その花の写真を撮った自然写真家に会うことは容易だった。
福祉や自然保護等に力(寄付金ともいう)を注いでいるグラード財団総帥の名を出すと、出版社の担当者はすぐに――おそらくグラード財団に何らかの報いを期待してのことだったろうが――氷河に問題の写真家との仲介の労をとってくれたのである。

氷河が彼に会ったのは、写真家の自宅兼アトリエ。
写真家は、日に焼けた顔に口髭を蓄えた40代半ばの人のよさそうな男性だった。
氷河が『恋人が、あなたの撮った写真に感動して』と告げると、彼は『花好きに悪い人はいない』と嬉そうに言って、氷河の知りたい情報を快く教えてくれたのである。

「東シベリアの ある場所で見付けたんですが、そこはロシアの資産家の私有地なんですよ。山とまではいかないにしても、かなりの高さを持つ丘で――そこであの花を見たことがあるという地元の人の話を聞いて、ぜひ入らせてほしいと願い出たんですが、なかなか許してもらえなくてね。あちこちの文化財団や日本の環境庁に働きかけて、ロシアのお偉いさんにも つてを頼って、推薦状を20通も抱えていったら、やっと入る許可を貰うことができたんです。あそこは登るのは素人でも簡単だが、それ以前に、足を踏み入れるための許可を得られるかどうかという問題のある場所なんですよ」
「……グラード財団総帥の推薦状ならもらえると思うんだが――」
「どうでしょうねえ。大変な資産家で、金では動かん人のようでしたよ」
「駄目で もともとの覚悟で、やってみますよ」

あの広大なシベリアの地に常時見張りを置いているわけでもないだろうから、最悪の場合には許可を取らずに――とは、さすがの氷河も口にはしなかった。
「そうですか。許可をもらえたら、できればご案内してさしあげたいが、私は今夏はカナダへ撮影に行く予定になっているので――」
残念そうにそう言って、いかにも人間よりは動植物の方に慣れ親しんでいる様子をした写真家は、シベリアの詳細な地図をテーブルの上に広げ、彼が問題の白い花を見付けた丘のある場所を、氷河に指し示してくれた。
「土地の所有者はスヴォルキンさんとおっしゃる方ですよ。レフ・イリイッチ・スヴォルキンさん。普段はレニングラードにお住まいで、以前は、夏場にはシベリアの方にもいらしていたそうですが、それも最近ではご無沙汰で、レニングラードのお屋敷の方にずっと閉じこもっていらっしゃるようでした」 
「スヴォルキン……」

氷河は、その名を聞いたことがあった。
大変な資産家だということも、ここ数年間はレニングラードの屋敷から出ていないということも、扱いの難しい人物だということも知っていた。
レフ・イリイッチ・スヴォルキンは、シベリアに広大な土地と不動産を持つ、いわゆる“地元の名士”というものだったのだ。
扱いの難しい男――ということはわかっていたが、瞬のために、どうあっても氷河は この計画を諦めるわけにはいかなかった。
二日後 氷河は単身ロシアに飛び、彼は“扱いの難しい男”から首尾よく 彼の私有地に入る許可を得ることができたのである。






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