「公爵様はお母様を心から慕っていらっしゃいましたから、お母様の死に様をご覧になった際のショックも大きかったんですよ。奥様は楚々とした物静かな お優しい方で、旦那様とも仲睦まじかった。旦那様も奥様を それは大切にしていらっしゃいました。旦那様が公爵様を可愛がっていらしたのは、公爵様がご自分と血の繋がった息子だからというより、奥様に似ていらしたからだったのではないかと、私などは思っておりました」 氷河の代わりに 氷河の母の思い出を瞬に語ってくれたのは、氷河の母の降嫁の際、氷河の母と共に この公爵家にやってきた、あの老女だった。 彼女は、彼女の今は亡き女主人を深く愛し、氷河の母に仕えていたことを今でも誇りに思っているらしい。 女主人亡きあとも彼女が公爵の城に残ったのは、そこに彼女の女主人の面影を残した氷河がいたからだったのではなかったのかと、瞬は思ったのである。 「氷河のお母様は、氷河に似てたの?」 「ええ、それはもう」 「じゃあ、とても美しい方だったんだね」 「お綺麗でお優しくて――決して、あんな亡くなり方をなさるような方では――」 「僕みたいに、父母の顔も憶えていないのと、氷河と――どっちが つらいのかな……」 瞬の呟きを聞いた老女が、痛ましげな目を瞬に向けてくる。 瞬は慌てて、 「でも、僕には兄さんがいたから」 と言葉を継いで、彼女のために笑顔を作った。 優しく美しい母を心から慕っていた少年。 彼の瞳は、彼の母が生きていた頃には、今のように冴え冴えとしたものではなかったのだろう。 以前は、明るく温かく、ただ幸福の色だけをたたえていたに違いない。 だが、彼は、その瞳に映すべき人を、ふいに――あまりに過酷な状況で失ってしまった。 そのために、彼の明るく温かく、ただ幸福の色だけをたたえていた瞳は、一瞬にして凍りついてしまったのだ。 それもこれも、彼が彼の母を深く愛していたからこそ。 彼の心と愛情は、それほど激しく情熱的なのだ。 再び 愛する対象を与えられたなら、彼はその人を どれほど情熱的に愛することになるだろう。 その様を見たいと、瞬は思った。 すべてに冷めているような、氷のようなあの瞳が温かく優しく――否、激しく熱く――燃えあがる様を見てみたい――と。 そのためには、何よりもまず、彼の心の中から、彼がいずれ自分を捉えることになると信じている狂気の不安を取り除いてやらなければならない。 だが、どうすればそうすることができるのか――。 氷河の母は、本当に狂気の因子を持ち、その狂気にかられて夫を殺し、自らも命を絶ったのか。 それは本当に、彼女の狂気の為せるわざだったのか。 確かめたくても、その人は既にこの世にいない。 彼女が 愛する息子を残して死を選ぶことになった真の理由を求めて、彼女が亡くなった場所に 瞬が足を運んだのは、瞬が氷河との賭けに勝利した翌日のこと。 氷河の居城から馬を小半時ほど駆けさせたところにある岬には、冬の気配を含みつつある冷たい海風が吹いていた。 氷河の母が身を投げたのだろう岬の端から、瞬の足で百歩ほど陸に向かった場所に、焼け落ちた館の残骸が打ち捨てられている。 当時まだ10歳の子供にすぎなかった氷河の指示とは思えなかったが、誰も 焼け落ちた館を片付けることをしなかったらしい。 不揃いに砕けた大きな石が そこここに転がっているところを見ると、館はかなり堅牢な造りの、もしかしたら大きな城砦のような建物だったのかもしれない。 石の砕け方からして、館は ただの火事ではなく、火薬等の爆発によって崩れ落ちたように思われた。 今は獣以外に通るものもないのだろう小道が、館の跡から浜に向かって緩やかな傾斜を描いている。 崩れ落ちる前には、この館は灯台の役目も果たしていたのかもしれない。 沖の船から 風は強めだが、天気は悪くない。 岬からの風景は、海に向かって眺めても、陸地に視線を巡らせても、非常に美しい。 にもかかわらず海鳥の他には近付くものがないのは、この場所が公爵家と公爵領の不吉な場所として、周辺の者たちに忌み嫌われているせいなのかもしれなかった。 砕けた石の中に分け入って、瞬は、この館に広い地下室があったことを認めることができた。 地下に下りる階段はどこにあったのだろうと 広い焼け跡を見回した瞬は、そこで、石と土に埋もれかけた錆びた金属を目にとめることになったのである。 錆の侵食は甚だしいが、一部が錆びつかずに金属本来の輝きを残していて、それが陽光を受けて反射していたのだ。 手に取ってみると、それが真鍮であることがわかった。 周囲に見捨てられている物たちから察するに、それは、鉄でできた何かに打ちつけられていた紋章の破片である。 いったい何に打ちつけられていたものだったのかと、瞬が訝ることになったのは、それが公爵家の紋章ではなかったからだった。 つまり、それは館にあった調度を飾っていた紋章ではない。 瞬の足元にあるのは、元は筒の形を成していたらしい錆びた鉄、そして、車輪だったもの。 その数は尋常のものではなかった。 「……」 この館の、おそらくは地下室に大量に保管されていたものは何だったのか。 その答えに辿り着いた瞬は、次に、なぜそんなものがここになければならなかったのか、その理由を考えなければならなくなったのである。 それらは、本来、ここにあってはならないものだったから。 瞬が、氷河の母の死地で発見したものたちの元の姿。 それは、おそらく大量の火器だった。 しかも、それらの火器には、海の向こうにある国の王家の紋章が打ちつけられていたのだ。 |