瞬の告げた“事実”に、彼は一瞬 虚を衝かれたような顔になった。
それだけで、彼の印象が、軽く2歳は若くなる。
瞬がその印象の変化に戸惑う前に、あろうことか、彼は瞬の目の前で大きな声をあげて笑い出した。
意識して作った笑いではなく 腹の底から自然に生まれ出てきた笑いだったらしく、それは あきれるほど勢いのある笑い方だった。
しかも、彼の笑い声はいつまでも止まない。
彼も 生まれてくる笑いを止めようと努力はしているようなのだが、それは彼自身の意思の力では止めることの困難なものだったらしい。
止められぬ笑いに苦しくなったのか、彼は その青い瞳に涙をにじませさえする始末。
瞬は、思い切り むっとしてしまったのである。
彼は、どう考えても、完全に本気で瞬を少女だと思っていたのだ。

「いや、俺の出す条件に適う妻を見付けてくれたら、伯爵家の税金くらいの金は出してやろうという冗談に、あの男が乗り気の様子を見せた時には、人間 金に窮すると、日頃傲慢で売っている男も ここまで堕ちるものかと呆れたが、まさか、こういう落ちとは……!」
『兄は傲慢なのではなく、矜持を備えているだけです』と訂正を入れたかったのだが、瞬はかろうじて その言葉を喉の奥に押し戻すことに成功した。
F伯爵家が、C公爵に“妻の代わり”になる人間を提供することで、彼に多額の金銭を用立ててほしいと願い出ているのは 厳然たる事実なのだ。
頼みごとをする人間の分際は、瞬も心得ていた。
さすがに、彼の爆笑の様を微笑んで見守るほどの余裕は持ち合わせていなかったが。

「失礼。なるほど、そうなのであれば、おまえは確かに子を産まないという保証つきの妻と言っていいな」
形ばかりの詫びを入れて、彼は客間の窓に背を向けて置かれていた絹貼りの肘掛け椅子に その身を投げ出した。
それで、少し 彼の目の位置が低くなる。
今度は 首を僅かに後ろに反らすようにして、彼は再び シュンの姿を視線で舐め回し始めた。

「だが、だとすると、今度は、おまえの兄が、俺の求めている『妻』をどういうものと考えているのかという問題が生じてくる。宮廷の舞踏会に連れていく飾りか、あるいは、性欲を解消するものか」
「……」
瞬の感覚では、妻というものは、『夫を愛し支える者』だった。

いずれにしても、瞬は、公爵が求めているものは『妻の代わりになるもの』であって、『妻』そのものではないと兄に言われていた。
性欲解消が目的なら、大金を出して“妻”を買わなくても、もっと小額で より高度なサービスを提供する職業に従事する女性が存在することくらいは 瞬も知っている。
だから公爵はそのために・・・・・“妻”の代わりを求めているのではないだろうと、瞬は考えていた。
その考えが間違っていたとしても、瞬は現に男子なのであるから、その務めを果たすことはできない。

「おまえは、同性だという理由で触れるのを避けることが愚かに思えるほど美しいし、ドレスも似合うだろが、よもや頑迷なほどの硬派で名を馳せている おまえの兄が、家を救うためとはいえ、弟に身売りをさせようなどと下劣なことを考えるはずはないし、実弟の女装なんてものも、あいつには耐え難いことだろう。奴の真意が読めんな。冗談としては最高の出来だが、今のあいつに こんな手の込んだ冗談を考える余裕があるとも思えない」
独り言のように言う公爵に、それこそ冗談を言う余裕のない瞬は、至極 真面目な顔で 兄の真意を説明することになった。

「あなたは性的嗜好は至って正常だから、そういうことになる心配はないと、兄は言っていました。僕は、あなたの側にいて、夫を愛する妻がそうするように あなたの心を慰めてやれと言われて、この城まできたんです。兄は あなたにとても同情的で――言葉にはしませんでしたが」
瞬の兄は、実際 言葉にはしなかった。
言葉の上では、彼は、瞬の雇い主になるかもしれない人物を『あの大馬鹿野郎』と呼んでさえいたのだ。
しかし、瞬の兄が この国の王を『馬鹿』と評する時の口調と、C公爵を『馬鹿』と呼ぶ時の口調は、明確に異なっていた。
前者は侮蔑がその主成分だったが、後者の主成分はむしろ親しみめいたもの。
そして、心底から嫌っていない人間を、瞬の兄が『馬鹿』と呼ぶ時、そこには必ず同情の念があることを、瞬は知っていた。

もちろん、国王より裕福な公爵家の当主に、破産寸前の伯爵家の当主が同情するという事態は 理屈に合わない事態である。
だが、10歳で爵位を継いだ公爵に、9歳で爵位を継いだ伯爵が 共感に似た思いを抱くことは、さほど不自然なことではない。
瞬の兄は、12年前に9歳で爵位を継いでいた。
つまり、両者は ごく早い時期に親を亡くした者同士なのだ。
必然的に、瞬も同じ境遇を耐えてきた子供だということになる。

瞬は、爵位を継ぐ義務を負っておらず、王におもねって王室から年金を拠出してもらわなければ生きていけないほど厳しい境遇にもなかったので(少なくとも、1ヶ月前まではそうだった)、宮廷に出仕したことがなかった。
もちろん、今日まで 公爵を直接には知らなかった。
公爵に関する瞬の知識は、兄から聞いた話だけ。
その話から察するに――というより、その話しぶりから察するに――瞬の兄は、公爵を“馬が合わない よい友人”と思っているようだったのだ。
そして、瞬の兄は、どう考えても、彼の“馬が合わない よい友人”に同情の念を抱いていた。

瞬の兄の同情を知らされると、公爵は、
「余計なお世話だ」
と、吐き捨てるように言った。
そして、そのままの口調で、瞬に、彼の求めている妻がどういうものなのかを知らせてくる。
「あいにく、俺が欲したのは性欲解消の道具だ。子供を産まないという条件も、そういう意味でつけたんだ」
「あ……でも、兄は……」
そんなものを金銭で贖おうとする人間を、兄が“よい友人”と思ったり、同情心を抱いたりすることがあるはずがないのだ。
ゆえに、今 瞬の目の前にいる青年が そんな人物であるはずがない。
だが、公爵は、瞬に異論を挟む隙を与えることなく、彼の言葉を続けた。

「おまえの兄は、うってつけの人材がいると言って、おまえを俺に売り込んできた。それを言い出したのがおまえの兄でなかったら、俺は そいつを、あわよくば身内の娘を公爵夫人にしようと企んだ さもしい輩と決めつけていただろう。まあ、あの男が俺と縁続きになることを望んでいるとは思えないから、これは あくまで伯爵家を守るための取引なんだろうがな。本当に俺の出す条件すべてを満たす人材だったなら、代価として、俺はおまえの兄に高い金を提供する約束になっていたんだが――」

彼は、そう言って、僅かに目をすがめた。
「宮廷では見掛けたことがないな。ということは、あの鬱陶しい場所に おまえの顔を知る者はいないということか。ドレスを身に着けて、一生女の振りを続けるというのなら、正式に妻にしてやってもいいが」
彼が冗談めかして――全く本気ではなく――そう提案してきたことを 喜ぶべきか憤るべきか。
どちらが適切な反応なのかがわからなかった瞬は、感情を伴わない声で、
「僕は正真正銘の男子です。そのようなことをするつもりはありません」
とだけ答えることになった。
金髪の公爵が、大仰に肩をすくめてみせる。

「飾りの妻を演じることもできず、ねやでの奉仕をするつもりもないのなら、おまえは俺にとって全く役に立たない人間だということになる。となれば、俺は おまえを問屋に返品するしかない。どうやら、おまえは 俺に従順に尽くすつもりもないようだし」
公爵にそう言われ、瞬はふいに自分の立場を思い出したのである。
忘れていたつもりはなかったのだが、自分がいつのまにか、この国で最も裕福な公爵家の当主に 対等な気分で対峙していたことに、遅ればせながら瞬は気付いた。
そして、そんな自分に、瞬はひどく慌ててしまったのである。

「僕、下働きでも何でもしますから! 僕の家は、今、窮地にあって――事情はご存じでしょう……!」
自らの立場を思い出してしまうと、瞬は公爵の慈悲にすがるしかなかった。
瞬は、今は、公爵家の力――つまりは、金――が必要なのだ。どうしても。
そうなった事情は、この国の貴族や軍人なら誰でも知っているはずだった。






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