(瞬の兄曰く)愚かな暴君であるところの国王が、海を隔てた隣国に無謀な戦を仕掛けることを決したのは、今より2ヶ月ほど前のこと。 この国の軍部の要といえる地位にあった瞬の兄は、それを益のない戦だと断じ、正面から国王の決定に反対した。 隣国は島国で、そこにあるのは荒れた土地と、土地同様に荒い気性の国民だけ。 隣国を首尾よく手に入れることができたとしても、その土地は豊かな実りをもたらすものではない。 隣国で最も盛んな産業は、近海での漁獲と海賊船による略奪行為。 国民は総じて気が荒く、武力で 幸い、隣国の現国王は国柄に似合わず知性的かつ理性的な王で、自国に輸入される大陸の農産物の重要性を認めている。 今は両国の関係は良好で、二つの国の間に争いの種はない。 この国には戦う理由などないのだ。 愚かな暴君の無思慮な思いつき以外には。 愚かな暴君が起こそうとしているのは、この国に正義のない、明確な侵略戦争だった。 だというのに、瞬の兄の諌止にもかかわらず、愚王は彼の無謀な計画を実行に移し、隣国に宣戦布告した。 戦に反対の立場を貫いていた瞬の兄から軍の指揮権を奪い、王は自ら軍隊を率いて隣国に上陸。 有能な指揮官のいない軍は、当然のごとく敗走した。 心ならずも、戦に勝ってしまった隣国の王は、勝者の立場上、敗戦国に補償を求めなければならなくなってしまったのである。 彼は 和議を受け入れる条件として領地の割譲を要求し、愚王は、瞬の兄から その領地の大部分を取りあげ、その土地を隣国に譲渡することで終戦の約定は成った。 隣国の王にすれば、ある日 ぼんやり眺めていた空から、突然 宝の山が降ってきたようなものだったろう。 まとわりつく だが、その虻の家臣たちこそ、いい迷惑である。 もちろん、封建制度というものは、主君から領地を与えられ、その代償として家臣が主君に忠誠を誓うことで成立する契約、領地は本来は王のものである。 しかし、主君に忠誠を誓い、定められた税を納め、家臣としての義務は果たしているにもかかわらず、一方的にその領地を取りあげる行為は、封建制度という仕組みを根底から覆すものだった。 瞬の兄は 愚王より余程 人望があり、もともと味方はいくらでもいた。 味方が多く力があるということは敵も多いということ。 が、今回ばかりは、事が事であるだけに、従前は瞬の兄に対立する立場にあった者たちも、一斉に王のそのやり方に反発することになったのである。 王のしたことは、他の貴族や騎士たちに危機感を伴う反感を抱かせるものだった。 なぜ 唯々として王の命令に従うのだと、瞬の兄の許にやってくる貴族や軍人たちは多かった。 「戦に反対したことが王の不興を買ったんだろう。放っておけばよかったのに。あの馬鹿王に くそ真面目に諫言などするから こんなことになる。人は、近くで口うるさく小言を言う者には憎悪を抱くが、遠くで何もしない者を憎むことはない。『触らぬ神に祟りなし』という言葉を、おまえの兄は知らなかったのか」 「兄は王の家臣ですし、そうはいきません。自分の国が正義のない戦をしようとしていたら、自国の名誉のためにも、それをやめさせようとするのは国民の一人として当然のことでしょう。それに兄は――」 瞬の兄は、その馬鹿王の娘に好意を抱いているのだ。 瞬の兄が、王の愚かさも『触らぬ神に祟りなし』の言葉も知っていたにもかかわらず、あえて王に諫言したのは、彼女の国の名誉を守るためでもあったろうと、瞬は察していた。 瞬の兄の恋の件は、公爵も知っていたらしい。 彼は、そんなもののために自ら不幸を招く男の気が知れないと言いたげな顔になった。 「ふん。とにかく、俺は、子供を産まないという保証付きの妻をくれるというから、伯爵家の税金を肩代わりしてやろうと言ったんだ。ただの下働きが50年間働いて給金を貯めても、伯爵家の1年分の納税額には遠く及ばないだろう」 F伯爵領は、理不尽な戦を仕掛けられた国が、その割譲で大人しく和議に応じるほどの価値を有する領地だった。 税金の額は、毎年、過ぎた1年の領地の面積と収穫量に比例して課せられる。 そして、F伯爵家は、昨年は国内でも5指に入る大領主だった。 当然、国に納める税の額も多い。 しかし、瞬の兄は、まもなく収穫という時期に、その領地を取り上げられてしまったのだ。 王の目的が、瞬の兄に対する意趣返しであることは疑いようがなかった。 王は、息子と言っていいような歳の家臣に反対された戦を敢行し、その戦に負けた。 あの生意気な家臣は『それ見たことか』と、王である自分を嘲笑っているに違いない――と、彼は瞬の兄を自分のレベルにまで引きずり落として下種の勘繰りをしたのかもしれない。 もちろん、それは彼の被害妄想にすぎないのだが、生意気な家臣に嫌がらせをする理由としては、彼にはそれで十分だったのだろう。 力や統治能力には、全くと言っていいほど恵まれていないというのに、プライドだけは高い王。 彼に力がないことがわかっているからこそ、瞬の兄は、なるべく事を荒立てないように事態の収拾が成ることを望んでいた。 ここを乗り切れば どうにかなると わかっているからこそ。 瞬の兄はそんな苦境に立ち、真面目に国を憂いているというのに、この国で最大の領地と金を持つ公爵は、自分の国の未来などどうなってもいいと考えているようだった。 彼は、国を憂う兄を案じている弟に向かって、 「ああ。俺と寝る気があるというのなら、話は別だぞ。見れば見るほど、おまえは美しい。一晩に、伯爵領1年分の税金に相当する額を支払っても、損をしたと思うことはなさそうだ」 などという、ふざけた提案をしてきた。 そう言ってから、 「なるほど、これは盲点だった。確かに男が相手なら、どれだけ楽しんでも子供ができる心配はないな」 と、更にふざけた真顔で たわ言を続ける。 いつ自分が同じ目に合うか わからないという現状を考えたら、彼とて、同じ王に仕える封建領主の一人として、瞬の兄の苦境を のほほんと眺めていることはできないはずだというのに。 彼は、おそらく、現在 彼が手にしている土地や身分や財に対して、ほとんど執着心を抱いていないのだ。 公爵の態度は、瞬の目には そう映った。 |