「あなたは、あなたが生まれた時代を懸命に生き、あなたが信じ守りたいもののために戦ってくれれば それでいいのよ」 アテナは瞬に、いつもそう言ってくれた。 瞬がアテナの身を案じるたびに。 限りある命をしか持たない ちっぽけな人間にすぎない瞬が、仮にも神であるアテナの身を案じるというのは、考えようによっては不遜極まりないことだったろう。 それがわかっていても、瞬はそうせずにはいられなかったのである。 アテナがその身に負っているものがあまりに過酷で重いものに思えたから。 瞬がその戦いに身を投じたのは13歳の時。 それから3年の間、瞬は戦いの連続といっていい日々を過ごしてきた。 否、むしろ、瞬の人生は戦いの中にあったと言っていい。 そして、3年が経った今でも、その戦いが終結する兆しは毫も見えない。 瞬がその身を投じることになった戦いは、だが、実際には3年どころか数千年の昔から続いてきた戦いだという話だった。 人間が世界のあちこちで原始的な文明を生み始めた頃から、古代の幾つもの王朝が栄え滅びる間にも、かのローマ帝国がギリシャの自然神を放棄し イエスという一介の人間の唱えた教えを国教とした時にも、その戦いは続いていた。 俗世の人間たちは、つい先頃発見された新大陸に その教えを広めようと躍起になっているらしいが、そんな今も、この戦いは終わりを迎える様相も見せずにいる。 アテナは人間の身体を借りて地上に顕在し、その人間の肉体には限られた寿命というものがあるが、アテナの“心”は死を知らず、その目は数千年に及ぶ この戦いをずっと見詰め続けてきたのだと、瞬は、他ならぬアテナ自身に知らされていた。 知恵と戦いの女神アテナと死の国の王ハーデスが、人の世のありようを巡って続けてきた戦い。 生と死、希望と絶望、有と無、興隆と衰亡――。 二柱の神が唱える主義と理想は、あらゆる面で対立し合っていた。 アテナは、人の世の滅びを非とし、ハーデスは、是とする。 アテナは、人の世界には希望が必要であると言い、ハーデスは、そんなものを抱くことこそが人を絶望に導くのだと言う。 アテナは、人の在る世界を美であり善であるとし、ハーデスは、醜悪な人間の存在しない世界こそが美であり善であるとする。 アテナは生を正とし、ハーデスは死を正とする。 その戦いの中で、瞬は、アテナの側の陣営に身を置き、彼女の聖闘士として戦ってきた。 アテナの掲げる理想を正義と信じて。 更には、もっと現実的な“都合”で。 瞬はアテナの聖闘士であると同時に人間でもあったので、その世界が滅びることを是と思うことはできなかったのだ。 アテナを信じている。 人間の、少女の姿をしたアテナ。 瞬は彼女を女神として畏敬し、同時に人間としての彼女にも好意を持っていた。 終わりの見えない戦いに絶望しかけても、彼女に出会い、彼女と言葉を交わし、彼女の小宇宙に触れると、瞬の中には新たな希望が生まれてくる。 瞬が信じているものは、もしかしたら、『アテナの掲げる理想は正義である』ということではなく、『彼女が人間という存在を愛している』という事実だったかもしれない。 自分は人間だから、自分の生だけを懸命に生きていれば、それでいい。 だが、彼女の戦いは既に数千年の長きに渡って続き、これからも更に数千年、もしかしたら永遠に続くものなのかもしれない。 その長い時間を、彼女は人間のために耐えてきた。 これからも耐え続ける。 瞬には そんな彼女の心を案じずにはいられなかったし、また、到底 彼女を疑うことはできなかったのである。 自分が生きている間だけでも彼女の力になれるのなら、瞬はアテナの聖闘士になり得た自らを誇らしく思うことこそあれ、そのさだめを悲しく苦しいものと思うことはなかった。 だが――。 |