もちろん、引き下がるのは“その場”だけである。 『何もしないで』と言われても何かせずにいられないのが仲間だと 星矢は信じていたし、『何もしないで』と言われても何かしてしまうのが星矢だったのだ。 「んじゃ、次、氷河んとこ行くぞ!」 瞬に刺された釘など最初からなかったかのように きっぱり力強く そう宣言した星矢に、紫龍はさすがに少々渋い顔をすることになったのである。 「星矢。瞬が何もするなと……」 「るせー。氷河以外の奴に瞬を取られてたまるか!」 紫龍の制止になど、いきりたつ星矢は、もちろん耳を貸さない。 瞬は手を出してほしくなくても、星矢は手を出したいのだ。 自分がしたいことは、それが悪事でないが切り実行する。 それが星矢のポリシーであり、生き方であり、短所にして長所だった。 そんな仲間に嘆息しつつ、それでも結局 紫龍が星矢に同道したのは、さきほどの氷河の氷河らしからぬ振舞いが気になっていたからだった。 そして、やはり、氷河以外の者に瞬を渡してしまうことを、彼もまた不本意と思っていたからだったのである。 氷河は氷河の部屋にいた。 昼日中からベッドに寝転がっていた氷河を、星矢が、殴りつけるような大音声で叩き起こす。 「おまえな! 余裕ぶっこいてもたもたしてると、どっかの誰かに瞬をかっさらわられるぞ!」 「なに?」 「おまえは しょーもない奇人変人だけど、俺たちの仲間だから――俺たちはおまえの味方だかんな!」 「おまえはいったい何を言っているんだ?」 慌てた様子をまるで見せずにのろのろと、氷河がベッドの上に身体を起こす。 この非常時に のんきにそんなことを尋ねてくる氷河の悠長さに苛立って、星矢はつかつかと氷河の側に歩み寄り、その頭を思い切り殴りつけ――ようとしたのである。 いい歳をして昼日中からのんびり昼寝を決め込んでいるような男でも聖闘士は聖闘士、氷河は星矢の拳を軽くよけてくれたのだが、それがまた、それでなくても苛立っていた星矢の気に障った。 「だーかーらー。おまえ、現状把握ができてるのか? 自分が今 崖っぷちに立たされてることがわかってんのか? 瞬に好きな奴がいるんだぞ。おまえ、それでいいのかよ!」 少しは慌てふためいてみせろと言わんばかりの態度で、星矢が氷河の挑発にとりかかる。 背後に迫り来る火の手に気付いた様子もなく のんきを決め込んでいた氷河にも、さすがにそれは聞き捨てならない言葉だったらしい。 氷河は、にわかに その表情を緊張したものに変えた。 「瞬に……好きな……?」 やっとまともに覚醒したような氷河の反応に力を得た星矢が、更に氷河を挑発する。 「それが自分だなんて うぬぼれるなよ。そうじゃないんだから!」 「……」 「瞬はそいつに告白するつもりなんだと。いいのか、ぼやぼやしてて」 「瞬に好きな……」 星矢の苛立ちが作られたものでないことは一目瞭然だった。 それが冗談でも でまかせでも からかいでもないことを、氷河はすぐに了解したらしい。 衝撃の事実を、まるで今 初めて知らされた男のように呆然と、氷河が星矢の言を繰り返す。 氷河のその様子を見て、星矢は大いに満足したのである。 これで何の行動も起こさないほど、氷河は愚鈍な男でもないし、臆病な男でもない。 星矢は、氷河に対して、その程度の信頼は抱いていた。 これだけ発破をかけておけば十分だろうと判断して、星矢は意気揚々と氷河の部屋から引き上げたのである。 廊下に出て最初の曲がり角を曲がると、星矢は自分の仕事内容に大いに満足したように深く顎をしゃくった。 「これで氷河も少しは焦るだろ」 そんな星矢に、紫龍が僅かに首をかしげる。 「氷河の様子が変じゃなかったか? さっきの――ラウンジでの氷河とはまるで別人だったぞ」 「なに言ってんだよ。氷河だったじゃん、いつもの」 「……」 そう言われて紫龍は気付いたのである。 たった今 星矢が発破をかけてきた相手は、確かに いつもの氷河だった。 いつもの氷河ではなかったのは むしろ、先程ラウンジで冷静な目をして星矢に釘を刺してきた氷河の方だったのだ――と。 ラウンジで会った氷河は、この非常事態をすべて心得ているようだったのに、“いつもの氷河”は、寝耳に水の出来事を知らされた男のような顔をして星矢の挑発を聞いていた。 それは どう考えてもおかしなこと、不自然なことである。 その不自然を指摘するために紫龍が口を開きかけた時だった。 氷河の部屋のドアが開き、そこから“いつもの氷河”が姿を現わしたのは。 |