声もどこかで聞いたことがある――と、星矢は思ったのである。
記憶の中から客人の声に最も似た声の持ち主を選び出し、その顔を思い浮かべ、改めて客人の姿を観察する。
「まさか……」
星矢が思い浮かべたのは、星矢の仲間であるところの白鳥座の聖闘士の顔。
そして、星矢が聞き慣れている声より少しトーンは低めだったが、彼の声は氷河の声にそっくりだった。
声だけではない。
髪の色と瞳の色は、『氷河に似ている』ではなく『氷河のそれと全く同じ』だった。
要するに、その客人は、『あと2、30歳 歳を重ねた氷河の姿を思い浮かべてみろ』と言われた時に、大抵の人間が思い浮かべるだろう姿を具現したような人物だったのだ。
『クール』の意味を取り違えているような今の・・氷河が、自身の感情を抑制することを覚えたなら こんな印象の大人になるのかもしれない――という条件付きではあったが。

とはいえ、彼が氷河であるはずはない。
となると、彼は氷河の肉親――血縁者ということになるのだろうかと、星矢がやっとまともなことを考えられるようになった時、
「星矢、どうかしたの? お客様?」
と言って ドアの陰から顔を覗かせたのは瞬――血縁者を除けば、最も氷河に近しい存在と言っていい人物だった。
開け放たれたままのドアの前に突っ立っている仲間の後ろ姿を怪訝に思い、瞬は星矢に声をかけてきたらしい。

「どーかしたの……って……」
星矢がのろのろと後ろを振り返るより、瞬が“お客様”の小宇宙の強大さを認める方が早かっただろう。
そして、それよりも、
「瞬!」
瞬の名を呼んだ客人が、星矢の脇をすり抜けて、瞬の身体を抱きしめる方が、更に早かった。
止める隙もあらばこそ。
星矢が彼の行動を止められなかったことを責めることのできる者は、その場にはいなかったに違いない。
瞬のすぐ後ろに立っていた氷河にさえ、客人の暴挙を止めることはできなかったのだから。

「きっさまー!」
とはいえ、その あり得べからざる事態への氷河の反応は早かった。
瞬が戸惑いの声を洩らすより先に、氷河の拳は、瞬の細い身体をすっかり包みこんでしまっていた客人の左肩に向かって打ち込まれていた。

氷河の拳は――仮にも聖闘士の拳である――だが、その客人に当たらなかったのである。
客人がよけたのではない。
彼は、瞬を抱きしめたまま微動だにしなかった――しなかったように、星矢の目には見えた。
では、氷河の拳は客人の小宇宙に阻まれたのかというと、それも違う。
だが、とにかく、氷河の拳は彼には当たらなかったのだ。
彼はいったいどうやって氷河の拳をよけたのか、光速の拳を見切ることのできる聖闘士の目をもってしても――星矢は、今 自分の目の前で何が起こったのかを確かめることができなかった。

「なにごとなの、この小宇宙は!」
こんなことがあっていいのかと、ほとんど呆けてしまっていた星矢の耳に、沙織の声が飛び込んでくる。
目はともかく、自分の耳はちゃんと機能しているようだと、星矢はぼんやり思ったのだった。

それはさておき、聖域に君臨し、地上に存在する すべての聖闘士を統べている女神の お出ましである。
彼女の登場に気付くと、不思議な客人は、ゆっくりと 瞬を抱きしめていた腕を解いた。
そして、アテナに一礼する。
「アテナ」
神にも勝りかねない、客人の小宇宙。
その強大な小宇宙の持ち主をしばらく見詰めていた沙織は、やがて信じられないものを見てしまった人間のように、大きく瞳を見開いた。
そして、彼の名を呟く。

「氷河……」
「や……やっぱり……?」
それまで確信を持てずにいた(当然である)星矢は、沙織の呟きを聞いて、思い切り間の抜けた声を洩らすことになった。
氷河に氷河自身も知らない親類がいるということは、ありえないことではない。
だが、氷河も知らない彼の肉親が、たまたま その身に小宇宙を備えていて、しかも その小宇宙の持ち主をアテナの聖闘士が知らない――ということは、まず考えられないことなのだ。
とはいえ、今 この時、同じ空間に、氷河が二人いるという事態は なおさら考えられない――あり得ないことではあったのだが。

アテナが口にした“あり得ない”名前は、瞬に瞬きすることも忘れさせてしまったらしい。
瞬きだけでなく言葉も忘れてしまったように、瞬がアテナに『氷河』と呼ばれた人の顔を きょとんと見詰めている。
見知らぬ訪問者に名前を奪われてしまった当の氷河はといえば、仲間たちに遅れて最後に その場にやってきた紫龍よりも更に訳がわかっていない顔をして、呆然と“氷河”の前に突っ立っていた。






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