翌日、瞬は、検査のためと言われて、グラード財団が経営しているという総合病院に連れていかれた。
その病院のいかにも有能そうな医師は、『脳波・肉体共に正常。故に対処法もなし』という、非常に有益な結果だけを瞬に与えてくれたのだった。

「ま、異常があるよりはいいんじゃねーか?」
この家の住人の中で最も年下らしい少年は、検査の結果を聞くと そう言って ひょこりと肩をすくめた。
彼の本心が言葉通りのものなのかどうかは量りかねたが、彼が非常に前向きな考え方をする人間だということだけは、瞬にもわかったのである。
医者が頼りにならないのなら自分たちの手で――と、その前向きな少年は考えたらしい。
彼は瞬に記憶を取り戻させるべく、広い邸の中を案内したり、
「これ見たら、さすがに思い出すだろ」
と言って、不思議な鎧のようなものを瞬に見せてくれたりもした。
それでも瞬の中には何の感慨も湧いてこなかったし、それどころか瞬には、奇妙な形状をした その金属の置物が何なのかさえ全くわからなかったのであるが。

「これを手に入れるために、おまえがどれだけ苦労したのかも忘れちまったのかよ!」
そう言って落胆する彼のために、瞬は懸命にその期待に応えようと努めたのだが、それは結局のところ徒労に終わった。
「ごめんなさい……」
わざわざ手間と時間を割いてもらったというのに何も報いることのできない自分を嘆き謝罪した瞬に、
「謝ったりすんなよ。おまえのせいじゃないんだから」
と言ってくれた少年の名は星矢といった。
金髪の青年が氷河で、長髪の青年が紫龍、やたらに偉そうに構えている(と星矢が言った)青年が一輝。
そして、あの少女の名は城戸沙織というらしい。
名を知らされても、瞬は彼等を思い出すことはできなかった。
そんな自分を、瞬は不甲斐なく もどかしく思うことになったのである。

だが、瞬の胸を最も苛んだのは、自分が彼等を思い出せないという事実よりも、瞬に思い出してもらえないことに彼等が消沈することの方だった。
「ごめんなさい。わかりません」
瞬がそう告げると、彼等は皆、些少でないショックを受けたようだった。
おそらく傷付いてもいる――ように、瞬には見えた。
それでも彼等は誰もが基本的に瞬に対して優しく親切にしてくれた。
氷河はいつも苛立っているようにぶっきらぼうで、一輝は その険しい表情を和らげることを決して してくれなかったのだが。

彼等が親切なことはわかる。
彼等は 記憶を失った人間に対して悪意や害意を抱いていない――と感じることもできる。
にもかかわらず、『ここは自分が帰るべき場所ではない』という思いが、瞬の中から消えることはなかった。

帰るべき場所とは大切な人のいる場所のことである。
だが、それは失われた。
あるいは、どこか別の場所にあるような気がしてならないのだ。
彼等に親切に・・・してもらっている間も、瞬はいつも得体の知れない不安に追いたてられ続けていた。
この広い屋敷の中にいて、自分に親切にしてくれる人たちを見ていると、その不安は更に大きくなり、瞬の苦しい思いはますます強くなるばかりだった。
時折、呼吸もできないほど胸が苦しくなる――。
そもそも こんな立派な邸宅が自分の“家”であるはずがない――瞬は、どうしても、この見知らぬ異空間に馴染むことができなかったのである。






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