「こちらの時代より30年ほど未来からやって参りました」
アテナの提案で客間に移動し、示された場所に落ち着くと、強大な小宇宙と氷河の似姿を持った その氷河は、氷河らしからぬ礼儀正しさで、アテナに突拍子のない事実(?)を告げた。
“30年後の氷河”を、瞬が言葉もなく呆然と見詰め、そんな瞬を、氷河が不機嫌そうに――ほとんど睨むように――見詰めている。
もっとも、氷河の不機嫌は、“氷河”と名乗る男の信じ難い主張によって生じたものではなく、瞬が自分以外の男をずっと見詰め続けているという事態によって生じたもののようだったが。

「30年ほど未来からって、どうやって来たんだよ」
星矢が、星矢にしては普通すぎる質問を発し、
「俗に言うタイムマシンが発明されたのだ」
星矢の百倍も礼儀正しい常識人に見える“大人”が、普通ではなさすぎる答えを返してくる。
“氷河”の返答を聞いた星矢は、ここは笑うところだろうかと一瞬迷い、とりあえず 恐る恐る少しだけ笑ってみたのである。
が、誰の同調も得られないことに気付き、星矢はすぐに その笑いを引っ込めた。

やはり これは笑い事ではないらしい。
笑い事ではないらしいことは わかったのだが、どれほど真面目な顔をして言われても、“氷河”の発言の内容は あまりに突飛で、到底信じられるようなものではなかった。
そんなふうに、あまりに突飛で、到底信じられない話を聞かされたというのに、誰もが深刻といっていいほどの真顔を保っている訳――は、星矢にも(一応は)わかっていた。
客人の非常識なまでに強大な小宇宙が、それをただの冗談や作り事に思わせてくれないのだ――ということは。

「すごい小宇宙だな。意識して燃やしているわけではないというのに。彼が敵に対峙したら、この小宇宙はどうなるんだ。更に力を増すというのか」
紫龍の呟きには、驚嘆より恐怖の念の方が より多く含まれていたかもしれない。
「30年経ったら、俺たちもこんなふうになれるのかな」
客人の説明の胡散臭さを意識の内から追い出せば、彼の小宇宙は、星矢にとっては純粋に羨望の対象となり得るものだった。
ほとんど憧憬に近い表情を浮かべて、星矢は、未来からやってきたと主張する客人を見詰めることになったのである。
そんな星矢の様子に 氷河の不機嫌の度合いは増し、やっと氷河の不機嫌に気付いた瞬が、初対面の客人を睨みつけている氷河の失礼に困惑し、僅かに瞼を伏せる。

その場で かろうじて理性でものを考えることのできる状態にあったのは、沙織だけだったろう。
“あり得ない”客人の突飛な説明に、沙織が彼女の常識で対応する。
「信じられないわ。タイムマシンなどというものは理論的に存在し得ないものよ。未来へ行くタイムマシンというならまだしも、時を逆行するタイムマシンなど、ありえない」
「しかし、私は ここにこうして存在しています」
「……」

この人物は氷河だと確信できるからこそ、沙織は彼に反駁できなかったらしい。
一度 固く目を閉じ、次に“氷河”の姿を視界に映しとった時、沙織は腹をくくり終えていた。
彼女は、恐るべき順応力と迅速さで、“氷河”の存在を受け入れることを決意したようだった。
「そうね。事実は認めなくてはならないわね。では、過去に向かうことを可能にする機械が存在すると仮定しましょう。あなたは、何のためにこの時代にやってきたのですか」
「そんなの決まってるぜ。あれだろ。人類がすべての時代をあげて戦わなきゃならないような強大な敵が現われたんだろ。それで、過去のアテナの聖闘士たちにも総動員令がかかったんだ!」
30年後の未来からやってきた(ということになった)氷河より先に星矢が、気負い込んだ様子で沙織の質問に代返する。
それは、星矢がつい先日観たばかりのSFスペクタクル映画の設定だった。

だが、彼のタイムトラベルの目的は そんなものではなかったらしい。
彼は、分別のある大人が 幼い子供の空想話を聞いた時に浮かべるような微笑を、その目許に刻んだ。
そうしてから、彼は、到底 全人類的とは言い難く、極めて私的な彼のタイムトラベルの目的を、アテナとアテナの聖闘士たちに語ってくれたのである。
どこから何をどう見ても、常識と分別を備えた“大人”である彼は、極めて真面目かつ真剣な口調と表情で、
「瞬に会いたくて」
と、言ってくれたのだ。

「へ……」
常識と分別を備えた“大人”の その返答に、星矢が虚を衝かれたような顔になる。
彼が告げた 彼のタイムトラベルの目的は、星矢にとって、『人類がすべての時代をあげて戦わなきゃならないような敵の出現』より意外で奇天烈なものだった。
否、それは、星矢にとって意外なのではなく、常識と分別を備えた“大人”の発言として、奇天烈にすぎるものだった。
そして、彼の奇天烈な答えを聞いた途端、星矢は、『この男は間違いなく氷河だ』と確信することになったのである。
常識と分別を備えた“大人”ではなく、年齢は重ねたにしても“氷河”という男が口にする言葉としてなら、それは意外なものでも奇天烈なものでもなかったから。

そうとわかれば、初対面の他人に対するように構えた態度をとる必要はない。
星矢は、遠来の客の前で それなりに緊張させていた肩から力を抜き、思い切りくつろいで、掛けていたソファの背もたれに その身体を投げ出したのである。
だが、30年後の氷河が次に告げた言葉が、再び星矢の身体を緊張させた――強張らせることになった。

この男は人を驚かせるセリフしか言えないのか――。
彼の主張が真実なのであれば、彼は、彼の(昔の)仲間であった者たちに向かって、
「私は、20代半ばの時、瞬を失いました」
という、驚愕するしかないセリフを吐いてくれたのである。
ごく、静かな口調で。

「失った……とは」
沙織の質問に、彼は沈黙だけを返した。
「それって、どういうことだよ!」
星矢に問われても、彼は その沈黙を守り続ける。
彼がその重い口を開いたのは、あまり楽しくない予感を感じているらしい(今の)氷河に、
「言え」
と言われてから。
彼が氷河に問われて初めて口を開いたのは、その説明を求めたのが“自分”だったからではなく、彼に瞬の死の事情を尋ねた男が、その不幸な事実(?)を招いた当人だったから――のようだった。

「瞬は、俺の目の前で死んだ」
『私』が『俺』になる。
「俺とおまえたちを守るために」
苦渋に満ちた その声。
瞬が瞳を大きく見開き、氷河は逆に 一瞬間 その目を固く閉じた。






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