一大イベントが終わって、シュンと入れ替わりに、フランス語の大家が国王の御前に呼ばれていく。
王の御前から下がったシュンは、彼のために用意されていた席には戻らず、ホールの外に出てヒョウガに丁寧に腰を折った。
「ありがとうございます。助かりました。本当にどうなることかと思った。あの……お名前は――後日 お礼に――」
ヒョウガはもちろん、礼が欲しくて その暴挙に及んだわけではなかった。
それどころか、人助けをしたという意識すら、彼の中にはなかったのである。

「あの女の高慢ちきな態度が気に入らなかっただけだ。フランスが作法不在の後進の国なら、ロシアは野蛮人の国ということになる。へたをすると人間の国ですらないからな」
ヒョウガの中にあったのは、故国の内にいた時には感じたことのなかった愛国心というものだった――かもしれない。
「ロシアの方なんですか。ロシアの方は、皆さん辛抱強くて、勇猛果敢な方が多いと聞いています」
「俺は辛抱強くはないな。ああいう女を見ると 黙っていられな……いや、力になれたのなら嬉しい。迷惑ではなかったか」
そして、突如 湧き起こってきた愛国心以上に、不快なものを見たくないという極めて原初的な感情だった――かもしれない。

「いいえ、身体が軽くて、とても気持ちよかった――ダンスをあんなに楽しいと思ったのは、生まれて初めてです」
「それはよかった。俺も、実は、ダンスなんてものは子供の頃にマーマと――いや、母と踊ったことしかなくて、さっきのは見様見真似の即興だったんだが」
「お母様と?」
「ああ」

シュンに何気なく頷いてから――それは事実だったので――ヒョウガは ふと、先々代のフランス国王アンリ3世、その先代のシャルル9世の兄弟を思い出すことになったのである。
強大な権力を持つ母后カトリーヌ・ド・メディシスの呪縛から逃れることができず、自立した王になれぬまま放蕩の末に身を滅ぼした虚弱な国王たち。
そんな王たちの治世下、フランスの国と民は疲弊し、多大な不利益を被った。
フランスでは母親の影響から逃れられない男を蔑視する風潮があるのではないかと、ヒョウガは懸念したのである。
その懸念は、杞憂にすぎなかったが。

「素敵」
シュンが微笑んで そう言う。
その瞬間に、おそらくヒョウガは、シュンに少々タイムラグのある一目惚れをしてしまったのである。
その時になって、ヒョウガは、自分がとんでもない無作法に巻き込んだ相手が 素晴らしく清楚で美しい面立ちの持ち主であることに気付いたのだった。


カミュには王の御前での無作法をこってり絞られたが、その無作法のせいで、ヒョウガは、野蛮人の度胸が大いに気に入ったセイヤたちと懇意になることになった。
その際、セイヤかシリュウのいずれかが、自分たちがシュンの友人であることをヒョウガに知らせていたなら、ヒョウガももっと早くにシュンと親しくなれていたのかもしれなかったが、その時にはセイヤたちも、よもやヒョウガがシュンに一目惚れしたなどという驚愕の事実を知りようもなかったのである。
セイヤたちは、野蛮人の度胸に親近感を覚えてヒョウガに声をかけただけだったし、シュンは、その外見はどうあれ、一応は男子。
その可能性に思い至るのは、それがセイヤたちでなくても無理な話だったろう。

ともあれ、その一事で、ヒョウガは、フランス宮廷の名誉を守った救世主として 一躍有名人になり、有名税として、彼は“女あしらいに長けた軽薄な遊び人(だろう)”という風評を得ることになったのだった。

ヒョウガは本来はダンスなどには興味のない男だった。
ダンスなどという行為に意義や意味があるなどという考えを抱いたこともなかった。
ヒョウガにとって唯一のダンスの相手である母は亡くなって久しかったし、母とでないなら、ヒョウガはそんなものに興じる意義も必要性も感じることがなかったのだ。
しかし、シュンとのダンスは―― 一目惚れしたあとになって思い起こすと、実に楽しく快い遊戯だった。

『一心同体になったような感じがして、シュンとなら 人生を生きる戦いも一緒に戦っていけるような気がしたんだ』
――とは、あとになってから――セイヤたちがシュンの友人と知らされてから――ヒョウガが友人たちに語った言葉である。
ともあれ、そういう経緯で、ヒョウガは、セイヤたちをカミュの館に呼びつけることになったのである。






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