値踏みするように じろじろと瞬の姿を観察し終えてから、彼は、非常に不愉快そうに その端正な顔を歪めた。 本来の瞬であれば その不躾で無礼な視線を責め咎めていただろうが、今の瞬はその権利を有していない。 だから、瞬は、人に値踏みされるという屈辱に無言で耐えたのである。 瞬の家――F伯爵家――は、つい1ヶ月前までは この国で五指に入るほど広大な領地を持つ、国内有数の大貴族だった。 しかし、今は破産寸前。 今年の納税を無事に済ませることができるかどうかも怪しい状況で、しかも納税の期限は刻一刻と迫ってきている。 金策が、もし間に合わなければ爵位と領地の返上を余儀なくされるだろう。 それは 何としても避けなければならないことで、その事態を回避するために、瞬は彼の視線に耐えるしかなかったのだ。 数百年続いた家の存続が成るか成らないかということが問題なのではない。 瞬の兄が爵位と領地を奪われることによって、路頭に迷うことになる家臣たちと、悪質な新領主の支配を受けなければならなくかるかもしれない領民たちの暮らしが問題なのだ。 現状では、F伯爵家が この地上から消滅することによって 事態がより良い方向に向かうとは考えにくく、だから、瞬は、家臣と領民のために、金を――それも大金を――手に入れなければならなかった。 現在、この国の王は、(瞬の兄に言わせれば)どうしようもなく愚かな暴君で、彼に領地の支配権を剥奪されたら、伯爵領の領民たちは搾取されるだけの悲惨な境遇に落とされることになるだろう。 ――と、これも兄の言。 伯爵家の家臣たちも、そのほとんどが王室ではなく伯爵家に忠誠を誓っている筋金入りの忠臣たちで、その事実を知っている王が、伯爵家の家臣だった者たちに その能力を発揮する機会を与えようとしないだろうことは火を見るより明らか。 それゆえ、瞬は、こうして、この国で最も富裕な――おそらくは王室よりも富裕な――C公爵家に“職”を求めてやってきたのである。 今 瞬の目の前にいる公爵家の当主――氷河という名と聞いていた――が瞬を雇う気になってくれれば、その代償として、伯爵家の代わりに公爵家が 今年の税金を納めてくれる約束になっている――と、瞬の兄は言っていた。 『奴のことだから、半分は本気かもしれないが、半分は冗談で そんなことを言い出したんだろう。だが、今 俺は藁にもすがりたい思いなのだ』と。 兄にそう言われてやってきた公爵家の城館は、実に瀟洒で華麗な建物だった。 瞬が生まれ育った城も決して みすぼらしいものではないのだが、公爵家の城は その規模も壮麗さも伯爵家のそれとは桁違いである。 瞬は、この国の王宮を見たことはなかったが、この城はそれに勝るとも劣らないものなのではないかと、瞬は思った。 だが、城内に活気はない。 家令や召使いも、その権力権勢を考えれば、ありえないほど少ないようだった。 城門から入り、広間を通って、幅の広い階段を横目に長い廊下を歩き、やっとこの客間に辿り着くまでの間に、瞬が出会った人間は 僅かに三人。 瞬は、この広い城で、門兵二人と、瞬を客間まで案内してくれた執事らしき壮年の男性以外の人間に会うことはなかったのである。 破産寸前の瞬の城でも、これほどの静寂には、望んでも接することはできない。 これで公爵は どうやってこの城の管理と広大な領地の経営ができているのかと、瞬は訝らないわけにはいかなかった。 公爵家には公爵家本来の領地の他に、現公爵の母親が嫁ぐ際に持参した広大な領地が国の西方にもある――と、瞬は聞いていた。 C公爵位家の前当主が亡くなったのは10年ほど前。 瞬を公爵家の客間で迎えた現在の公爵家の当主は20歳になるやならずの青年だったので、彼が爵位を継いだのは彼が10歳前後の頃だったのだろう。 彼は 金色の髪と青い瞳、そして、ひどく憂鬱そうな表情の持ち主だった。 実年齢以上の威厳や貫禄を装うために作っている仏頂面なのであれば、彼はその作業に成功していなかった。 自分より絶対的な優位に立つ人物の不機嫌は、誰にとっても心浮き立つものではないだろうし、それは公爵の前に立つ瞬も同様だったのだが、瞬は彼に圧される感じを覚えることはできなかったののである。 公爵は、ちょっとした所作にも 力と機敏が伴っていて――つまり、彼は若いのだ、どうしようもなく。 とても、彼にそんな感想を言うことはできなかったが。 その若き公爵が、一通りの観察を終え、瞬に殊更不機嫌そうな声で尋ねてくる。 「俺がおまえの兄に提示した条件を、おまえは聞いているのか」 瞬は僅かに瞼を伏せて頷いた。 「あ、はい。あなたのどんな命令にも従順に従う美しい妻……の代わりになる人、と聞いています」 「……」 若すぎる公爵の答えは沈黙。 自分が彼の出した条件に合致していないので、彼は 遠来の客の前で仏頂面を崩さないのだろうと、瞬は察した――そう思わないわけにはいかなかった。 うぬぼれの強い人間と思われることは不本意だったので、瞬は、不機嫌な公爵の前で 恐る恐る言葉を重ねたのである。 「僕は、兄に、あなたは承知しないだろうと言ったんです。何を美しいと思うかは、人それぞれに異なるものですし……。ですが、兄は、大丈夫だからと――」 美しさは、誰もが納得するような明快かつ客観的な尺度を持たない 人間の構成要素である。 大抵の人間は、その判断基準を、自分自身か、彼が普段 目にしている者の上に置くだろう。 公爵は美しかった。 この年齢の成人男子として、これ以上の美しさは望めまいと確信できるほどに。 兄が何を根拠に『大丈夫』と言ったのか、瞬は兄の考えを量りかねていたのである。 この人が『美しい』と認める人間など、この世に存在するのかどうかすら 疑わしいと、瞬は思った。 が、彼の仏頂面の原因は、瞬の美醜の上にあったのではなかったらしい。 彼は、長い沈黙の後――待つ者にとって、沈黙はいつも長いものである――その表情にふさわしく抑揚のない声で、瞬に問うてきた。 「おまえが美しいことに関しては、俺も異議を唱えようとは思わない。だが、俺は、美しさと従順の美徳の他に、もう一つ条件をつけたはずだぞ。『決して 子供を産まない』という条件を。その保証はどこにある」 「……」 今度は瞬が沈黙の答えを返す番だった。 瞬は、公爵の不機嫌の理由を、自分の姿形が彼の審美眼に適わなかったからだと思っていた。 だが、その点に関しては異議はないと、彼は言う。 ではいったい自分の何が、彼の提示した条件に合わないというのか。 彼のその言葉が、瞬には理解できなかったのである。 否、本当は わかっていた。 ただ、その事実を認めたくないだけで。 認めたくないから、瞬は少なからず憤ったのである。 瞬は、腰に剣を この国では騎士でなければ帯刀は許されない。 もちろん、身に着けている衣服も騎士にふさわしいものだったのだ。 だというのに――いったい彼は、今 彼の目の前に立っている人間をどういうものだと思っているのか。 瞬は、胸中の憤りをなるべく声にのせてしまわないように気をつけて、その事実を彼に告げた。 「僕は男子です。逆立ちしても、あなたの子供は産めません」 「なに……?」 |