twe can do it






俺が最初に あの影の塊りのような闇に出会ったのは、俺が初めて瞬と寝た夜だった。
俺の前に姿(らしきもの)を現わした時、あれ・・はひどく苛立っていたが、あれを殴り倒してやりたいのは、むしろ俺の方だった。
あの夜、あの鬱陶しい闇に出会うまで、俺は確かに世界でいちばん幸福な男だったのに、あの闇に出会ってしまったせいで、世界で最も みじめな男になりさがってしまったんだから。

俺の隣りには瞬がいた。
少し乱れた髪。
剥き出しの細い肩。
瞬を起こしてしまう心配がなかったら、俺は 瞬の裸体をまた抱きしめて、あの細い肩にキスの雨でも降らせていただろう。
求めてはならないものを俺は瞬に求め、それに応えたせいで瞬の身体は傷付いていた。
無理な交わりに耐えることを強要されたのは瞬の方だったのに、少し前まで 瞬は、自分に無体を働いた男を不安そうな目で見詰めていた。
「あの……ね。僕、変じゃなかった? 氷河に嫌な思い させなかった?」
そんなことを、瞬は俺に尋ねてきた。

俺は、瞬がなぜそんなことを訊いてくるのか まるでわからなかったんだ。
俺は、その時本当に、世界でいちばん幸福な男だったから。
普通に考えたら、俺の望みは叶う可能性のない望みだった。
どんなに綺麗で優しくて寛大でも、瞬は男だし、俺も男だ。
俺は、瞬に好きだと告白して、瞬にその思いを受け入れてもらえた その日まで――つまりは、つい数日前まで――瞬を俺のものにできるのなら、いっそ女に生まれたかったなんて馬鹿なことさえ考えていた。

俺はいつのまに自分がこんなに瞬を好きになったのか、どうして 同性の瞬をこんなに好きになったのか、自分でも訳がわからないほど瞬を好きで、だが、その思いが叶うことはないと諦めていた。
好きだと告白したのだって、瞬に嫌な顔をされたら、すぐに冗談にしてしまおうと考えてのことだった。
俺は、その人を手に入れた。
決して俺のものにはならないと思っていた人に、俺はその思いを許され、その人を抱きしめることを許され、そして瞬のすべてを俺のものにした。
そんな俺が、瞬に『嫌な思い』なんてさせられるわけがない。

俺を受けとめてくれた瞬の肌、声、指――瞬は、何もかもが美しかった。
俺を受け入れてくれた肉、熱、やわわかさ――瞬は、何もかもが素晴らしかった。
これは夢かと、俺は生きながらにして天国にいるのかと、そんなことを本気で考えるほど、その時の俺は有頂天でいたのに。

「なぜ俺が嫌な思いをするんだ?」
「あ……だって……僕、こういうことするのは初めてで、何もわかってないし、それに僕は……女の子じゃないし……」
それでなくても気弱な響きでできていた瞬の声が、更に小さくなる。
瞬の不安の理由を聞かされて、俺は一瞬ぽかんとした。
だってそうだろう。
自分が男だってことを負い目に思うべきなのは、同性の瞬に惚れてしまった俺の方だ。
瞬はただ、俺の我儘を許してくれたにすぎない。
瞬が俺に対して負い目に思うことなんて、何ひとつ――かけらほどにもないんだから。

「俺はおまえしか欲しくない。おまえは、俺にそう思わせるただ一人の人間だ。おれは、その人を手に入れた。そんな俺が何か不満を抱いていることがあると思うのか」
「でも……」
自分が持ち合わせている多くの美質の価値を正しく認識できていなところは、瞬の数少ない短所の一つだ。
瞬は、自分を過小評価しすぎている。
まあ、それも、捉えようによっては“謙虚”という美徳の一つ。
瞬のそういうところも、俺はもちろん好ましく思っているわけなんだが。

「あまり、俺に言いにくいことを言わせるな。おまえの中で俺がどれだけいい気持ちにさせてもらったのかを 事細かに白状させて、俺に その代償を支払わせようとでもいうのか」
「そんなこと……」
そんなことを考える瞬ではないことは、俺が誰よりよく知っていた。
詰まらないことで瞬に悩んでほしくなかった俺は、だから、わざと下卑たことを瞬に言ってやったんだ。

「それともあれか。俺がおまえの中に放ったものの量や勢いが、おまえには物足りなかったというのか」
「やだっ」
瞬が真っ赤になって、顔を横に背ける。
そのまま俺に背を向けてしまった瞬の肩に手をのばし、俺は もう一度 瞬の身体と視線を俺の方に向き直らせた。
本音を言えば、そのままの体勢で あと1分、俺は瞬の滑らかで白い背中を堪能していたかった。
が、今はそれを我慢しなければならない時だと、俺の理性が(!)俺を叱咤してきたんだ。
理性の言うことを聞いて、俺は瞬の視線を捉え、瞬とこういう仲になれたからこそできる告白をした。

「おまえが俺を受け入れてくれることなんて 金輪際ないんだと、俺は思っていた。今の俺は夢の世界にいるような気分だぞ。おまえの身体に負担をかけずに済むのなら、もう2、3回、おまえの中に入っていきたいくらいだ」
「そんな……僕……」
ますます赤くなって俺から視線を逸らしてしまった瞬が、やがて おずおずと その指を俺の胸にのばしてきた時、俺は幸福の絶頂にあったかもしれない。
瞬の細い指が、裸の俺の胸の上にある。
本当に、それだけでいきそうになった。
まさか、そんなみっともないこともできないから、俺は瞬の優しい指の誘いに甘えて、再び瞬にのしかかっていった。

俺に無理を強いられているはずの瞬は、嬉しそうに微笑んで、俺の首筋に手を当て、その線をゆっくりとなぞり、そして小さな喘ぎ声を洩らして 白い喉をのけぞらせた。
その様子に、俺は目眩いを覚えた。
瞬の健気、可愛らしさに、本当に頭がくらくらした。
いったい、どこのどんな創造神がどういう意図をもって、こんな可愛らしい生き物を造ったのかと思った。
その人類の最高傑作が、俺の胸と腹の下にいるなんて、これを奇跡と言わずに何を奇跡と言えるだろう。
星矢が神であるポセイドンやアベルに勝てたことなんて、奇跡でも何でもない。
そんなのは教科書通りの筋書きだ。

俺は、俺の幸運と幸福が嬉しくて、少々――多分に――瞬の身体への気遣いを忘れてかけていたと思う。
それでも、瞬は嬉しそうだった。
喘ぎも悲鳴も涙も嬉しそうだった。
瞬のそんな様子に我を忘れて、俺は、これ以上 俺の奇跡の証明に付き合わせていたら、瞬の身体が壊れてしまうと思う限度ぎりぎりのところまで、瞬を貪り尽くした。

半ば気を失っていた瞬は、そのまま眠りに落ちていき、俺は、愛情なのか、欲望が満たされた充足感なのか、瞬の忍耐に対する感謝なのか、瞬が俺のすることを喜んでくれたことへ感激なのか、自分でもよくわからない思いに支配されて、俺の健気な恋人の寝顔を見詰めていたんだ。
そんな時だった。
「なんということをしてくれたのだ」
と、ベッドライトの光の届かない部屋の隅から――もしかしたら、それは虚空からだったかもしれない――その声が聞こえてきたのは。






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