「んで、おまえは俺たちにどーしてほしいんだよ。俺たちに何しろって?」
恋する男の友人として、恋する男に協力するかしないかは、当然のことながら、その協力内容による。
“文法家”カミュが聞いたら卒倒しそうなほど美しくないフランス語で、セイヤは恋する男に尋ねてみたのである。
恋する男の返答は、そのフランス語の巧拙はともかく、内容は実にとんでもないものだった――少なくとも常識的とはいえないものだったろう。

「おまえらは、パリで 1、2を争う礼儀知らずのくせに、シュンのサロンの常連で、シュンとは大層 懇意にしているそうじゃないか。俺を“田舎から出てきた超純朴で生真面目で超堅物の好青年”として、シュンに紹介してほしいんだ。遊び人だという先入観さえなければ、シュンも俺の誠意を信じてくれるに違いない。あの無責任な風聞さえなかったら、俺は必ずシュンを口説き落とせるはずなんだ。いや、必ず口説き落としてみせる……!」
――というのが、恋する男が友人たちに求める“協力内容”だったのだ。
恋する男というものは いったい何を考えて生きているのかと、セイヤは軽い頭痛を覚えることになったのである。

「田舎から出てきた超純朴な好青年は、積極的に同性を口説き落とそうなんてことは考えないと思うぜ」
とりあえず、恋していない男の立場で――つまりは、常識人の立場で――意見を述べてみる。
確かに、ロシアは、パリの住人から見れば“田舎”と呼んで差し支えない土地だろう。
だから、ヒョウガが自身に冠しようとしている『田舎から出てきた』という言葉は決して偽称ではなく、ヒョウガをシュンに“田舎者”と紹介することについては、セイヤも決してやぶさかではなかった。

だが、ヒョウガは“超純朴な好青年”ではない。
普通の“超純朴な好青年”は、出自を偽って人に取り入ろうなどということは考えないだろう。
ヒョウガを“超純朴な好青年”とシュンに紹介することは、つまりはシュンを騙すということなのだ。
だから、セイヤとしては、ヒョウガの企てに安直に協力することはできなかったのである。
むしろ、セイヤは彼の友人に非難の目を向けることになった。

シリュウが脇から、
「しかし、面白そうじゃないか」
と、至って軽い乗りで茶々を入れてこなかったら、セイヤはヒョウガに協力するどころか、そんな企みを思いついた友人を糾弾し始めていたかもしれない。
「おまえ、そればっかだな」
シリュウの軽さ・無責任に出合ったせいで、セイヤはつい気勢が殺がれてしまったのである。
セイヤが呆れたことに、シリュウは本気で面白がっているようだった。

「だが、いったいおまえはどうやって“超純朴な田舎者の好青年”になるつもりなんだ? おまえの面は割れているぞ。王宮への出入りが許されているフランスの貴族たちの中に、おまえの顔を知らない奴なんて、ただの一人もいないだろう。なにしろ、おまえは宮廷へのデビューが派手すぎたし、シュンだっておまえの顔くらいは憶えているはずだ」
「そーだ、そーだ。大規模な宮廷の舞踏会やパリの場末の仮面舞踏会なら、どさくさに紛れてごまかすこともできるかもしれないけど、シュンは国王の命令でもない限り、自分から そんなところには まず出掛けていかないぜ。大抵は自分のサロンで、至近距離で訪問客の相手をしている。おまえがシュンの前で別人の振りをするのは、どう考えたって無理な話だろ」

滅多に宮廷に出ないのはセイヤたちも同じ――というより、彼等は、あれ以来 一度も宮廷に出掛けていなかった。
ヒョウガのパリでの後見人であるカミュもあまり宮廷に行くことは好まない人間で、ヒョウガ自身も宮廷には『シュンに会えるかもしれない』という淡い期待を抱いて、派手なデビュー後に2、3度足を運んだことがあるだけだった。
結局 その期待は実ることなく、ヒョウガの宮廷行は無駄足に終わったのであるが。

とはいえ、ヒョウガは宮廷に無駄足を運んだ その際に、非常に重要かつ不愉快な情報を一つ得ることができたのである。
つまり、彼自身に関する とんでもないデマがパリ社交界に出回っているという情報を。
それさえなかったら、ヒョウガとて、
「もちろん、田舎者に変装するんだ」
などという馬鹿げた考えを抱くことはなかったのだ。

尤も至極なセイヤたちの指摘事項について、ヒョウガは既に対策を講じていたらしい。
「変装?」
「ああ。ちょっと待っていろ」
ヒョウガは、そう言って張り切ってサロンを出ていった。
ヒョウガは“変装”という手段で、自分が“純朴な好青年”としてシュンの前に立つことができると信じているようだったが、セイヤとしては、ヒョウガがいかに巧みに“変装”してもシュンをごまかしきることはできないだろうと思わずにはいられなかったのである。
その内実はともかく、ヒョウガは見てくれが派手すぎるのだ。
だからこそ、正真正銘の田舎者であるにもかかわらず、彼は“軽薄な遊び人”という、パリでは名誉ともいえる評判をとっているのである。

「ヒョウガの奴、本気かよ」
「本気でなければ面白くない」
あくまでも、どこまでも面白さのみを追求するシリュウに呆れて、セイヤが嘆息を洩らした時だった。
彼とシリュウの前に、“粋”とは対極を成す風体をした男が一人登場したのは。

前髪がほとんど目の下まで垂れ下がった黒髪のカツラ。
その髪を後ろで無造作に一つにまとめているリボンは、農耕馬でも そんなリボンを結ばれるのは断固拒否するだろうと思えるような、薄茶けた布切れ。
シャツは極端に大きな白い襟のついたもので、上着は裾が膝上までしかない、どこの貧乏僧侶かと見紛うような黒色。
靴が、床を汚してしまうのではないかと思えるほど古ぼけている。

それが変装したヒョウガだということに、セイヤは本気でしばらく気付かなかった。
半分近く顔が隠れ、髪の色が違うせいもあったが、彼の身につけている服が、あまりにもクラシックすぎる代物だったせいで。
上着が上等の絹でできていることが、かえって その姿を大時代的に見せている。

「うわ、本気でだっせー。俺にもわかるくらい だせーって、相当の だささだぜ!」
セイヤが感嘆の声をあげ、
「10年以上昔の人間が突然現代に現われたような……。それはアンリ4世の頃に流行った型の服ではないか」
シリュウが、心から感動したように低い呻き声を洩らす。
そんな友人たちに、ヒョウガは得意げに頷いてみせた。
「カミュの青年時代の服なんだ。ポイントは足元だな。この靴が俺を正真正銘の田舎の貧乏貴族に見せてくれる。鹿革でも牛革でもなく布でできているんだ。これは手に入れるのに苦労した」
「……」

ヒョウガはいったい、最先端のガラントリーと美を追求しているサロンのある館で、フランスの田舎者の生態の研究でもしていたのだろうか――。
だとしたら、その研究の成果は見事なものと、セイヤとシリュウは認めざるを得なかった。
素晴らしく“ださい”。
ヒョウガの田舎者としての装いは、ほぼ完璧と言っていいものだった。

そして、確かに、変装したヒョウガは“軽薄な遊び人”には見えない。
その あまりのだささに感動して、セイヤは、『面白そうじゃないか』というシリュウの意見に初めて賛同する気になったのである。
パリで有名な遊び人の この野暮ったさは、尋常でなく面白い見世物であり、シュンにこんな格好の人間を紹介したら、シュンはいったい何と言うのか、セイヤは大いに非常に興味が湧いてきてしまったのだ。
恥ずかしげもなく こんな格好ができてしまうほど、ヒョウガはシュンにイカれているのだと思うと、セイヤも恋する友人のために一肌脱がないわけにはいくまいという気になったのである。






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