幸福の法則






この世界のずっとずっと北の方に大きな国がありました。
北の国と聞いてピンときた あなたになら もうおわかりでしょうが、その北の国の王子様は、もちろん 氷河王子様といいました。
金髪で青い目をしていて、当然のごとく独身で、逃れられない宿命のごとくマザコン。
氷河王子は、亡くなったお母様より美しい姫君でないと絶対に結婚などしないと言い張って、叔父君であるカミュ国王を大層 困らせていたのです。
まあ、非常に ありがちな設定ですね。

ありがちな設定の氷河王子は、ありがちな設定のカミュ国王が、
「さっさと妻を迎えて跡継ぎを儲けないと、職務怠慢で王子としての地位を剥奪するぞ」
と言って脅しても、
「頼むから結婚してくれ。でないと、私はおまえの亡き両親に申し訳が立たない」
と哀願しても どこ吹く風。
「王子の職を解かれたら、遠洋マグロはえなわ漁船にでも乗り込んで、生計を立てるさ」
だの、
「俺の両親も、俺が意に添わない結婚をすることなど望んでいないだろう」
だのと屁理屈をこねて、氷河王子は 一向に一国の王子としての務めを果たそうとしないのです。

氷河王子の態度は、決して解けることのない北の果ての永久氷壁のように頑なでした。
そんな氷河王子の無責任で我儘な態度に悩んだカミュ国王は、最後の手段として、王室主催の大掛かりな舞踏会を開くことにしたのでした。
これまた、非常にありがちな展開です。

ありがちではありますが。
『ありがち』ということは、『普遍的である』ということと ほぼ同義。
そして、『普遍』とは『宇宙や世界の全体に関していえること』『例外なくすべてのものにあてはまること』という意味です。
一つの問題解決方法が ありがち(≒ 普遍的)であるということは、その問題解決方法が、場所や時代を超えて有効であるということなのです。
ですから、画期的な問題解決策を思いつかなかったからといって、極めてありがちな対処法を採用したカミュ国王を馬鹿にしてはいけませんよ。
カミュ国王は伝統を重んじる保守的な王様だったのです(それは、必ずしも悪いこととは言えません)。

伝統を重んじる保守的なカミュ国王は、王宮に国中の未婚の女性を集めて氷河王子に見せたら、その中に一人くらいは氷河王子の心に響くものを持つ少女がいるかもしれないと考えました――期待しました。
いわゆる『数撃ちゃ当たる』方式です。
このやり方は、無駄弾が多く出ることになり、あまり効率的な策とは言えませんが、北の国は多少の無駄弾を惜しまなければならないほど財政が逼迫してはいませんでしたから、カミュ国王は その策の非効率を問題視することはありませんでした。
利益を得るためには それなりの投資が必要である――と、カミュ国王は(彼にしては)クールかつ現実的に考えたのです。

クールな(?)カミュ国王の指揮のもと、舞踏会の準備は、速やかに、かつ極秘裏に進められました。
舞踏会開催計画が氷河王子に知れたら、氷河王子は臍を曲げて、家出をしたり、舞踏会当日に姿をくらましたりしかねません。
カミュ国王は、氷河王子のそういう性格を よく知っていたのです。

ですが、国中の未婚の女性を一堂に会するほどの大規模な舞踏会の準備が、氷河王子に知られずに済むはずはありませんでした。
なにしろ、カミュ国王は、国中の未婚女性を王宮に集めるために、
『王室主催の大舞踏会開催決定! 資格不問、経験不問。すべての未婚の女性に身分問わずにチャンスあり。氷河王子のハートをキャッチして未来の王妃になろう! ただし、ドレスは自分でご用意ください』
なんていう煽り文句の入った氷河王子のどアップポスターを10万枚も準備して、国中の電信柱に貼ったり、電車の吊り広告にしたりしたのです。
それだけならまだしも、問題のポスターを王宮の廊下の壁にまでずらーりと貼りつけることまでしたのですから、極秘舞踏会開催計画が氷河王子にばれないはずがなかったのです。
(もともとカミュ国王は、慎重な国王なのか迂闊な国王なのかの評価の分かれる国王でした)

氷河王子が ある日、王宮の廊下をてくてく歩いていて、ふと顔をあげてみたら、その視界に『氷河王子のハートをキャッチして未来の王妃になろう!』のポスター数十枚が飛び込んできたのです。
そんなものを見せられて、それでもクールでいることを氷河王子に求める方が無理な話だったでしょう。
おまけに、カミュ国王が問題のポスターに採用した氷河王子の写真は、右45度のところから撮ったもの。
ところが、氷河王子は、左30度から見た自分がいちばんカッコいいと思っていたのです。
当然のことながら、氷河王子は、
「なんだ、このポスターは! 俺の人生を勝手に決めるなー!」
と、怒髪天を衝くことになりました。

カミュ国王の計画に腹を立てた氷河王子は、臍を曲げて早速 家出を決行しようとしたのですが、彼はぎりぎりのところでそれを思いとどまりました。
自分の一生に関わる重大事を他人に勝手に決められかけたのです。
姿をくらます程度のことでは、氷河王子の怒りは治まりそうにありませんでした。
ええ。どうあっても、何が何でも、未来の国王を種馬扱いしてくれたことへの意趣返しをしてやらないことには自分の気が済まないと、氷河王子は思ったのです。

でも、どうやって? ――と考え始めて30秒後。
氷河王子はとても素敵な計画を思いつきました。
その計画を『素敵』と感じたのは もちろん氷河王子の主観です。
ですから、当然、その計画が氷河王子以外の人にも『素敵』と思えるものなのだったかどうかということについては安易に判断できるものではありません。
ですが、この場合、大事なことは、氷河王子がその計画を『素敵な計画』だと思ったということ。
『素敵』と思えばこそ、人はその計画を意欲的かつ積極的に成し遂げようという気になるのです。
生きていることを 素敵と思って自分の人生を生きる人と、生きていることはつらいばかりと思って自分の人生を生きる人とでは、自分の人生に対する姿勢が全く違ってくるのと同じです。

それはさておき、『思い立ったが吉日』と俗に言います。
氷河王子は早速、彼が思いついた素敵な計画を実行に移すことにしました。
氷河王子はまず、カミュ国王に、
「俺の妻を選ぶ舞踏会だ。俺が好きに演出していいだろう」
と言って、自分こそが舞踏会の主催者であることを、カミュ国王に認めさせました。
そうして、正式に舞踏会主催者の立場を確保した氷河王子が最初にとりかかった仕事は、勧誘ポスターの訂正。

氷河王子は、
『王室主催の大武闘会開催決定! 北の国で最強の人材 求む。より良い国作りのために私欲を捨てて働く覚悟のあるあなた、尋常ならざる重責に耐える自信のあるあなたに未来の王妃の座が与えられる!』
という煽り文句のついた、氷河王子のドアップ写真つき訂正版ポスターを20万枚ほど用意しました。
もちろん、ポスターに使われる氷河王子の写真は左30度から撮影したものに差し替えです。

ちなみに、『未来の王妃の座が与えられる』の脇には、米粒のように小さな文字で『かもしれない』という文字が添えられていました。
これは実にありがちな手法です。
『スイカ特売200円』と書いてあるチラシを握りしめ、勇んでスーパーに乗り込んでいったのに、特売コーナーには丸いスイカが一個も置かれていない。
特売日を間違えたかと思ってチラシを見直すと、『スイカ特売』と『200円』の間に、小さな文字で『1/6切』と書いてあることに気付き、消費者は愕然とするのです。

ところで、氷河王子が作った訂正版ポスターに、特大サイズで印字されている『大武闘会』の文字。
カミュ国王は最初はそれを誤植だと思いました。
『カメレオン座のシュネ』を『アメレオン座のジュネ』とした往時の週刊少年ジャ○プ、『バチカン市国』を『バカチン市国』と誤植した某地方新聞等、世に有名な誤植は多く、その歴史はグーテンベルクが活版印刷を発明した その瞬間から始まっていたといっても、あながち間違いではないでしょう。
氷河王子がポスター制作を依頼した印刷所は、その歴史にならって、『舞踏会』と『武闘会』を間違えて印字したのだと、カミュ国王は思ったのです。

早速クレームをつけてポスターの作り直しを命じようとしたカミュ国王は、ですが、まもなく、それが愉快な誤植でないことに気付くことになりました。
なにしろ、ポスター下部に書かれている募集要項には、舞踏会用のポスターであれば決して記されることのない文言が、角ゴシック体の強調文字で書かれていたのです。
すなわち、
『資格不問。経験不問。武器の使用不可。参加費無料。交通費全額支給』
という文言が。
『武器の使用不可』とは、いったいなにごとでしょう。

「王室主催の大武闘会 !? なんだ、これはっ! 我が国の未来の王妃が武芸に秀でている必要はないだろう!」
そんな大会で優勝した女性を妻にしたら、氷河王子が夫婦喧嘩で毎回 妻に敗北を喫することは必定。
まさか氷河王子はマゾヒストの気があったのかと、カミュ国王は心底からぞっとし、その頬を青ざめさせることになりました。

被虐趣味は、個人の趣味としては特段否定するようなものではありませんし、カミュ国王もそれが氷河王子の趣味でなかったなら、にっこり笑って『結構なご趣味ですね』くらいのことは言っていたかもしれません。
でも、一国の(未来の)国王がマゾヒストでは困るのです。
国民の命と生活に責任を負っている一国の王が、他者に虐げられることに喜びを見い出すような性癖の持ち主であっては。
たとえば、他国に虐げられるのが嬉しいからといって、王がそんな状態に甘んじていたら、苦しむのは国の民たちなのですから。

実際のところ、氷河王子にはそんな趣味はありませんでしたから、もちろん カミュ国王の心配は杞憂にすぎませんでしたよ。
怒りに真っ赤になっていてしかるべきカミュ国王の顔が蒼白になっていることを訝りながら、氷河王子は言いました。
「叔父上が躍起になって俺を結婚させようとするのは、跡継ぎが欲しいからだろう? となれば、俺の妻になる女に求められるのは何よりもまず頑丈な身体じゃないか。容姿や身分や地位は二の次三の次だ」

『私が求めているのは、頑丈な女性ではなく健康な女性だー!』とカミュ国王が叫びたくなったのは当然のことだったでしょう。
意味するところは ほぼ同じでも、見聞きする人に与える印象やニュアンスが異なる言葉というのは たくさんありますが、『健康』と『頑丈』は その最たるものでした。
カミュ国王が『私が求めているのは、頑丈な女性ではなく健康な女性だー!』と叫ぶことを直前で思いとどまったのは、『頑丈』を『健康』に置き換えさえすれば、氷河王子のその発言は 大筋でカミュ国王の考えと合致するものだったからです。

氷河王子の花嫁が一国の王子にふさわしい身分を有していれば、それは何よりなことですが、カミュ国王は そういったことにはもうこだわらないつもりでいました。
カミュ国王は、北の国の未婚の貴族の令嬢はすべて 氷河王子に紹介したあとでした。
氷河王子が彼女たちの誰にも関心を示さなかったからこそ、カミュ国王は、氷河王子の花嫁候補募集の枠を市井の女性たちにまで広げることにしたのです。
それゆえの『資格不問、経験不問』だったのです。
カミュ国王は そう考えていました。
ですが、氷河王子を結婚させたい自分と、結婚したくない氷河王子の考えが『健康』『頑丈』以外の部分ではほぼ合致している――というのも妙なこと。
氷河王子は自棄になって自分の人生を捨ててしまったのかと、カミュ国王は その超個性的な眉をひそめることになったのです。

カミュ国王の超個性的な眉をひそめさせた氷河王子の目論見は こうでした。
腕っぷしの強い女性を集めて戦わせたら、その武闘会で優勝するのは、当然のことながら ゴリラのようにたくましい女性になることでしょう。
甥である氷河王子の横にたおやかな美少女が寄り添うことを夢見ているカミュ国王は、氷河王子がゴリラのような女性と結婚することに断固として反対し、国王の拒否権ヴェトーを発動することになるに違いありません。
甥とゴリラのような女性の結婚に、カミュ国王の繊細微妙な美意識が耐えられないからです。
つまり、『氷河王子には結婚する意思があるのに、カミュ国王がそれを妨げることになる』という図式の成立が、氷河王子の王室主催大武闘会計画の最終目的だったのです。

「大事なのは、俺の都合や心より、王室の存続の方なんだろう。俺の王太子妃選抜方法のどこに誤りがあるのか、あるならぜひ教えてもらいたいもんだ」
「氷河……」
氷河王子が拗ねる気持ちは、カミュ国王にもわからないではありませんでした。
氷河王子が国民の命と生活に責任を負う(未来の)国王でなかったら、カミュ国王とて氷河王子の意思を尊重し、永遠に現われないかもしれない“亡き母以上の女性”を待ち続けることを、氷河王子に許していたかもしれません。
ですが、氷河王子は現に北の国の唯一人の王位継承者、北の国の未来の国王なのです。

人は誰も、自分の望む通りの場所、望む通りの時代、望む通りの親、望む通りの立場・地位に生まれてくることはできません。
人は、運命によって与えられた境遇の中で生きていくしかないのです。
けれど、与えられた境遇の中で可能な限り幸福になろうと努めることはできます。
カミュ国王は、氷河王子に そういう努力をしてほしかったのです。
そして、そんな氷河王子の手助けをしたかった。

氷河王子の真意はカミュ国王にはわかりませんでしたが、未来の国王という変えられない境遇の中で、氷河王子ができるだけ幸福になれるように助力したいというカミュ国王の気持ちは変わりませんでした。
ですから、カミュ国王は、氷河王子のために提案したのです。
「いいだろう。だが、これは、我が国の将来に関わる重大な勝負事だ。武闘会の厳正な審査を行なうために、私は公平な立場で審査できる審査員を置かせてもらうぞ。そして、直接対決の勝負の他に、テクニカル・エレメント・スコアとアーティスティック・インプレッションを採点し、筆記試験も行なう。それらの結果を総合的に考慮して、最高点を取った者を武闘会の優勝者とする」
――と。
そうすれば、腕力だけに秀でた女性が氷河王子の妻になる事態を避けることができるかもしれない――と、カミュ国王は考えたのです。

できるだけ芸術性など備えていない女性を優勝者にしてカミュ国王に拒否権を発動させたい氷河王子としては、カミュの国王の提案は あまり好ましいものではありませんでした。
が、ここで我を張り続けて、武闘会の開催そのものに国王の拒否権を発動されでもしたら、氷河王子の計画は水泡に帰すことになります。
そんなことになったら、状況は完全に元の状態に戻るだけ。

氷河王子が手に入れたいものは、誰にも文句を言われることなく のんびりと、亡き母以上の人の出現を待っていられる独身貴族の立場でした。
氷河王子は、事あるごとに『結婚しろしろ』『跡継ぎを作れ作れ』とせっつかれて日々を過ごすのには、もう うんざりだったのです。
氷河王子は、その目的達成のため、腹をくくることにしました。
「いいだろう。だが、配点はバトルの勝敗が6割、その他を4割にすること。勝てばいいのだと思っている参加者たちも、勝負の結果を軽んじられたのでは納得しないだろう」
「む……」

人生には、妥協が必要です。
もとい、意見の調整が必要です。
そんなふうに丁々発止のやりとりを交わした末、それぞれの目的を達成するために、氷河王子はカミュ国王の提案を、カミュ国王は氷河王子の言い分を、互いに聞き入れることにしました。
かくして、ついに。
王室の正気を疑われかねない、王室主催の大武闘会の開催が正式に決定したのです。

ところが。
実際に武闘会が動き始めると、当初の計画にはなかった不都合が色々と出てきました。
その最大の不都合が、武闘会参加希望者の数の多さ。
北の国は質実剛健を国是とする国、その上、武闘会参加者の資格を不問としたのですから、それはある意味 仕方のないことだったかもしれません。
貴族の女性たちなら、「誰かと戦うなんて、恐くてできない〜」とか「痛い思いをするのはいや〜ん」とか言って、尻込みするところだったでしょうが、平民の女性たちは違っていました。
「我こそは!」と気勢を上げて、彼女たちは続々と氷河王子のお妃候補の名乗りをあげてきたのです。
その数、2万強。
到底、一ヶ所で一度に全国トーナメントを開催できる数ではありません。
そこで、北の国を8つの地域に分け、まずは地方予選を開催。
各地区の優勝者が出揃ったところで、彼女たちを都に招き、都の内にある闘技場で本選を開催する――ということに、計画が変更になったのでした。



■ 注 ■  《 ゴリラ 》
筆者の国語力不足による不適切な表現をお詫びします。
筆者には、ゴリラを貶める意図も、たくましい女性を貶める意図もありません。



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