恋の作法






「自慢じゃないが、俺は重度のマザコンだ。マーマが最高、マーマが世界一、マーマ以上の女性など存在するはずがないと信じてきた」
そこにいるのは、その事実をよく知る彼の友人たちだけ。
とはいえ、もはや“母を慕う純真な少年”を気取れる年頃でもない大の男が そんなことを偉そうに断言するのを聞いて、彼の友人であるところのセイヤとシリュウは ほとんど呆れ果てていた。

が、彼等の友人であるところのヒョウガは、彼の友人たちの呆れた顔を意に介する様子も見せなかった。
彼にとっては、これは ただの前置き。
少しでも早く本題に辿り着きたいヒョウガとしては、友人の顔の具合いに頓着している余裕はなかったのである。
「その考えは今も変わらない。だから、俺は軽々しく そこいらの女に手を出したことはない。市井の女にも、あの宮廷にいる女共にもだ」

フランスの大世紀・17世紀に入って20数年。
現在のフランス国王はルイ13世。
実質的支配者は母后マリー・ド・メディシスと宰相のリシュリューである。
彼等の宮廷は、もちろんフランス第一の社交の場ではあったが、そこは アンリ4世以来のガスコーニュぶりが残る、到底 洗練されているとは言い難い場所でもあった。
フランス各地から集まった騎士たちが野放図に お国ぶりを発揮している場所。
その社交場にいる女性たちは、大きく二種類に分類することができた。
すなわち、宮廷を闊歩する地方出の騎士たち同様に粗野な者たちと、田舎者を見下す鼻持ちならない気取り屋たち――の二種類。
フランスの地方どころか、フランスから見れば野蛮人の国ロシアからやってきたヒョウガでも、そんな女性たちに好意を持つのは非常に困難なことだったのだ。

そういう事情もあって、『軽々しく そこいらの女に手を出したことはない』というヒョウガの言葉は紛れもない事実であり、それが事実であることはセイヤたちも知っていた。
だから、ヒョウガの友人であるセイヤたちも、
「なのに、どういうわけか、俺は世間では軽薄な遊び人だと思われている。なぜだ!」
というヒョウガの憤りは実に尤もなことだと 思っていないわけではなかったのである。
とはいえ、ヒョウガに その憤りをぶつけられても、彼等にはどうすることもできなかったのであるが。
その風評の原因は、やはりヒョウガ自身にあると、彼等は思っていたのだ。

「なぜって言われてもさー」
「フランスに来てから、俺は本当にただの一度も、どんな女にもちょっかいを出したことはないんだぞ。宮廷にだって1、2度 顔を出したきり、ほとんど足を運んでいない。なのに なぜ、いったい いつのまに、俺はそういう男だということにされてしまったんだ……!」
憤懣やる方ないといった様子のヒョウガに、セイヤが大仰に肩をすくめてみせる。
そうしてから、セイヤは、全く悪びれることなく、怒りに燃えた男の質問に 彼なりの答えを提示してみせた。

「まあ、それはさ。いかにも軽薄で派手で女好きな遊び人っていう、おまえの その風貌が良くないんじゃねーの?」
「フランス人から見れば、ロシアは未だに野生的な蛮族の国だ。気に入った女がいれば、優雅に気の利いた会話で口説き落とすようなこともせず、力づくで我が物にするような男たちが闊歩する国というイメージが根づいている。そんな国から、一見したところは優男がやってきて、宮廷にはろくに顔も出さず、パリをうろつきまわっているんだぞ。フランスのお上品な貴婦人方が何を妄想するかは、察するにあまりある。その見てくれが不運だったな」

いかにも無鉄砲に剣戟を好む田舎剣士といった風貌のセイヤと、いかにも冷静に権謀術数を巡らす どこぞの宰相風の風貌をしたシリュウが、ヒョウガの風評に対する彼等なりの見解を述べる。
「……」
ヒョウガは、彼等の言に、不愉快そうな様子で口許を引き結んだ。
彼は、そういう考えは認めたくないらしい。
自分に関するパリでの不本意な風評の原因は、自らの風貌にも出身地にもなく、ただただ フランス貴族たちに見る目がないせいだと、彼は思っていたいらしい――否、そう思っていた。
ゆえに、ヒョウガは、彼の友人たちの見解を無視して 彼の話を続けたのである。

「そんな俺がだ。『あなたに心を奪われました。初恋です。俺と交際してください』と恋の告白をしたとして、それを信じてもらえると思うか?」
「無理だろ」
友人たちの意見をまともに聞こうともしないヒョウガの態度に含むところがあったわけではなかったろうが、セイヤはヒョウガの訴えを、あっさり『無理』と断じてみせた。
そのあまりの あっさりぶりに、ヒョウガがムッとした顔になる。
ここで『大丈夫。信じてもらえるさ』と言われても、話が思う方向に進まなくて困ることになるのだが、いささかの逡巡もなく『無理だろ』と言い切られてしまうのも、ヒョウガは不愉快だったらしい。
男心は――特に、恋する男の心は フクザツだと、ヒョウガの不快そうな顔を見て、彼の友人たちは長い吐息を洩らすことになったのだった。

が、セイヤの『無理だろ』という回答は、基本的なところでヒョウガの考えに一致するものだったのである。
だからこそ彼は 彼の家に――正確には、彼がパリで身を寄せている親類の館に――友人たちを招いたのだ。
「だから、俺に協力してくれと言っているんだ」
「協力しないこともないけどさー。それ以前の問題はどうすんだよ」
「それ以前の問題?」
「だから、おまえが惚れた相手が、おまえと同じオトコだって問題だよ!」

ヒョウガが被っている風評被害より、フランス人の“見る目”の有無より、そのことこそが大問題――と、実はセイヤは思っていた。
いくら先々代アンリ3世以来のメジャーな嗜好とはいえ、それは神の教えに背く不道徳な愛なのである。
が、ヒョウガはそういう考えではいなかったらしい。
ヒョウガは、セイヤの言葉に一瞬 虚を衝かれたような顔になった。
すぐに、その顔を、実に不思議な話を聞かされた人間のそれに変化させ、僅かに眉をひそめる。

「シュンは、そこいらの女共よりずっと綺麗だし、大人しくて控えめで品もある。その上、繊細で思い遣りがあって優しく気配りもでき、あのカミュでさえ難癖をつけることができないくらいマナーも完璧。何か問題があるのか」
「……」
人間が人間の価値を判断する定規は、個々人で異なるものである。
ヒョウガの価値観と判断基準は 決して間違ったものではなかったし、シュンに関する彼の人物評にはセイヤも異議はなかった。
が、だからといって、ヒョウガの恋に全く問題がないという意見に諸手をあげて賛同することは、いかに鷹揚で売っているセイヤにも安易にできることではなかったのである。
ヒョウガの見解に、セイヤはしばし 絶句することになった。
そんなセイヤの横から、シリュウが、
「まあ、面白いじゃないか」
と、この上なく安易な軽口を挟んでくる。

はるばる北の国の都からパリにやってきたヒョウガが 異国の地で恋した相手は、某侯爵家の令息だった。
名前はシュン。
問題の侯爵家は、長く続いた宗教動乱やハプスブルク家・イギリス王家との争いで活躍し、当主であるシュンの実兄が20代の若さでフランス国軍元帥の地位を得た、いってみれば軍事面でフランス王家に忠義を尽くす名門中の名門。
そんな家に生まれながら、どうしても争い事が好きになれなかったシュンは軍人になることを拒み、弟に甘い兄は それを至極あっさり許したらしい。
昨今 パリでは、宮廷の野卑を厭うた貴族たちが より純正な社交の場を求めて 多くのサロンが開かれていたのだが、そのサロンで 少女と見紛う名門出の美少年は引っ張りだこだったので、あるいはシュンの兄は、軍事の面で兄が、文化の面で弟が名をあげ、侯爵家に一層の繁栄をもたらすことを期待したのかもしれなかった。

それらのサロンで、シュンは、日の出の勢いのフランス宮廷に己れの栄達を夢見てやってきた外国人や地方出身者たちから、宮廷での礼儀作法シヴィリテを尋ねられることが多かったらしい。
彼等が なぜそれをシュンに尋ねることになったのかは、今となっては定かではない。
名門出の美少年に近付きになりたいという下心からだったのか、あるいは、シュンがまだ若年の少年だからこそ、自らのプライドを傷付けることなく気安く、そんなことを尋ねることもできたのだったかもしれない。

ともあれ、彼等にその手のことを尋ねられた際のシュンの助言は、
『武勇談は自慢げにしない方がいいかもしれませんよ。人によっては不愉快に感じられる方もいらっしゃるかもしれませんから』
『長所や特技はさりげなく示した方が人の心を打つものですよ、きっと』
『知識をひけらかす学者気取りは避けた方が無難でしょう。人は、記憶力よりも、理解力やエスプリの方に尊敬の念を抱くものですから』
『いちばん大切なことは、対峙する人に尊敬心を抱くことなんじゃないでしょうか。謙虚で思い遣りのある態度は、誰からも尊敬されるものですよ』
等々、紳士オネットムの常識的なたしなみを語るものだったらしい。

それは、何ということもない ありふれた助言だったのだが、シュンの語る“常識的な見解”は、口伝えに大いに評判をとることになった。
シュンに教えを乞いたいという者が増え、他家のサロンでは彼等に対応しきれなくなって、結局 シュンは兄の館にシュン自身のサロンを開くことになったのである。
シュンのサロンは、社交的集会サロンというより、学校のようなものだったかもしれない。
そして、シュンは、おそらく パリで最も年若いサロンの主人だったろう。

サヴォアからパリに出てきたセイヤとシリュウも、彼等のあまりの礼儀知らずに呆れた後見人によってシュンのサロンに“入学”させられたのだった。
シュンの親切と人好きのする態度、なにより年齢が近かったこともあって――シュンのサロンに入学してくる生徒は、主に各地方で功成り名遂げた中年壮年の貴紳たちだった――彼等はすぐに友人同士になった。
肝心の“貴族の洗練――エレガンスや礼儀作法――はあまり身についたとは言い難かったが、シュンの教育方針は、『自らを実際よりよく見せるために、自らを偽らないこと』 『対峙する相手を尊敬する気持ちがあれば、人は人を不愉快にしない』といったものだったので、知り合ってすぐに、シュンはセイヤたちに“合格”の免状を与えてくれたのだった。

シュンのサロンはそういう作法やエレガンスを語る場所で、カミュのサロンとも行き来があった。
ヒョウガの親戚であるカミュは、“文法家グランメリヤン”の異名をとるほど『美しいフランス語』にこだわる男で、それも言ってみれば礼儀作法の一領域。
二つのサロンの間に交流が生じたのは自然な成り行きだっただろう。

ヒョウガが寄宿しているカミュの館をシュンは幾度も訪れていたし、時折シュンのサロンにカミュが赴くこともあったのだが、『言葉なんてものは通じればいい』という考えのヒョウガは、カミュのサロンに顔を出したことは一度もなく、ゆえに、シュンのカミュ邸訪問を全く知らなかった。
宮廷の舞踏会で一目惚れした相手が これほど近くにいることも知らず、ヒョウガは日々、シュンへの恋心を募らせていたのである。

シュンがこれほど自分に近い場所にいるという事実をヒョウガが知ったのはほんの偶然。
ヒョウガの友人であるセイヤが、彼の友人であるところのシュンの話を、ヒョウガの前でたまたま持ち出したからだった。
その偶然がなければ、ヒョウガは未だに 自分の友人たちがシュンの友人たちでもあることを知らないまま、共通の友人の力を借りてシュンに近付こうなどという考えを起こすこともなかったに違いない。
だが、知ってしまったからには、この素晴らしい友人たちを使わない手はないではないか。






【next】