いつのまにか身についていた小宇宙――と思っていた。 『今 この瞬間、僕は小宇宙を生む術を会得した』という感動の時があったわけではない。 それは、本当に、いつのまにか瞬のものになっていたのだ。 アテナの聖闘士をアテナの聖闘士たらしめ、聖衣を我が身にまとう資格でもある その力が、自分の努力によって養われたものでないことを知らされた時、瞬は愕然とした。 瞬は、アンドロメダ島では優等生とは言い難い“生徒”だった。 それでも、その島で6年、瞬は他の聖闘士候補の少年たちと同じ修行をし、その修行に耐え抜いた。 島に渡った時に比べればはるかに成長したと、自分では思っていたし、それは確かな事実でもあった。 瞬の体力や運動神経の発達は、肉体の成長だけに 攻撃力という点では 他の者たちに はるかに劣り、気力でも彼等に勝っているとは言い難かったが、アンドロメダ島で過ごした6年間で、少なくとも瞬は、一般人の格闘家と戦っても負けない程度の力は身につけていた。 小宇宙が自分のものになったと思ったのは、サクリファイスに挑み、聖衣を手に入れた時。 特にはっきりした実感はなく、その力は いったいいつ自分のものになっていたのかと訝りはしたのだが、実際に聖衣は瞬を選び、瞬の身を包んだのだ。 聖闘士が聖闘士であるための唯一の力が 我が身に備わったという事実は、疑いようのないことだった。 その上、瞬が手に入れた聖衣のチェーンは、いつも瞬の意思に従って動き、瞬を守った。 ギャラクシアンウォーズ、暗黒聖闘士たちとの戦い、白銀聖闘士たちとの戦い――。 どの戦いも圧倒的勝利とは言えなかったが、その戦いを戦っている間、瞬は、自分には小宇宙がないのではないかと疑ったことは一度もなかった。 最初に『何かがおかしい』と思ったのは、城戸沙織が女神アテナだということを知らされた時。 その時以降、瞬は、自分の小宇宙が自分の思い通りにならないと感じることが多くなり、その事実に、瞬は戸惑った。 だが、それは、アテナの存在が身近にあることで、アテナの聖闘士である自分の小宇宙も様々な影響を受けるようになったからなのだと考えて、瞬は自分を納得させていたのである。 もともと 自分の小宇宙の力が ひどく不安定だという自覚はあった。 それは、いつも、瞬の意思や体調にかかわらず大きく変化し、異様に強くなったり、また弱まったりもした。 強大な力を持つ敵を驚くほど簡単に倒すことができたり、さほど強いと思えない相手に思わぬ苦戦を強いられたりすることが、瞬には よくあったのだ。 だが、それは小宇宙の有無に限らず、人と人の勝負事にはよくあることだと、瞬は思っていたのである。 『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし』と俗に言う。 『勝負は時の運』とも。 戦いは自分ひとりで行なうものではなく、相手のあること。 力で劣る者が必ず負けるとは限らない。 もちろん、力で勝る者が必ず勝つとも限らない。 何らかの条件が加わることによって、人が実力以上の力を発揮することはあるだろうし、逆に 敵が自滅していくこともあるだろう。 瞬は、自分の力に波があるのは、自分が自分の小宇宙をコントロールしきれていないだけなのだと思っていた。 それが、単なる錯誤であり、ただのうぬぼれにすぎなかったことを、瞬が知ったのは、アテナの聖闘士たちが聖域に向かうことになった前夜。 瞬が自分のものだと思っていた小宇宙の本当の持ち主が、突然 瞬に語りかけてきた時だった。 「聖域に行くのはやめろ。あの場にはアテナの結界が敷かれている。現在のアテナだけでなく歴代のアテナたちの意思が残り、支配している場所だ。余がこれまでのようにそなたを守り切れると限らない」 瞬の中で――あるいは、夜の闇の中から。 その声の主の姿を見ることはできなかったので、瞬には、その声がどこから聞こえてくるものなのかがわからなかったのである。 ただ、それが瞬自身の声でも思惟でもないことだけは確かな事実だった。 「あなたは誰」 その問いを、瞬は、声に出して尋ねたのか、あるいは 心の内で思っただけだったのか――。 それすらも、瞬には はっきりとわからなかった。 が、ともかく、瞬の問いかけへの答えは返ってきた。 「そなたの味方だ。これまでずっと そなたを守り続けてきた者。まさか、そなた、これまでの戦いでの勝利がそなた自身の力によるものだと思いあがっていたわけではあるまいな」 「え……」 思いあがっていたつもりはなかったが、 これまで戦ってきた いくつもの戦いで、瞬に力を貸してくれたのは瞬の仲間たちだけだったから。 自分の仲間たち以外の者の力が アテナの聖闘士たちの戦いに作用していた可能性など、瞬は一度も考えたことはなかったのだ。 だが、闇の色をした謎の声は、瞬のその認識を事もなげに否定してくれた。 「余がそなたを守り続けてきたのだ。その脆弱で繊細な、だが美しく価値ある そなたの身体と心、下賎の者に傷付けられてはかなわぬからな」 「……」 「聖域に行くのはやめよ。そなたのためだ。そなたには もともと小宇宙など備わっていなかったのだ。そなたはアテナの聖闘士ではない。そなたは余のために生まれ、余のために生きているものだ」 「そんな……」 そんなはずはないと、瞬は まず思った。 自分はアテナの聖闘士だと、星矢たちの仲間だと。 だから、こんな得体の知れないものの力を借りなくても小宇宙は燃やせるはずだと思い、その考えを裏付けようとしたのである。 だが、燃やそうとしても瞬の小宇宙は生まれてこなかった。 「僕が……アテナの聖闘士じゃない……?」 愕然とした瞬の唇から洩れた呟きに、闇が闇の中で頷いてみせる。 「その通りだ。だから、そなたは聖域になど行く必要はない。行ってはならぬ。何の力も持たない者が あの場所に行っても無益。そなたはそなたが仲間と呼んでいる者たちの足手まといにしかならぬ。仲間のことを思うなら、そのような無謀な考えは すぐに捨てよ」 「今更、そんなこと――」 今更 そんなことができるわけがない。 今更、『本当は僕は聖闘士ではなかった』などということを、仲間たちに言えるわけがないではないか。 聖域に待っているだろう大きな試練。 その試練に立ち向かうことを決めたばかりの今、そんなことを言ってしまったら、瞬の仲間たちは、突然そんなことを言い出した者のことをどう思うことか。 「今更そんなことを言い出したら、僕は星矢たちに臆病者と思われるか、卑怯者のそしりを受けることになる。そんなことできるわけがない。あなたは僕を卑怯者にしたいの!」 瞬は、闇の中から語りかけてくるものに、決死の思いで抗った。 仮にも――まさに“仮にも”である――アテナの聖闘士であったものに、そんな卑怯な真似ができるわけがないと。 しかし、瞬が謎の声に抗った本当の理由は そんなことではなかった。 瞬はただ『言いたくなかった』のだ。 自分が聖闘士でなかったこと、聖闘士の資格を備えていなかった事実を星矢たちに告白することは、瞬が仲間を失うことにつながっている。 そんな事態に、瞬は耐えられなそうになかった。 城戸邸に集められた多くの子供たち。 その中で生き残った僅かな仲間。 命がけの戦いを共に戦い、命がけの戦いを幾度も重ねているうちに、彼等は瞬にとって得難い友になっていた。 真実を告白すれば 人を傷付けなければならない戦いからの離脱が叶うとわかっていても、瞬は彼等との絆を断ち切ることはできなかった。 そうなることが、瞬はただ 「あなたが何と言っても、僕は星矢たちと行くよ。今更ひとりになるくらいなら、僕は死んだ方がましだ!」 「……」 闇の声の主は、瞬のその訴えが 単なる脅しや戯れ言などではないことに気付いたのだろう。 彼の作る沈黙が、瞬にはまるで闇の溜め息のように感じられた。 「困った器だ」 瞬には意味のわからない呟きを残して、それは やがていずこかへ消えていった。 そうして、その声を作っていた闇の中に、瞬はひとりきりで残されたのである。 |