30分後、瞬が保護されていた交番に飛び込んできたのは、金髪の若い男だった。
その髪は染めたものではなく、間違いなく地毛。
どこから何をどう見ても、正真正銘の外国人である。
その外国人は、交番内の小さなパイプ椅子に肩を落として座っている瞬を見るなり、木霊が生じるほどの大声を狭い交番内に響かせた。
「瞬! いったい、どこをふらついていたんだ! みんな心配していたんだぞ!」
「あ……」

姿はどう見てもガイジンなのに、彼が口にしたのはネイティブな日本語。
その視線、声、嫌でも感じとれる怒気、何より全身から発せられる覇気――のようなもの。
“みんなが心配していた瞬”が自分でないことはわかっていたのだが、瞬は、彼の剣幕に恐れをなし、その身体を縮こまらせることになったのである。
『恐い』というのなら、瞬は、先程 公園で絡んできた男より、はるかに彼の方が恐かった。

「あの……あなたはどなたですか」
それだけのことを尋ねるにも、瞬は決死の思いで勇気を奮い起こさなければならなかった。
できれば瞬は、彼と言葉を交わすことも避けたかった。
彼は、どう考えても人違いをしている。
その誤認を正さなければ、自分は彼に引き渡されてしまうかもしれない。
その事態を避けるためだけに、瞬は懸命にその一言を口にしたのである。

瞬を頭ごなしに怒鳴りつけてきたガイジンは、ガイジンという事実を抜きにしても、非常に派手で目立つ容貌をしていた。
肩に丸みを感じないのは、大抵の日本人がそうするように腕を前方に落としていないからで、彼はまるで訓練された軍人かモデルのように姿勢がよかった。
つまり、彼は、一度でも会ったことがあったなら決して忘れることはあるまいと思えるような人間で――にもかかわらず、瞬には彼が誰なのかがわからなかった。
だから彼は、どう考えても“初めて会う人”だった。
当然 彼が口にした『瞬』が自分であるはずがない。

瞬の言葉を聞いた警官が、いきりたっている外人に不審そうな目を向ける。
「あなたは本当にこの子のご家族の方ですか? 見たところ、日本の方ではないようだが」
「家族? いや、俺は家族というわけではないが……」
見知らぬ外人が口ごもる。
その様子を見て、瞬は、『彼は知らない人だ』という確信を、更に強いものにすることになったのである。

「し……知らない……。僕はこの人を知りません――」
「瞬!」
瞬の言葉に彼は非常に驚いたようだった。
信じられないものを見るような目を、彼は瞬に向けてきた。
だが、そんな目をされても、瞬は知らない人を知っているということはできなかったのである。

「しばらくお待ちいただけますか。失礼だが、確認を入れさせていただきます」
ショックで言葉を失ってしまったような外人に向かって、年かさの警官が言う。
言葉使いはへりくだったものだったが、それが不信から出た言葉であることに違いはなかった。
金髪のガイジンが、とりようによっては無礼な警官の言い分に立腹した様子を見せず、また咎めもしなかったのは、瞬に『知らない人』と言われた衝撃から彼が立ち直ることができずにいたから――だったらしい。
警官が、捜索願いを出した城戸沙織の許に電話を入れることも、彼は止めようとはしなかった。

確認作業は5分とかからずに終わった。
電話を切った年かさの警官が肩をすくめ、彼の相方に顎をしゃくる。
「それが、金髪碧眼の目を血走らせた いかにも危なそうな男と、一見 稀に見る美少女の男の子なら、間違いなく、総帥が捜索依頼を出した人物とその迎えだそうだ」
「しかし、この子は彼を知らないと――」
「何かショックなことがあったとかで、記憶が混乱しているのかもしれないと言っていた」
「記憶が混乱……?」
「念のため、迎えの車をまわしてくれるそうだから、それで確認できるさ」
若い警官をなだめるように そう言った年かさの警官が、不安そうな目をしている瞬に気付いて、困ったような笑みを作る。

「グラード財団総帥が身元保証人だ。我々は規則通りに対応することしかできんのだよ。君をずっとここに置いておくわけにもいかないし」
彼は彼の職務を規則通りに、そして慎重に遂行した――遂行してくれた。
彼を困らせないために、瞬もそれ以上 彼に無理を言うことはできなかったのである。

やがて小さな交番の前に黒塗りの高級車が横づけされる。
「瞬! 世話をかけさせるな。お嬢様が心配なさっている。早く乗れ」
車の中からスキンヘッドの強面の男性が怒声を響かせてくる。
そして彼は――彼もまた――やはり迷いもなく瞬を『瞬』と呼んだ。
おどおどしながら、それでも瞬がその車に乗り込んだのは、金髪の青年に肩を押されたせいもあったが、それよりも、他に行く場所のない自分を、他でもない瞬自身が 誰よりもよく知っていたからだった。






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