「お、ついに行動に出る気になったか。紫龍、あとを追うぞ!」
「星矢……」
星矢は それが――シロウト探偵よろしく氷河の尾行をすることが――彼の仲間としての義務であり、人としての務めであると信じているようだった。
『あとのことは当人同士に任せておけ』と言うこともできず、星矢と共に氷河の尾行を開始してしまう自分に、紫龍は溜め息を禁じ得なかったのである。
『あとのことは当人同士に任せておけ』と言ったところで、そんな忠告を聞き入れる星矢でないことは わかっていたのだが、星矢に引きずられるだけのこの事態はあまりに情けない。
が、星矢に単独行動を許すと、星矢はそれこそ何をしでかすかわかったものではない。
結局 星矢の指示に従って氷河のあとをつける以外の道は、紫龍には与えられていないのだった。

その一本道を渋々辿って行き着いた先は、階下のラウンジのドアの前。
一度 氷河によって閉じられたドアを細く開け、星矢が迅速に室内を盗み見る態勢を整える。
その、言ってみれば出歯亀行為にさえ、紫龍は付き合わざるを得なかった。
ここまでくれば、毒を食らわば皿までと開き直るしかない。
そして、実際のところ、氷河と瞬の恋の成り行きには、紫龍も多大な興味を抱いていたのだった。
ラウンジから洩れ聞こえてくる氷河と瞬のやりとりは、興味深いと言えば興味深いものだった――かもしれない。
ありふれた昼メロのようと言えば、ありふれた昼メロのようなものでもあったが。

「星矢に聞いたんだが……おまえに好きな奴がいるというのは本当か」
「え……あ……」
星矢に勝るとも劣らない唐突さで話を切り出され、瞬は面食らったのだろう。
戸惑い、僅かに顔を伏せた瞬の肩を、星矢と紫龍はドアの隙間から確かめることができた。
それを質問への肯定と受け取ったらしい氷河が、更に畳みかけていく。
「誰だ。俺の知っている奴か」
「知っている人といえば知ってる人……かな……」
「そいつが好きなのか」
「うん」
「俺より?」
「氷河……」

自分は今 非常に奇妙な会話を聞いている――と、紫龍は思ったのである。
これと全く同じ会話を、場所も同じ このラウンジで、氷河と瞬はつい1時間ほど前に交わしていた。
そういう記憶が紫龍の中にはあった。
あの時 氷河は、瞬に対して至極落ち着いた態度で、『それはよかった』『少し残念だが』等のセリフを吐いて、星矢を大いに憤らせることになったのである。
あの時と同じ――何もかもがあの時と同じだというのに、“いつもの氷河”は、あの時の氷河とは全く違う言葉を、瞬に向かって叩きつけた。

「許さんぞ」
そう、氷河は言ったのだ。
「え……? 氷河……あの……」
「おまえは俺のものだ」
「氷河……」
テーブルの脚が床を擦る耳障りな音。
「氷河、やめてっ」
仲間に対して聖闘士の力を使うわけにはいかないと思っているらしい瞬の、悲鳴じみた声。

「氷河の奴、何を始めたんだ……?」
さすがの星矢にも、この展開は、想定外の更に外にあるものだったらしい。
『さっさと押し倒せばいいのに』は、星矢にしてみれば、相思相愛とわかっている二人に対してのみ用いることのできる“軽い激励”にすぎなかったのである。

「氷河、落ち着いて。僕の話を聞いて!」
「聞きたくない。聞く必要もない。おまえは俺のものだ」
「氷河……っ!」

「ちょ……っと、まずくないか? 瞬の奴、本気で嫌がってるぞ」
星矢に言われるまでもなく、それは紫龍にもわかっていた。
問題は、その事実を、おそらく氷河自身もわかっているということだったろう。
「と……止めに入った方がいいかな?」
即断即決・独断専行が売りの星矢が、こんな時に限って仲間に意見を求めてくる。
「そんなことを悠長に話し合っている場合じゃないだろう!」
星矢に自分の意見を提示する前に、紫龍は行動を起こしていた。
ラウンジのドアを蹴破る勢いで押し開き、室内に突入する。
そんな紫龍と、紫龍に0.05秒ほど遅れてラウンジに飛び込んだ星矢を迎えてくれたものは、
「やめんか、この馬鹿者がっ!」
という、室内に響き渡る怒鳴り声だった。

声の主は氷河。
氷河の前では、瞬が、おそらくは氷河によって乱されたシャツブラウスの襟元を両手で押さえている。
傍目には、氷河が瞬を怒鳴りつけているようにしか見えない その光景――。
「な……何だ、これ。どーなってんだ?」

その光景の意味するところを即座に理解することは、知恵の女神アテナにも不可能なことだったろう。
まして、ただの人間にすぎない星矢と紫龍は、何がどうなって こうなったのかが 全く理解できなかった。
星矢たちの乱入に気付いた瞬が恥ずかしそうに、そして泣きそうな目をして俯く。
かくして星矢と紫龍は、訳がわからないまま、阿呆のように その場に立ち尽くすことになったのである。






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