂を保つべき死者のための場所で、口々に大声で喚き始める。
彼等の顔は一様に、喜びに覆われ輝いていた。

それが薬のせいでも、ロミオとジュリエットの祈りの成せるわざでも、神の意思でも、ヒョウガは何でもよかった。
シュンが生きていてくれさえすれば。
希望が、再び彼の許に戻ってきてくれさえすれば。
シュンが生きていてくれさえすれば、シュンを恋する男もまた生きていられるのだ。

「シュン!」
ヒョウガは感極まって、生き返ってくれた彼の恋人を力の限り抱きしめたのである。
その腕の力を緩めずに、ヒョウガは、彼同様 希望を取り戻したヴェローナの町の者たちに、咆えるように宣言した。
「すぐに――今すぐに、俺とシュンは結婚する。教会に行くぞ。神父が寝ているようなら、叩き起こせ!」
途端に、死んだ者をまつる静謐の場所に、まるで祭りのような歓声が響き渡った。
松明を手にしていた男たちが、その松明を振り回して飛び跳ねだす。
ほとんど同時に、祭りの先触れを務めようとした数人の男たちが、町と教会に向かって、それぞれ我先にと霊安所から駆け出していった。

ヒョウガの胸の中で、シュンは、死んでいた時よりも その頬を青ざめさせることになったのである。
死んでも放すものかと言わんばかりに力のこもっているヒョウガの腕に縛りつけられた状態で、シュンは懸命に首を横に振った。
「ヒョウガ、だめだよ。僕は――」
「だめなことなどない。俺は、おまえなしでは生きていけないことがわかった。すぐにでも結婚してしまわないと、今度は俺の方が不安で死んでしまう」
「ヒョウガ……! だって、僕は女の子じゃな――」
「知ってる。黙ってろ」
「え……」

ヒョウガが『知ってる』こととは、やはり、“あのこと”なのだろうか。
完璧な婚約者と言われているキャピュレット家の令嬢が、実は、完璧どころか不完全な婚約者であること――。
ヒョウガの言葉に息を呑んだシュンの身体は、次の瞬間、彼の・・婚約者に抱き上げられていた。
そのまま教会に運ばれたシュンは、そして、はなはだしく混乱したまま、ヒョウガと夫婦の誓いを立ててしまったのである。

真夜中に、降るような星空に向かって賑やかに響き渡った教会の鐘の音は、悲しい眠りに就いていたヴェローナの町の住民たちを叩き起こすことになった。
鎮魂の夜をかき乱す傍迷惑な深夜の鐘の音の訳を聞くや、ヴェローナの町の人々は皆、文句を言う代わりに、互いの肩を叩き合って笑い浮かれ始めた。
酒場や食堂は煌々と灯かりをともし、明日の商売のために仕入れておいた食べ物や飲み物を大盤振る舞い、ヴェローナの町は謝肉祭の真昼よりも賑やかで明るい喧騒に覆われることになったのである。

ほとんど町の住民たちに引っ張られる形で教会に連れて行かれたシュンの両親は、あれよあれよというまに為されてしまった婚姻の儀式にあっけにとられることになったのである。
それはそうだろう。
ヴェローナの町の二つの希望が、男同士であるにもかかわらず結婚してしまった――あろうことか神の御前で、永遠の愛を誓ってしまったのだ。
「モンタギュー家のロミオに永遠の愛を誓うか」
と問われ、正直に、
「はい」
と答えただけだったシュンもまた、『はい』と答えてしまってから、その『はい』の意味するところに気付いて呆然とすることになってしまったのである。






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