「あーもー、らしくもなく切なそうな目しやがって、見てると こっちの方がじれったくなってくるぜ。仮にもアテナの聖闘士が、あんな臆病でいいのかよ! さっさと押し倒しちまえばいいのに!」
「以前なら、一も二もなく賛同していたところだが、さっきの会話を聞いたあとでは……。瞬に氷河以外に好きな相手がいるとなると、既成事実を作ることを安易に奨励するわけにはいかなくなる」
「……」
それはそうである。
瞬に“好きな奴”がいて、それが氷河でないのだとすると、氷河の果敢かつ積極的な行動は、瞬にとっては暴力に、法的には犯罪にもなりかねない。

「でも……でもさ! 氷河が瞬を本気で好きでいるっていう俺たちの認識は間違ってないよな?」
「と思う」
「となれば、氷河は当然、瞬が好きな奴ってのを半殺しの目に合わせにいくことになるだろ。それはさすがにまずいだろ。俺たちは、氷河の仲間として、氷河の暴挙を阻止しなきゃならないよな」
第三者が口出ししてもどうにもならない他人の恋。
もし自分たちが氷河と瞬の恋に関わることがあるとしたら、せいぜい そういう時くらいのものだろうと星矢は思い、仲間の恋を言葉にして語ることはなくとも、彼は 常に二人の動向を見守ってきた。
何よりもまず地上の平和優先で かなりの奥手でもある瞬に、恋の機会が そうたびたび訪れるはずもないだろうから、その可能性は極小と油断していたのも事実だったのだが。

「それはもちろん、俺もそうは思うが、肝心の瞬の好きな相手がわからないことには、どうにも動けん」
「うー……」
氷河がどうにかするだろうと信じて傍観者を決め込んでいることと、動かなければならないのに動くことができず、結果として傍観者でいることは、事象としては同じでも、心情的に大きな相違がある。
『悩み迷うより当たって砕けろ』が身上にして信条の星矢には、この状況は非常に不愉快なものだった。
焦れったさと苛立ちが、星矢に 獲物に出合えない飢えたオオカミのような呻り声をあげさせる。

「いったい誰なんだよ、瞬が好きな『奴』って!」
「まず、考えられるのは一輝、か」
紫龍の仮説は、実にありがちで一般的かつ常識的なものでさえあったのだが、それはあの会話を聞いたあとでは、むしろ いの一番で却下される仮説だった。
「あの一輝相手に、たとえ天地が引っくり返ったって、氷河が『よかった』なんて言うもんか。一輝が瞬の実の兄貴だってことすら、氷河は気に入らないでいるんだから」
「瞬に気のある人間というのなら、アンドロメダ島で一緒に修行していたというジュネとかいう娘がいたな」
「氷河は一輝と違って 似非でもフェミニストだから、よっぽどのことがない限り、女を『奴』呼ばわりはしねーだろ」
「だが、その二人の他に思い当たる者がいない」

「……」
その点に関しては、星矢も同様だった。
その二人の他に瞬に執着している者たちというと、ハーデスやパンドラ等 冥界の面々が考えられるのだが、彼等の執着心は あくまで冥府の王の器としての瞬に向けられたもの。
ハーデスとの同化を完全に拒否してしまった今の瞬には、たとえ生きのびていたとしても彼等が手出ししてくることはありえない。
瞬が彼等に恋情を抱くことは、更にありえないことだった。

「まあ……なにしろ、瞬のキャッチフレーズは『地上で最も清らか』だからな。一輝のガードが堅かったせいもあって、瞬の周辺は清廉潔白。瞬には浮いた噂ひとつない。氷河はあちこちの女に粉をかけて浮いた噂だらけだというのに」
「浮くような噂なんかどうでもいいんだよ! 沈むように深刻なもんでないんなら。あの似非フェミニストは、近寄ってくる女には適当に相手してやるのがマナーだと思い込んでるに決まってんだから。でも、瞬は特別だろ。瞬は氷河の命と心の恩人だぞ」
であればこそ、星矢は、氷河が同性の瞬に尋常でない好意を持つのも無理からぬことと思い、瞬に向かう氷河の思いを自然にして当然のこととも感じていたのだ。
あの会話を聞いてしまったあとでも、星矢のその確信は揺らぐことはなかった。

そして、星矢は、だから、氷河の恋の成否は瞬の心ひとつにかかっていると思っていた。
瞬がその気になりさえすれば、氷河の恋心も瞬自身も落ち着くべきところに落ち着き、世の平和が保たれると思っていたのである。
今はただ、その時がまだ来ていないだけ。
いつか その時は必ずやってくる。
星矢はそう信じていた――決めつけていたのだ。

星矢が そう決めつけていたのには、もちろん根拠がある。
もっとも、今では その根拠そのものが星矢の中でぐらつき始めていたのだが。
「なあ。確かめておきたいことがあるんだけど……」
「なんだ」
「俺、瞬の方も氷河のことが好きなんだと思ってたんだ」

それが、星矢の決めつけの根拠だった。
瞬は奥手ではあるが、決して鈍感な人間ではない。
むしろ、過ぎるほどに敏感であるといっていい。
そんな瞬が、自分に向けられている氷河の好意に全く気付いていないはずはないのだ。
そして、瞬は、基本的に、好意には好意を返す人間である。
誰に対してもそう・・である上、悪意に対しても好意を返すことで対処しようとするから、瞬の心は 傍からは少々読み取りにくい――というのは、紛れもない事実である。
が、そういった瞬の性質を考慮しても、あるいは排除して考えても、瞬に向けられる氷河の好意は非常に特殊なものであり、必然的に氷河の好意に反応する瞬の心と好意も特殊なものにならざるを得ない。
ゆえに当然、瞬は氷河が好きなのだ――と、星矢は思っていた。

あるいは、50パーセントくらいなら 瞬が氷河の気持ちに気付いておらず、意識してもいないという可能性もあり得たが、だとしても、それはただそれだけのこと。
瞬は、それ・・を感じ取れてはいる。
感じ取れてさえいれば、瞬の心と感性は、与えられた刺激にふさわしい反応を示すのだ。

とはいえ瞬は うぬぼれの強い人間ではないし、その手のことに積極的能動的に行動を起こすタイプの人間でもない。
氷河は氷河で、これは何があっても失いたくない恋だから、らしくもなく慎重にならざるを得ない。
氷河と瞬の恋は、その点が大きなネックになって、はかばかしい進展を見せずにいるのだ。
だが、それでも、何かのきっかけがあれば、二人はさほどの波乱もなく すぐに、互いに好意を抱いている相手と親密な仲になるだろうと、星矢は思っていた――決めつけていた。
そして、そう考えていたのは星矢だけではなかったらしい。

「奇遇だな。俺もだ」
紫龍の賛同に、星矢は俄然 自信と力を取り戻した。
力強く、同意見の仲間に頷いてみせる。
「だろ! だよな!」
でなかったら、いくら軽率で鷹揚を売りにしている星矢でも、『さっさと押し倒せばいいのに』などということを言ったりはしない――考えたりしない。
好き合っている二人であればこそ、『それもあり』と、星矢は思っていただけなのだ。
が、瞬に 氷河以外の好きな“奴”がいて、氷河がそんな瞬を容認しているとなれば、『それもあり』は『それだけはなし』になる。

「俺は、あの二人 くっついちまえばいいのにって思ってた……。くっつくもんだとばかり」
「奇遇だな。俺もだ」
「氷河みたいにさ、単純なくせに言動がはちゃめちゃな男の相手をまともにできる奇特で辛抱強い奴なんて、瞬以外にいるはずないんだから、そうなるしかないって思ってたんだ――」
「奇遇だな。俺もだ」
その確信が少々揺らぎ始めている星矢の呟きに、紫龍が深く首肯する。
そんなふうに、何とかの一つ覚えのように『奇遇だな』ばかりを繰り返してくる紫龍に、星矢はさすがに苛立ちを覚え始めていた。
自分の発言に賛意を示してもらえるのは嬉しいし心強くもあるが、それだけでは事態は何の解決も見ないのだ。

「紫龍、おまえ、その『奇遇だな』以外のセリフはないのかよ!」
「俺の意見を言ってもいいのか」
紫龍の落ち着きはらった様子が、星矢の神経を逆撫でする。
「あるなら言えよ!」
いらいらした声で仲間を怒鳴りつけてくる星矢の前で、紫龍は 一度軽く咳払いをした。
それから、おもむろに彼の意見を述べる。

「俺は、瞬に聞くのがいちばん手っ取り早いのではないかと思う」
「へ……」
途端に 星矢は憑き物が落ちたような顔になり、思いきり怒らせていた肩から すとんと力を抜くことになったのである。
「そりゃそーだ」
なぜ そんな考えるまでもないことに思い至らずにいたのか。
至極尤もな紫龍の“意見”を聞いた星矢は、事態が思い通りに運ばないことに苛立って、いかに自分が冷静さを欠いていたのかを自覚し、そんな己れを深く反省することになったのである。






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