きまりの悪そうな顔をして 氷河と正面から視線を合わせようとしないのは、瞬も同じだった。
少しく戸惑ったように――瞬が ちらちらと白鳥座の聖闘士を盗み見る。
思い切ったように瞬が口を開いたのは、氷河の悔しそうな横顔が 瞬の心を動かしたから――だったかもしれない。
瞬が その告白をするのに多少とも覚悟を要したのは事実のようだった。
もしかしたら、瞬はそれを懐かしく美しい思い出のまま自分だけの胸に秘め、誰にも知らせずにおきたいと思っていたのかもしれない。
星矢と紫龍の目には そう映った。

「氷河の言う通り、あの島には僕の大切な人がいたけど……」
瞬の呟くように小さな声の告白に、氷河がぴくりと こめかみを引きつらせる。
それから彼は、僅かに つらそうに――否、不快そうに、その顔を歪めた。
本音を言えば、氷河は、アンドロメダ島での瞬の“大切な人”のことなど聞きたくなかったし、知りたくもなかったのである。
氷河はただ、その人物に勝ったという事実が欲しいだけだった。
今 確かに瞬は自分のものだという確信を得たいだけだったのだ。

「あの過酷な島での修行を、僕が耐え抜くことができたのは、その人のおかげだよ」
「瞬、俺は――」
そんな話は聞きたくないのだと、氷河は言おうとした。
瞬が、そんな氷河に、困ったような笑顔を投げかける。

「あの島には、僕の大切な仲間たちがいたんだ。小さな子供の仲間だよ。つらい時、悲しい時、寂しい時、僕はあの島で大切な仲間のことを思い出した。何度も何度も何度も――」
「瞬……」
瞬の言う『仲間』とは いったい誰のことなのか。
氷河が尋ねる前に、瞬は 瞬の“大切な人”たち・・が誰なのかを、氷河に教えてくれた。
「元気で明るくて無鉄砲な星矢、落ち着いてるんだか熱血漢なんだかわからない紫龍、強くて優しい僕の兄さん。それから――」

瞬が、もう一人の仲間を、その瞳に映す。
美しかった地獄の島を懐かしむ声と眼差しで、瞬は“彼”に言及した。
「意地っ張りで、無愛想で、不器用で、マーマが大好きで、綺麗な青い目をした、どこかの誰かさん」
「……」

綺麗な目をした どこかの誰かさんは、自分が焼きもちを焼いていた相手の正体を知らされて 呆けてしまったのである。
他にできることが、彼にはなかったのだ。
穏やかな優しい声で――恋の情熱など かけらも混じっていない声で――“大切な人”を語る瞬を、彼は、言葉もなく見詰めることしかできずにいた。
そんな氷河を、瞬は 今は ただ懐かしさだけのこもった目で見あげている。
氷河はもうずっと長いこと、瞬にこんな目をさせる人間を、瞬の中から追い払ってしまいたいと切望していた。
その目が、今は氷河の姿だけを映している。

「仲間に励まされて、僕はあの島での日々に耐えた。あの島には、小さかった頃の氷河たちの面影が 懐かしい思い出として残ってるの――今も残っている。僕だけが成長して、みんなは小さな子供の姿のままだけどね。可愛かった氷河の思い出も、あの島にはある。僕に、アンドロメダ島を懐かしむなって言う方が無理な話だよ」
「瞬……」
「ばか。なに変な早とちりしてるの」
「すまん。俺は――」

自分の奮闘は馬鹿げた一人相撲にすぎなかった――その事実を知らされた氷河は、心底から、真摯に、マリアナ海溝より深く、反省したのである。
己れの頓珍漢な早合点に恥じ入り、あるいは 笑ってごまかすことも思いつかないほど真面目に反省した。
「俺は……救い難い焼きもち焼きなんだ」
「そうみたい。自分に焼きもち焼くなんて、氷河でなきゃできないことだよ」
「すまん」

自分の勝手な思い込みに気付かされ、いたずらをして母親に叱られている子供のように 項垂れてしまった氷河を、だが、瞬は責める気にはなれなかったのである。
氷河は、自分の命を失うことよりも、彼の“大切な人”を失うことの方を恐れる人間なのだ。
執着と言っていいほど愛した人たちを幾人も失い、そのたびに氷河は 尋常でない喪失感に打ちのめされてきた。

そんな経験を重ねてきたというのに、彼は、決して 人をほどほどに愛するということをしない――できない。
自分が傷付かないように用心して 好意の出し惜しみをすることも、感情の放出を抑えることも、氷河にはできない。
氷河は、ほどほどに愛すること、ほどほどに生きることができない男なのだ。
大抵の人間は、喪失の経験を重ね 傷付くことによって、“臆病”という美徳を身につけてしまうのに、氷河は断固として その美徳を拒み続ける。
そんな氷河を、瞬は好きだった。
とても――好きだったのだ。

意地っ張りで、無愛想で、不器用で、上手く生きることが どうしてもできない氷河。
頑なと言っていいほどまっすぐな子供だった頃の氷河を、瞬は思い出していた。
あの頃の氷河と、今の氷河――幾多の戦いで多くのものを失ってしまった今の氷河――は、歳を重ね、外見が大人のそれになったことを除けば、何も変わっていない。
氷河の本質は何も変わっていない。
彼は今でも、意地っ張りで、無愛想で、不器用で、マーマが大好きで、綺麗な青い目のままなのだ。
自分を守る術を、彼はあえて身につけようとはしない。
それは、瞬にとって、何よりも誰よりも愛すべき欠点にして美質だった。
だからこそ――瞬には、氷河を責めることなど思いもよらないことだったのである。

「6年間、あの島で、僕を慰め励まし続けてくれた氷河に免じて、許してあげます」
「ガキだった頃の俺に感謝する」
瞬の許しを得て、それまで緊張させていた身体から、氷河が力を抜く。
子供のように素直で わかりやすい氷河の態度に、瞬は苦笑めいた笑みを向けることになったのである。
とても、懐かしい気持ちで。






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