ハーデスの冥闘士たちが再び聖域に攻めてきたのは、それから数日後のことだった。
瞬は聖衣を身にまとい、冥闘士たちが侵入してきた場所――聖域の西方――に急いだのである。
ハーデス軍との戦いの場が聖域になることが多いのは、生きている人間が冥界に行くことには様々な支障がある――という事情もあるが、アテナが彼女の聖闘士たちの身を守るために、両軍の戦いを 彼女の力の及ぶ範囲内で行なわせたいと思っているせいでもあった。

アテナの聖闘士たちの真の敵は、いってみれば“死”そのもの。
アテナの聖闘士であれ、そうでないものであれ、限りある命をしか持たない人間であれば、それは最後には必ず屈することになる“敵”なのだ。
その厳然たる事実を承知した上で戦う意思を持ち続けることのできる者たちこそがアテナの聖闘士であるのだが、アテナはその絶対的なハンデを、彼女の力で少しでも軽減したいと考えているようだった。
そのため、アテナの聖闘士たちは自分たちの方から冥界に攻撃を仕掛けていくことを禁じられていた。
当然の帰結として、両軍の戦いは聖域で繰り広げられることになっていたのである。

108人いるという冥闘士。
これまで幾人が倒され、幾人が生き残っていて、その中の幾人がこの襲撃に加わっているのかは、瞬にはわからなかった。
が、それがたとえ10人であっても100人であっても、瞬の目には彼等は皆 似たような者たちに見え、ほとんど区別がつかないのだから同じことだったろう。
同じことだと、瞬は思った。

だが、彼だけはわかる。
彼だけはわかるのだ。
彼の小宇宙は、光を放っているように明るい。
他の冥闘士たちは その身に闇の重みをまとっているのに、彼だけは違う。
もしかしたら、それは瞬にだけ見える光なのかもしれなかったが、それならば なおさら、自分が彼を正しい場所に導いてやらなければと、瞬の決意は強まった。

「いた!」
つい声に出してしまうほど、彼の姿を認めた時、瞬の胸は躍った。
即座にチェーンを放ち、彼の腕を絡め取る。
「また、おまえか」
冥衣のマスクの隙間から覗く、輝くような金色の髪。
すっかり聞き慣れてしまった声の響き。
彼の淡々とした声音に、瞬は弾むように明るい声で答えたのである。
「僕と戦うのは、もう飽きた?」
「敵が誰でも、俺は戦うだけだ」
言うなり、彼は瞬のチェーンをいとも簡単に振り払った。

彼の声は抑揚がなく、ひどく冷ややかである。
だが、瞬には、彼が この再会を喜んでくれているのがわかっていた――感じとれていた。
実際、彼は今、他の敵たちを――味方たちまでも――完全に無視し、瞬だけをその視界に映している。
これまでも、いつも そうだったのだ。
この、金色の冥闘士は。

瞬は、彼の瞳の中を覗き込んで、それが自分の勝手な思い込みでないことを確かめたかった。
彼が暗い色の冥衣のマスクを取ってくれたなら、自分は またあの彼の青い瞳を見ることができるのだ。
彼がハーデスの冥闘士でなくなってくれたなら。
そのためにも――瞬は今日、何があっても絶対に、彼に勝たなければならなかった。

「今日は手加減なしでいくよ」
瞬が気負い込んで宣言すると、彼は、きかん気な子供を呆れ見おろすような仕草を見せた。
「まるで、これまでは手加減していたような口振りだな。だから、これまで俺を倒せなかったのだとでも言うつもりか」
「そうだよ!」
瞬は即座にきっぱりと答えたのである。
それは虚勢ではなく事実なのだから、彼の揶揄に頷くことにためらいもない。
自分はこれまで、彼を傷付け倒すことを、無意識のうちに恐れ避けていたのだと、瞬は今ではわかっていた。

そんな瞬に、
「なぜ おまえが俺に手加減する必要がある」
と、彼が尋ねてくる。
「え……」
問われて、瞬は、今度は返答に窮したのである。

『あなたは他の冥闘士と違うから』『あなたは特別だから』――と正直な答えを返せば、彼はきっと、『どこが?』『その勝手な判断の根拠は何だ』と尋ね返してくる。
死と滅びを是とするハーデスの冥闘士であるにもかかわらず、そして、その冷ややかな印象にもかかわらず、彼は実は突っ込み体質なのだ。
抑揚のない素っ気ない声と言葉で、彼はもしかするとアテナの聖闘士をからかって遊んでいるのではないかと思うことが、瞬はこれまでにもしばしばあった。

そして、彼にそう問い返された時、まさか『僕がそう感じるから』と本当のことを答えるわけにはいかないではないか。
答えるわけにはいかないので、瞬は、彼に問われたことには答えなかった。
「そ……そんなこと、知らない……!」
嘘をつくと、瞬の頬は我知らず上気する。
彼はアンドロメダ座の聖闘士のその癖を知らないはずなので、彼に頬の上気の弁解をする必要はないが、瞬自身は自分のその癖を知っていた。
おかげで、瞬は、これ・・は単に戦闘意欲が高まって、血がたぎっているせいなのだと、自分に言い訳をすることになってしまったのである。

とにかく、瞬は今日は手加減をするつもりはなかった。
彼を捕えアテナのところに連れていけば、彼は、同じ理想のために共に戦う同志になってくれるかもしれない――おそらく、十中八九そうなる。
人を傷付けずに、敵の数を減らすことができるなら、これほど嬉しいことはない。
きっとアテナも喜んでくれるだろう。
『だから 彼を掴まえて』と胸中で強く念じて、瞬は再びチェーンを彼に向けて放ったのだった。






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